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五十六、9・11

五十六、9・11


 咲苗たちの乗ったヘリコプターは山梨県にある病院の屋上に向かっていた。その病院の周辺はまだ安全らしい。しかし、ここで悲劇が起こる。


「悪いね」


 突然、咲苗の隣に座っていた看護師が懐から銃を出して運転手に向けた。右手に銃、さらによく見ると左手には手榴弾。


「東京都庁に飛んで突っ込め」


 何を言っているのか理解できなかった。さっき治療をしてくれた優しい看護師は……。運転手が「お前、まさか」とつぶやいた。


 嫌な記憶が頭をよぎった。歴史の教科書で見たアメリカの同時多発テロの写真では、ビルに飛行機が突っ込んでいた。


「お前は……菫組か」

「菫組はもうチョロい。私は和組わぐみだ」

「わぐみ?」

「とにかく旋回して、東京の方へ飛べ」


 ヘリコプターは旋回して海の方へと戻る。咲苗はこれまでにない恐怖を感じていた。今までも度重なる拷問で幾度となく恐怖は感じたが、テロという言葉が頭の中で反芻している。あり得ない。何か辞めさせる方法は……。咲苗が明日花の方を見る。明日花も咲苗の方を見る。考えていることは……。


「自爆する気か」


 運転手の声が微かに震えている。


「和組は、菫組とは違う。日本を根本から変える」

「……つまり何をどう変えたいのだ」

「ビラを撒かせてもらう。窓を開けろ」

「ヘリコプターの窓は簡単には開かない」

「そんなの知っている。入口を開けろということだ」


 運転手はヘリコプターをホバリングさせて、入口を開けた。すると看護師に扮した女が白い紙を大量に入口から撒き散らしていく。


「なんて書いてあるんだ?」


 運転手の質問に、女がふぅとめんどくさそうに息を吐いた。


「私も犯罪被害者だ。菫……総理大臣は犯罪を減らしたいのならあの島のことを国民に隠してはならない」

「つまり、島の情報を書いた紙を撒いているのか?」

「それもあるが、犯罪者たちを撲滅したい。死刑囚だけではない。窃盗、痴漢、暴行、詐欺などすべての犯罪をこの日本からなくすことが目的だ。さあ、扉を閉めて飛べ」


 咲苗は明日花の手を掴んでいた。


「ならばテロは重罪です」


 咲苗の発言に隣にいた女が振り向く。


「ああ? 仕方ないだろう。日本の生ぬるい刑罰くらいでは犯罪はなくならない」

「あなたは、どのような被害に合ったのですか?」


 震える体、心臓がバクバクいっている。咲苗は必死で声を出していた。


「詐欺だよ。親が詐欺に合って全財産なくなった。そこから悲劇は始まったんだ。犯人は捕まったよ。でも禁固刑十八年、若いヤツだからそのうちまた出所してくる。そんなヤツ生きる価値もない」


 ヘリコプターは再び前進を始める。東に向かって飛んでいるので、前方の空が明るんで今にも太陽が顔を出しそうだ。


「都庁につっこんだらあなた自身も助かりません」


 咲苗はできるかぎり丁寧に言葉を選んだ。


「そんなことわかりきっているよ」

「あなたはまだお若い、死ぬなんて勿体ないです」

「うるさいな、お前になんかわかるか。お前は犯罪者だろう」


 咲苗の心が痛む。


「ええ、犯罪者です。これから先も罪を償いたいです。しかし、都庁にヘリコプターを突入することで得られるメリットがわかりません」

「国民は慄くだろう」

「では、恐怖で人々を支配する気なのですか?」

「そうだ」

「それは間違っています」

「黙れ!」


 女が咲苗の方に銃を向けた。


「詐欺に合ってから、父は自殺した。母はお金を稼ぐために必死で働いていた。そしていい人と巡り合って再婚した。だがな、家がある日燃えたんだ。私の家の隣は宝石店だった。強盗が隣の店に火をつけて延焼したんだ。私だけ助かって両親が死んだ。犯人は黒田聖人、夏季夫妻。二人とも死刑が執行された」


 黒田という名字を聞いて咲苗は嫌な予感がした。あの事件のことは咲苗自身も忘れようとしていたからだ。


 また女はヘリコプターをホバリングするように指示を出す。運転手はそれに従う。ヘリコプターは、そろそろ東京都に入っているのではないか。再び大量のビラを撒く。


 彼女の境遇に同情はする。だからこそ……。


「命を大切にしてください」


 咲苗は泣いていた。


「……生意気な口を聞くな。犠牲者が少しでも少なくて済むように明け方に決行するんだ。生半可な覚悟でこれを持っていない」


 彼女は手榴弾を持った手を高く挙げた。


「いい加減にしろよ! 言っていることが滅茶苦茶だ! 犠牲者が少ない方がいいのなら今すぐそんなバカな計画辞めろ!」


 突然、痺れをきらした明日花がそう言うと、銃声が鳴り響いた。銃弾が明日花の左腕をかすめて血が流れた。


「っつ……」

「明日花っ!」

「黙れ」

「明日花には手を出さないで」


 女は黙っている。夜が明けそうだ。


「あなたの名前を教えてください」


 突然質問された女は唖然としている。


「は? 名前なんてどうだっていいだろう」

「よくないわ。あなたの名前は何、年齢は? 好きな食べ物は何?」

「何でそんなこと聞くんだ?」

「だって死ぬんでしょう。私達みんな死ぬなら、最期に……聞かせてよ……」

「……」


 一瞬ひるんだ。その瞬間を見逃さなかった。咲苗は眼の前に立つ女へと突撃する。


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