二、
はぁ……まったく仕事が多いったらありゃしないと薊は大きなため息をついた。
昨日この島に囚人二十四名が送り込まれ、初日にまず囚人全員の健康チェックを済ませた。体重、身長を測り、内科検診を行う。その後抜歯をするのだが、麻酔は使用しないとのことで、もがく囚人の歯を無理やり抜いた。一人一本どころではなく、平均十本ほど。それを二十四名分行うのだから、膨大な仕事量である。
そして昨日は水曜日。島に着くや否や自殺志願者を募ると、挙手したのは
楪の死亡を確認するのも医師の薊の仕事である。結果として楪は抜歯のみでそれ以外の拷問を体験することなく死に至った訳だが、どうせ死ぬのなら、抜歯の人数を一人でも減らして欲しかった。抜歯をする前に自殺者を決定してくれたらよかったのに。その辺りのシステムももう少し丁寧に構築してほしい。と薊は思う。
昨日は手がまわらなかったので、抜歯で口の中が血まみれになった囚人たちにはうがいをさせたのみで、消毒まで至らなかった。
今日は朝から囚人たちの口の中のチェックと消毒を行い、それが終わってしばらくすると、指の爪を剥がされた囚人たちが医務室の前に列をなしていたので、消毒をして包帯を巻いた。一人や二人ならともかく、二十三名もの消毒作業を一人でこなさなければならないのに、医師が自分一人だけだなんて。姉に文句の一つや二つ言ってやりたい。
医務室は、職員棟と囚人棟の両方にあるが、器具や薬などは基本、職員棟の方にある。職員棟の医務室はかなり狭いのにくらべて、囚人棟の医務室は広い。しかし物という物はあまりない。最低限の消毒液とガーゼと湿布程度しか置いていないその部屋は、三十畳ほどあるだだっ広い部屋で、簡易ベッドは一つだけ。
薊は囚人棟の医務室でひたすら消毒を行っていたが、消毒液が足りなくて、職員棟へ戻る。二階にある渡り廊下を進むと、エレベーターがやってくる。ちょうど料理を乗せたワゴンが降りてきた。
「何だか色気のない食事ね」
「囚人たちは味付けなしだから」
それだけ言い残して
渡り廊下は囚人棟と職員棟をつなぐ唯一の道である。東西を隔てる壁の上の部分だけさらにエレベーターがついて高くなっている。この島を東と西に分断している壁の高さは約五メートル。エレベーターはカードキーがなければ操作できない。カードキーをかざすとエレベーターの電源が入り、稼働し始める。
エレベーターから降りて壁の上を通り抜ける。そして再びエレベーターに乗り二階へと下がって長い廊下を進む。
このややこしい造りは脱走防止のためである。東西を隔てる壁はただのコンクリートではなく、ミサイルでも壊れない強度の素材が使用されている。壁の上部にはセンサーがついているので、誰かが登ろうものなら、すぐに警告音が鳴り響く。一応は有刺鉄線もついているが、それの必要性はあまり感じない。
職員棟も囚人棟も内装はさほど代わりはないのだが、囚人棟には殆ど窓がない。小さな窓が数か所あるが、その窓の外には頑丈な鉄格子が設置されている。
囚人たちに
刑のランクは悪、極悪、の二つに分かれる。いまいちセンスのないネーミングは姉が考えたもの。昨日行った抜歯も、刑の重さによって何本か決定する。
ここにいる囚人は全員が死刑囚なので、罪の重さは同じかというとそうではない。
死刑判決を下された罪人たちは、大概が殺人を犯している。極悪に匹敵する囚人は、無差別殺人や、放火などで十人以上殺した者が匹敵する。ここには亡くなった楪を含めて四人の極悪がいるが、いずれも無差別で十人以上の殺人を犯している。その者たちは奥歯二本と前歯一本を残してあとはすべての歯を抜いた。
抜歯は自分で舌を噛み切って自殺するのを防ぐためでもあるので、ランクが悪の者も噛み切り歯は必ず抜歯する。
しかし、本日の朝にトラブルが発生した。昨日亡くなった楪亜葵は、許可がおりての自殺だったが、早朝に部屋から脱走を試みた受刑者が窓を突き破り、狭い鉄格子を
これは脱走防止のために囚人の部屋の鉄格子にはすべて電気を通しているからで、触っただけで体中に響くような電気が走る。しかし、電気の強さはそこまで強くないので、死に至ることはないように設定されている。鉄格子に挟まったことに気づいた監視員が電気を止めて救出しようとしたところ、間違って電気を止めるボタンではなく高電圧のボタンを押してしまった。その結果、感電死してしまった。という間抜けな話である。
囚人たちは一人一部屋与えられている。結局のところ鉄格子を特殊なチェーンソーで切り、体を取り出したが既に息絶えていた。もちろん、死亡確認をしたのは薊だ。これにより二日前、二十四名だった囚人の数は二人減ってしまった。
過去数十年間、死刑制度が法で認められてきた。いや、何年どころではない。古くは仁徳天皇の時代、五世紀前半から死刑は行われている。極悪非道でどうしようもない犯罪者が最後にたどり着くのは「死」だ。しかし、これまでのシステムでは、警察官が自らの手を汚して、罪人を葬らなければならなかった。
いくら相手が罪人とはいえ、人を殺すことを好む人などいない。薊はもし自分が警察官だったとしても死刑執行には関わりたくないと思う。この考えは薊だけではなく、全国共通ではないか。ならば自分のことは自分でどうにかしろ。という考え方で、この島では囚人たちに唯一自殺をするという選択が認められている。当然だが安楽死などできず、大概の場合は被害者と同じ条件で死ななければならない。つまり、受刑者が被害者をナイフで刺殺した場合は自分の体にナイフを突き立て、被害者が放火で亡くなった場合は、受刑者は頭から灯油を被った後、自分自身に火をつけることになる。
自殺を
「苦しむ生」と「自らを殺す」この二つの選択肢しかない。この狂った制度を考え出したのは、薊の姉で現総理大臣の
この島では毎日拷問が繰り返される予定だが、受刑者たちを殺してはいけないルールだ。だから傷は治さなくちゃいけないし、病気になってもらっても困る。だからといってせっかく傷の治療をしてもまた同じところに傷をつけてそれのエンドレスループなんて、医師としては絶望という言葉しか出てこない。
人口が減った日本では深刻な医師不足に悩んでいた。子どもの数は増えないのに長寿になったので、年配者の受診回数は増えるのみだ。医療は研究に研究を重ねて、不治の病を治すことも可能になった。もちろん今も治す手立てのない病は多々とあるが、人が簡単に亡くならない時代になったのが良いことなのか、悪いことなのか薊には今もわからない。
生きていても、終末はベッドの上で何年もただ生かされているような人もたくさん見てきたし、看護師も不足しているので、いっそのこと日本も安楽死を取り入れた方がよいのではないか。
姉の菫が政治家デビューしてから総理大臣になるまで、薊は夢を見ているような気分だった。政治家になると言い出したことも驚きだったが、姉はどこにいっても大人気であった。容姿が優れていることはもちろん、器量もよい、判断力もある、そして女性目線で世の中を見ていることから特に女性に人気があった。とはいえ、まさか総理大臣になるだなんて、薊は考えたこともなかった。いつの間にやらテレビで堂々たる姿で総理官邸前に立っている姉を見て、唖然としてしまった。
余計なことを考えてしまった。と薊は首をふった。早く囚人たちの治療を終わらせないと夜も眠れない。
薊は機械的に囚人たちの傷の処置を行っていく。陽は傾き、これから闇が空を覆い尽くす。早くベッドに入って眠りたい。その一心で薊は働き続けた。