「飯倉くーん」
教室のドアの向こう側から僕の名前を呼ぶ声に反応する。
声が聞こえた方に視線を向けると、橋本くんが「ちょいちょい」と僕を呼んでいるのが分かる。
橋本くんに答えるように、自分の席を立ち、廊下側の窓へと向かった。
「……なに?」
「冷たいなー相田さんちょうだいって言ったこと怒ってんの?」
「いや、怒ってないけど……なに? 相田さんは今はいないけど」
「知ってる。職員室に呼び出されてるの見た。なんか先生と真剣に話してたけど」
「……真剣に?」
「俺、担任に頼まれてるもんを取りに戻ってきただけだから、これ半分持ってよ」
橋本くんの手元を見て見ると、クラスの人たちのノートと思われるものを抱えていた。
「なんで僕が」
「相田さん気になるだろ」
「はあ!? それはおまえが勝手に……!」
……あ。や、やばい。
つい感情的になって橋本くんのことを「おまえ」とか言ってしまった。
すかさず教室内を見渡すと、各々話をしてたためか、聞かれていなかったようだ。
はあ、よかった。
軽く息を吐き、廊下に出て橋本くんが持っていたノートを半分持つ。
「……ふ、『おまえ』だって」
橋本くんはよほど可笑しかったのかケラケラと笑いだした。
「……ごめん、口が勝手に」
「「おまえ」ってあんまり言われないから新鮮。飯倉くん面白いなって思ったけど、いつもそんなんじゃないんだ?」
「……いつもは人のこと『おまえ』なんて言わないし……それに、前一緒にいた友達とは今は一緒にいないから……」
「ふーん、なんで?」
「だって僕、クラスの話し合いに入れなかったし。友達にも一線引かれてる気がして……」
「だからって一人は寂しくね?」
「寂しいよ。だけどどうしたらいいか分からないんだ」
あの日から皆の目が怖くて仕方がない。
あの日から自分の心に線を引いている。
今呟けることができるのは、状況は違えど橋本くんが『パートナーがいない』という、同じ境遇だからだと思う。
「飯倉くんはさ、相田さんがいるじゃん? つーか、面倒だからくん付けなしにするわ」
「相田さんがいるだとか、勝手に決めるなよ」
――すっかり忘れてたけど、橋本くんが僕に絡んできた理由は、元はといえば相田さん絡みだったんだ。
隣を歩く橋本くんを改めてジッと見る。
正直、矢野とは違ったかっこよさがある。
遊んでいて女の子にダラシがないように見えるけれど、その甘そうな顔と、考え込まないポジティブな性格が人気なんだろうな。
橋本くんはカッコイイ。僕なんかより何倍もカッコイイ。
橋本くんの顔面と内面を内心羨んでいると、橋本くんは「俺さ……」とまた何かを語り始めた。
「ぶっちゃけさ、今まで結構な女の子とヤりまくってきたんだよね~」
うわ……せっかく僕も「橋本くんみたいになれたら良かった」って思ってたのに。イヤなことぶっ込んできた。
人は見かけによらないのかもと思っていたけれど、橋本くんに関していえば見た目通りだったようだ。だとしても、童貞の僕への当てつけのようにも思えるし、そんなこといちいち知りたくなかった。
「……へ、へぇ」
適当に相槌を打つも、橋本くんが話題を変えることはない。
「でも相田さんはダメだったからさ~」
……ん? 今、相田さんって言った!?
話題を変えたくてたまらなかったのに、相田さんの名前を出されたら凄く気になってしまう。
なにかあったのだろうか。
「相田さん誘ったの?」
「うん。高校入学して少し経った頃かな。まあ、即答で断られたんだけどねー」
ーーマジか。
だから相田さん、橋本くんを見た時なんだか様子がおかしかったのか……
「俺処女嫌いだからさ、相田さんみたいに絶対遊んでる子と遊びたかったわけよ~」
……相田さん、処女らしいですが。なんて口が裂けても言えない。なので、
「へ……へぇ……でも、橋本くんが遊んでるからといって、相田さんがそうだとは限らないじゃん」
遠回しに相田さんは遊んでいるとは限らないアピールをする。
「はあ? あの子は絶対遊びまくってるって! まったくも~、これだから童貞は~」
さりげなく僕をディスる橋本くん。
相田さんを遊び人と決めつけるのは良くないと言っているだけなのに。
相田さんのことを遊びまくっていると信じてやまない橋本くん。
まあ、僕も相田さんから処女って言われる前は、橋本くんと同じように、絶対男性経験豊富でしょって思ってたし……そう思うと容姿で決められる相田さんのことが少しだけ不憫に思えた。
「じゃ、じゃあさ……相田さんが処女だったらどうするの」
純粋な気持ちで聞いてみると、橋本くんは「はあ?」と首を傾げた。
「……え、なに? それは飯倉の願望?」
「……はあ?」
「さすがに童貞拗らせすぎじゃない? あ、今更だけど童貞で合ってるよね?」
いちいち童貞確認すんな! コイツ、さっきから黙っていれば無神経なことをズカズカと言いやがって~!!
「あのさ! そもそも僕達学生だし! 経験ないのは当たり前だと思うんだけど!?」
精一杯な返しをしてみると、橋本くんは「クックッ」と肩を震わせ笑った。