目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話 梟、二羽

 荀罃じゅんおうが持つ楚王そおうの駒は魚で取ったものである。これはゲーム内で取り返される駒であった。

 ふくろうの死は他の梟と同じマスに止まった時である。そうなれば魚に戻り、ふりだしから再び進めることとなる。その際、魚に奪われた己の駒を取り返すことができる。たとえ三つ、四つの駒を奪おうとそれが魚によるものであれば、返すこととなる。

 が、梟に取られた駒は返されない。ドローとならない限り、手元に戻ってこないのである。前のゲームで荀罃は魚での狩りはできたが、己の駒は梟に取られた。楚王の手数を戻さないためにも、ドローを狙うしかなかったのである。

 ――太極に到る前に、梟に狩られましょう。

 今回、荀罃は、楚王の梟に狩られるよりも、魚に取らせて戻せる可能性に賭けたのだ。梟の射程範囲にあった駒である。狩られる前に投降したと言うべきか。

 楚王の手番で、荀罃の駒は狩られることなく、楚王の駒も自滅しなかった。荀罃はさいを碗に落とした。

「……『方』。私も梟と成りました」

 ひとつの駒が縦に立ち、梟と化した。これで、楚王と荀罃双方の梟が盤上を飛び回ることとなる。そうしながら、他の駒を楚王の範囲から遠ざける。今までは守ることを考えていた。これからは攻守双方を考えなければならない。

 荀罃がボーナスの賽の目で梟を動かした後、小さく息を吐く。

「遊戯だ、少しは楽しめ」

 楚王がひょうげた声で言う。荀罃は、ひきつりながらもなんとか笑み、

しんでは遊戯にいそしむこともございませんでした。の歓待、遊戯の楽しさを覚えたいと思います」

 と、丁寧に返した。集中せねばならない。心を張り詰めねばならぬ。しかし、焦りを見せてもならない。楚王に引きずられてはならないが、それをつっぱねて殻に籠もれば負ける気がした。

 盤上遊戯は楽しんでいるほうが勝つものなのだ。

「よく言った。慎みを知りながら楽しみもわかるは、音の響きも良いだろう」

 荀罃の肌を舐めるように見ながら、楚王がサイコロを振った。良い出目といって良かった。二つの目を合わせ、荀罃の駒をひとつ取る。返らぬ駒となったそれを一瞥したあと、荀罃は挑むように盤を見た。これで荀罃の勝ち目はひとつ消えた。楚王の駒を全滅させないかぎり、勝てない。もしくは、ドローでしきりなおすか。

「私の皮はなめす価値もないでしょう。楚のびょうには似つかわしくない」

 虚勢であるのか意地であるのか。荀罃も己でわからぬまま、言い放ち、サイコロを振る。双方大きな目であった。そして、運が良い。

 荀罃の梟が楚王の魚をひとつ、狩った。多くのマスを通っての狩りである。ここで使ったマスは二度と通れない。むろん楚王の梟も同じルールで移動制限ができている。荀罃は周囲の駒を見ながら、もう一つの出目どおり、己の魚を動かした。そこには楚王の魚がおり、駒を奪われる。梟に奪われた駒がひとつ。魚に奪われた駒がふたつ。

「俺の駒は、返るのがひとつ、返らぬがひとつ、か」

「そして、あなたの駒は場に四つ。私の駒は三つしかございませぬ」

 楚王の言葉に、荀罃は挑むような声で返す。

 お互い、食い合いである。梟がどれだけ食うか。魚でどれだけ食い合うか。――どれだけを手元に戻すか、いつ戻るのか。

「守るに固いかと思えば、攻めるとなればとことんか。小僧の軽重を量るのは、なかなかに愉快だ」

 獰猛な笑みを浮かべ、楚王がゆったりと笑った。

 六博りくはくの真骨頂は、食い合いと言って良い。魚で食い合い、ふくろうで狩り、梟も食い合う。

 梟は動けば動くほど、進めるマスが減っていく。反面、魚は『角』を使って場を変えて自由に泳ぐ。しかし、『角』以外はマスを反時計回りに動くのみ。梟は方向に左右されないが、マスの節約を考えるなら『方』に戻りながら方向転換するのが得策である。動きの制限がこのゲームを運だけのものにしていないのであろう。

 幾度かの応酬の末、楚王そおうの梟が荀罃じゅんおうを狩った。

 言いかえれば、荀罃の梟が楚王の梟のマスに止まったのである。自軍を守るためでもあるが、もう、そこしか動きようがなかったのもある。むろん、楚王の魚がとった駒は返された。梟が手元に戻れば、サイコロを一度振る。このゲームは駒を動かす以外に、梟が生まれたときと死した時にサイコロを振るのである。

「少しは手数が増えたようだな」

 荀罃は楚王の言葉に頷きながら酒を呑んだ。出た目が『白』だったのだ。酩酊を振り払いながら荀罃は姿勢を崩すまいと背筋を伸ばした。姿勢が崩れれば、心も崩れ、運も折れる。

 楚王の梟は荀罃の魚を狩ろうと動いたが、限界がきた。全く動けなくなれば、手元に戻せなくなるため――梟の死は敵梟への特攻のみである――無駄なことができなくなる。立ち枯れの梟は、魚が飛び込んでくるのを待つだけのものとなり、他の駒が『方』に止まっても、自軍に梟があるかぎり、成ることもできない。

 再び荀罃が梟と成る。他の魚を狩りつつ、己の駒を調整した。楚王は駒を巧みに動かしながら、荀罃の道を潰していく。梟が動いても魚が捕れなければ、マスの使い損というものだった。

 その間も相手に酒を与え、己に酒を課す。互いに顔が赤くなり、脇息に肘をつくことが多くなった。酒が多すぎて、喉が渇き始める。

「……楚王よ。酒は神聖なものなれど、過ぎると喉が痛むものです。互いに水を飲むのはいかがか」

 荀罃は、演技ではなく酔いを目に宿しながら、小さな声で言った。提案というより、こいねがった。楚王が首を振った。

「遊戯に水を飲むという法はなし。この盤上の決着がつかぬとも、お前が潰れれば俺の勝ちだ。逆もしかり。酒を水増しするのは罪深い」

 酒気まじりの息を吐きながら、楚王が返す。盤上は混戦であった。幾度も梟を自滅しあっては、駒を返してもらう。そうして、再び出目に合わせて動かし、運良く梟と成る。

 楚王はかなり酔っているようであるが、動きに迷いなく間違いもない。守勢よりも攻勢を選ぶところも変わらない。荀罃は、酔いをふりほどくように歯を噛みしめながら、一手一手を堅実に積み上げ、攻める。

 最終的に、互いの梟が動けなくなった。動けるマスの範囲から魚が全て逃げ、梟同士も離れてしまっている。場に動く駒の数も少なくなっていた。

「なかなかに悪くない勝負と思ったが、泥仕合か」

 楚王が頬杖をつきながら、ため息をついた。消化試合ほどつまらないものはない。互いの駒は抜き合うが同じマスに止まることなく、楚王の駒が六十番目のマスを越えた。

「仕切り直し、ですね」

 荀罃が呻くように言った。呼気に酒精が混ざっている。この浮かれそうな頭で、再び、賽の目に命を賭けなければならなくなった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?