目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
盤上遊戯〜賽の目こそ、我が命。負ければ贄、肌は太鼓の皮となる
盤上遊戯〜賽の目こそ、我が命。負ければ贄、肌は太鼓の皮となる
はに丸
歴史・時代外国歴史
2024年12月12日
公開日
3.7万字
完結済
 紀元前六世紀、春秋時代。山西省に晋という国があった。

 晋の有力貴族の令息、荀罃(じゅん/おう)は教え子で弟分の士匄(しかい)に問い詰められる。
 楚との戦争で虜囚となったとき、なぜ自裁しなかったのか、と。
 荀罃は捕虜になる程度の恥辱で自裁しないと言った上で、生け捕りとなったときのことを語りだした。

 9年前。虜囚となった荀罃に、楚王は言い放った。

「古来からの取り決めにより、贄とし、汝を祖霊に捧げる。その皮を以て鼓を作り、その血を以て鼓の彩りとしよう。骨は廟に捧げられ、肉は宴に捧げられる」
 しかし、しかし
「我が臣がそちらの虜囚になっていることもある。汝を贄にするか、質にするか、遊戯で占おうではないか」

 運任せの盤上遊戯で、己の運命を切り開けるか。


※2500年くらい前の人間がひたすら卓ゲーしてる話です。

第1話 後日譚(前)

 びゅっと矢が放たれ、まとに当たる。弓をかまえたままの少年が小さく舌打ちをした。三十路前後の青年が肩をすくめていた。青年が指示した場所よりずれていた。己が未熟と思われるのが業腹だ、と少年は考えを巡らせ、ひとつ思いついた。

「どうして、知伯ちはくはおめおめと捕まったんですか?」

 生意気盛りの少年、士匄しかいが荀罃をまっすぐと見上げて問うた。その顔は先達の不幸から学びたいという殊勝なものではなく、好奇心と嘲弄が見える。青年――荀罃は少々呆れた。士匄は自分の失敗を認めるのを嫌がる。ゆえに、荀罃の汚点をついてごまかしを謀ったらしい。知伯は荀罃のあざなである。ついでに、士匄のあざな范叔はんしゅくという。

 荀罃は今、このを教導している。春秋時代、成人したものが未熟な若者を預かり、教導する記録は散見される。このような形態は古代において珍しくなく、ローマ共和制においても、軍属という名目で預けられることがあったらしい。

 士匄という十代半ばの少年は、才はあるがが強く、己を誇示しないと気が済まない性質で、父親である士爕ししょうが荀罃に

『遠慮なく躾けてほしい』

 と頼んできた。士爕は極めて厳しい父親であったが、士匄は学んでも反省しない。自儘なまま、優秀さだけを積み上げていくという始末である。士爕は、性格の矯正を荀罃に頼んだのである。

 そこには、士爕なりの気づかいもあった。つい先日まで荀罃は捕虜として敵国にいた。九年間の虜囚生活は荀罃の人格に深みを与えたが、損失もある。長い時間、故国――しんにいなかった荀罃は周囲から浮いていた。居場所が家以外に無かったのである。士爕は荀罃の人となりを信頼したのはもちろんであったが、大夫たいふ――貴族である――として、足元を固め、その才を無駄にしてほしくない、というおもいやりがあった。士爕には節度と厳しさ以上に他者への優しさがある。

 さて、この生意気で、荀罃の弱みを握ろうとする小賢しい弟分に答えねばならぬ。荀罃は少し笑み、口を開いた。

「私が未熟であったからだ。敵を討とうと走り、気づけば孤軍となっていた。私の至らなさによる。ぐんに囲まれ、乗っていた兵車へいしゃは止められた。歩兵どもは鏖殺おうさつされ、御者は射られ馬の足は止まり、車右しゃゆうは私を庇って死んだ。ゆえ、私はおめおめと生け捕りにされた。己の実力を見誤り、相手の軽重もわからず。今の汝と同じだ」

 冷静かつ平然と答え、微笑まで浮かべる荀罃は、しっかりと士匄に釘をさした。士匄が拗ねた顔でそっぽを向く。先達に言葉を乞いながらするような態度ではない。荀罃はきっちり殴った。この時代において教育に体罰はつきものである。さて、流れをぶったぎるが、当時の戦争は兵車――つまりは馬車が主力であり、御者と弓兵兼指揮官、これらを護衛する車右が乗る。指揮下には歩兵が七〇人前後。これが当時の戦闘単位、じょうとなる。

 ともあれ。

 殴られても全く反省しない士匄が、さらに斬り込む。

「じゃあ、どうして自らを処さなかったのですか。わたしだったら耐えられない」

 少年は芝居がかったしぐさでため息をついてさらに口を開いた。

「わたしは誉れある士氏しし嗣子ししだ。楚などという蛮族どもに捕まるなんて嫌だし、しかも生け捕りなんて生き恥、耐えられない。さらしものになるくらいなら、死んだ方がマシだ。知伯はどうして、そうされなかったんですか」

 弓を持ったまま、わざとらしく肩を揺すってため息までつくさまは、本当に小賢しい。しかし、言うことは少年の潔癖さであり、荀罃はかわいささえ思って苦笑した。

「それは私の生き方に対する問いだ。そういったものを聞くのなら、覚悟があるのかな? 汝は私の言葉を訓戒として受け止める覚悟でも?」

 そうして、荀罃は的を指さす。

「覚悟を見せろ、范叔。あの的の中央に十回当てろ。中央の印からずれれば汝は覚悟分からぬ愚鈍な恥知らずとしてこれから扱う」

 士匄が幾度か外した円形の的である。同心円がいくつもあるその中央には、小さな黒丸が描かれている。

「私が色々と示す場所ではない、書いてある中央の印だ。たやすいだろう?」

 禽獣の光を目に宿し、荀罃は笑った。士匄が少々怖じる顔をしながら、頷いた。

 少年が弓を引き絞る。その目はいつになく真剣だった。

 荀罃じゅんおうはそれをじっと見る。士匄しかいは、才気煥発としか言い様のない少年である。麻が水を吸うように教えれば教えるほど覚え身に溶かしていく。しかし、己の力を誇示し、調子に乗り、しょうもない失敗をする。頭の良さに反比例して考えが浅い。そこまでを見た荀罃は、

 ――危ない子供。

 と、断じた。このまま戦場に出れば捕虜になるどころではない。全軍を危機にさらすようなへまをする。有能なだけに甚大な被害になるであろう。国政にかかわる家である、政治も乱れる。勤勉な無能を越える厄災は、勤勉で有能なである。どう考えても、長じれば迷惑な男になりかねなかった。

 勉学にしても訓練にしても、どこか手を抜いている子供でもあった。己は全力でなくてもできるとたかをくくっているのである。

 しかし、今、士匄は真剣であった。

 荀罃の覚悟しろ、という言葉はこの少年の胸の奥に届いたらしい。愚鈍な恥知らずという言葉も強かったのであろう。子供のくせに矜持だけは高い。

 びゅっと矢が放たれた。矢は中央を貫いていた。士匄は息をつくこともなく再度矢をつがえ、弓を引いた。その姿勢は美しく、彼自身が引き絞られる弓のような印象さえ与えてくる。息を抜いて集中をちらしたくないらしい。もしかすると、そのようなことも考えないほど、集中しているのかもしれない。

 初めて見せた、驚異的な集中力に荀罃は驚きつつ、これは途中で止めよう、となった。過度な緊張は少年の頭や体に負担が大きい。荀罃は、九年前のことを思い出す。恐ろしいほどの緊張状態が続き、終わった途端、己は気絶しかけた。腕を支えられねば、本当に気を失っていたであろう。

 三本目の矢が放たれ、的を貫く。士匄がようやく息を吐いた。荀罃はすかさず

「的の矢が邪魔だ。取らせるから少し待て」

 と制した。控えていた家僕に命じて矢を取ってこさせる。士匄が的をじっと見て、弓を握っていた。瞬きもせず、睨み付けている。荀罃は戻ってきた家僕を見届けると、士匄から弓をひっぺがした。

「あ!」

 驚く士匄が弓を取り返そうと手を伸ばしてくる。荀罃はその頭を押さえつけて、遠ざけた。

「汝の覚悟は三本の矢でわかった。この後、百の矢を射ても汝は当てる。常にそうあれ」

「じゃあ、改めて。どうして死ななかったんですか」

「確かに恥辱ではある。が、生け捕りにされる程度で自裁を考えるなど、范叔はんしゅくは存外小心者だな」

 荀罃の答えに、士匄がみるみる顔を赤くし、睨み付けてくる。大人物を自認している少年にとって、小心者という言葉は相当腹が立ったらしい。

知伯ちはくは厚顔、恥知らずではないですか。おめおめと捕まり、のこのこ帰ってきて!」

 怒りと潔癖で怒る少年に、荀罃は木陰を促した。怒っていたわりに士匄は素直についてくる。射場での休憩用に作られた木陰でふたり座ると、荀罃はおもむろに口を開いた。

「私は戦って死ぬことは怖れていなかった。ゆえに、押さえつけられ喉笛を掻き切られること、首を取られ旗の先に掲げられる辱めも受け入れるつもりだった。しかし、生け捕りにされた。戦死せぬなら、私を処すのは君公くんこうだ。君公が勝てとしてなされた戦で、私は負け捕まった。この身は父と君公のものだ。己で己を処するなど、僭越というものだ、范叔はんしゅく

 荀罃の言葉に、士匄がはじかれたように顔をあげ、じっと見てくる。強い光を瞳に宿していた。

「でも、わたしは生き恥は嫌だ。だから、捕まらない。負けない」

 気負いさえある言葉に荀罃は頷く。

「それが一番だ。覚悟ある汝だ、ついでに教えてやろう。戦で捕まったものは贄にされ、その皮は太鼓としその血で塗り飾られ、勝利を祖霊に知らせるための音とする」

 己の腕を出して指で皮をつまむと、士匄に見せつけるように弾いた。想像したのか少年が唾を飲み込み、恐怖を隠さぬ顔を見せた。

 ――あの時、私は。

 荀罃はびびっている士匄など気にせず語りだした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?