びゅっと矢が放たれ、
「どうして、
生意気盛りの少年、
荀罃は今、この
士匄という十代半ばの少年は、才はあるが
『遠慮なく躾けてほしい』
と頼んできた。士爕は極めて厳しい父親であったが、士匄は学んでも反省しない。自儘なまま、優秀さだけを積み上げていくという始末である。士爕は、性格の矯正を荀罃に頼んだのである。
そこには、士爕なりの気づかいもあった。つい先日まで荀罃は捕虜として敵国にいた。九年間の虜囚生活は荀罃の人格に深みを与えたが、損失もある。長い時間、故国――
さて、この生意気で、荀罃の弱みを握ろうとする小賢しい弟分に答えねばならぬ。荀罃は少し笑み、口を開いた。
「私が未熟であったからだ。敵を討とうと走り、気づけば孤軍となっていた。私の至らなさによる。
冷静かつ平然と答え、微笑まで浮かべる荀罃は、しっかりと士匄に釘をさした。士匄が拗ねた顔でそっぽを向く。先達に言葉を乞いながらするような態度ではない。荀罃はきっちり殴った。この時代において教育に体罰はつきものである。さて、流れをぶったぎるが、当時の戦争は兵車――つまりは馬車が主力であり、御者と弓兵兼指揮官、これらを護衛する車右が乗る。指揮下には歩兵が七〇人前後。これが当時の戦闘単位、
ともあれ。
殴られても全く反省しない士匄が、さらに斬り込む。
「じゃあ、どうして自らを処さなかったのですか。わたしだったら耐えられない」
少年は芝居がかったしぐさでため息をついてさらに口を開いた。
「わたしは誉れある
弓を持ったまま、わざとらしく肩を揺すってため息までつくさまは、本当に小賢しい。しかし、言うことは少年の潔癖さであり、荀罃はかわいささえ思って苦笑した。
「それは私の生き方に対する問いだ。そういったものを聞くのなら、覚悟があるのかな? 汝は私の言葉を訓戒として受け止める覚悟でも?」
そうして、荀罃は的を指さす。
「覚悟を見せろ、范叔。あの的の中央に十回当てろ。中央の印からずれれば汝は覚悟分からぬ愚鈍な恥知らずとしてこれから扱う」
士匄が幾度か外した円形の的である。同心円がいくつもあるその中央には、小さな黒丸が描かれている。
「私が色々と示す場所ではない、書いてある中央の印だ。たやすいだろう?」
禽獣の光を目に宿し、荀罃は笑った。士匄が少々怖じる顔をしながら、頷いた。
少年が弓を引き絞る。その目はいつになく真剣だった。
――危ない子供。
と、断じた。このまま戦場に出れば捕虜になるどころではない。全軍を危機にさらすようなへまをする。有能なだけに甚大な被害になるであろう。国政にかかわる家である、政治も乱れる。勤勉な無能を越える厄災は、勤勉で有能な
勉学にしても訓練にしても、どこか手を抜いている子供でもあった。己は全力でなくてもできるとたかをくくっているのである。
しかし、今、士匄は真剣であった。
荀罃の覚悟しろ、という言葉はこの少年の胸の奥に届いたらしい。愚鈍な恥知らずという言葉も強かったのであろう。子供のくせに矜持だけは高い。
びゅっと矢が放たれた。矢は中央を貫いていた。士匄は息をつくこともなく再度矢をつがえ、弓を引いた。その姿勢は美しく、彼自身が引き絞られる弓のような印象さえ与えてくる。息を抜いて集中をちらしたくないらしい。もしかすると、そのようなことも考えないほど、集中しているのかもしれない。
初めて見せた、驚異的な集中力に荀罃は驚きつつ、これは途中で止めよう、となった。過度な緊張は少年の頭や体に負担が大きい。荀罃は、九年前のことを思い出す。恐ろしいほどの緊張状態が続き、終わった途端、己は気絶しかけた。腕を支えられねば、本当に気を失っていたであろう。
三本目の矢が放たれ、的を貫く。士匄がようやく息を吐いた。荀罃はすかさず
「的の矢が邪魔だ。取らせるから少し待て」
と制した。控えていた家僕に命じて矢を取ってこさせる。士匄が的をじっと見て、弓を握っていた。瞬きもせず、睨み付けている。荀罃は戻ってきた家僕を見届けると、士匄から弓をひっぺがした。
「あ!」
驚く士匄が弓を取り返そうと手を伸ばしてくる。荀罃はその頭を押さえつけて、遠ざけた。
「汝の覚悟は三本の矢でわかった。この後、百の矢を射ても汝は当てる。常にそうあれ」
「じゃあ、改めて。どうして死ななかったんですか」
「確かに恥辱ではある。が、生け捕りにされる程度で自裁を考えるなど、
荀罃の答えに、士匄がみるみる顔を赤くし、睨み付けてくる。大人物を自認している少年にとって、小心者という言葉は相当腹が立ったらしい。
「
怒りと潔癖で怒る少年に、荀罃は木陰を促した。怒っていたわりに士匄は素直についてくる。射場での休憩用に作られた木陰でふたり座ると、荀罃はおもむろに口を開いた。
「私は戦って死ぬことは怖れていなかった。ゆえに、押さえつけられ喉笛を掻き切られること、首を取られ旗の先に掲げられる辱めも受け入れるつもりだった。しかし、生け捕りにされた。戦死せぬなら、私を処すのは
荀罃の言葉に、士匄がはじかれたように顔をあげ、じっと見てくる。強い光を瞳に宿していた。
「でも、わたしは生き恥は嫌だ。だから、捕まらない。負けない」
気負いさえある言葉に荀罃は頷く。
「それが一番だ。覚悟ある汝だ、ついでに教えてやろう。戦で捕まったものは贄にされ、その皮は太鼓としその血で塗り飾られ、勝利を祖霊に知らせるための音とする」
己の腕を出して指で皮をつまむと、士匄に見せつけるように弾いた。想像したのか少年が唾を飲み込み、恐怖を隠さぬ顔を見せた。
――あの時、私は。
荀罃はびびっている士匄など気にせず語りだした。