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第8話

 徐庶と母親が再会した翌日。

 龐統は玲花と共に一つの屋敷に逗留していた。

 そこは諸葛亮が使っている屋敷であり、妻である黄夫人がいろいろと世話を焼いてくれていた。玲花とも仲良くなり、厨で並んで料理する姿も見る。

 落ち着いた一時を過ごしながら、龐統は今後のことを考えていた。

(――襄陽に帰れないとなると、どうするべきかな)

 このまま、諸葛亮の屋敷で居候していると、なし崩しで劉備軍に編入させられそうだ。いずれ入るのは悪くないが、流浪の軍に付き合うのは避けたい。

 もうしばらくは戦乱を避けてのんびりしたい、というのが正直な気持ちだった。

 そうなると問題になるのは、居場所である。

 転生前に学んだ歴史だと、ここから迎えるのは荊州を舞台にした激戦。

 いわゆる、赤壁の戦いだ。

 三国志最大の激戦とも言われる、あの有名な戦い――その後の荊州争奪戦も含めて、かなり戦いが勃発する。荊州の一部である江夏にいれば巻き込まれかねない。

 となれば、どこかに避難するべきなのだが――。

(益州や長安も遠いからな……)

 当然、それより遠い涼州や雍州も論外。というより、あそこは親族もいない上に異民族が入ってくるからかなり不安だ。

 となれば南の交州か東の揚州、北の徐州、予州のどれかだが。

「士元」

 ふと声が掛かって顔を上げると、玲花の姿が目に入った。黄夫人から服をもらったのか、少しお洒落な服に身を包んでいる。

 彼女はすたすたと歩み寄ると、隣にぺたんと足を崩して座る。

 それから無言ですり寄ってきた。肩に額を擦りつける玲花に龐統は苦笑する。

「――どうした。甘えん坊」

「ん――まだ、ご褒美、もらっていない」

「……ああ」

 水鏡先生の元へお遣いに出したときのご褒美を要求しているようだ。

 龐統は少し苦笑しながら身体を玲花に向けると、ん、と彼女は両腕を開いた。少しだけ頬を染め、何かを期待するように上目遣い。

 そのあざとい表情に龐統は目を細めると、手を伸ばして軽く頭を撫でた。

「今度、何か買ってやる。新しい服とかな。それでいいか」

「――むぅ」

 その言葉が不服だったのか、拗ねたように唇を尖らせる玲花。腕を下げて拳を握りしめ、龐統の膝を軽く叩いてくる。

 それを甘んじて受けながら、龐統は内心で苦笑をこぼした。

(――何を望んでいるかは、分かるけどな)

 きっと抱きしめて欲しいのだろう。数年前の彼女は甘えん坊で、よく抱っこされることを望んでいた。彼女を妹分のように思っている龐統としては、満更でもなかった。

 だが――目の前の彼女は、それから数年経ち、大人びているのだ。

 背は高く伸び、顔立ちも幼さを残しているものの、端正。そんな彼女は頬を染めて上目遣いで見て来れば、不覚にも胸が高鳴ってしまう。

 その変化にまだ、龐統は戸惑っているのだ。

 玲花のひたむきな気持ちにも気づいてはいるのだが――。

「嫁入り前の娘が、迂闊にそんなことをするな。もういい歳なんだぞ」

 そう言ってごまかしてしまう。玲花は拗ねた表情のまま、龐統の膝をまた殴る。

「……士元なら、別にいいのに」

 微かな玲花の声を聞こえないふりをして、龐統は玲花の頭を丁寧に撫でる。髪を丁寧に梳くと、少しは気持ちが伝わったのか、彼女は仕方なさそうに吐息をついて頭を傾けた。

(臆病だな、俺は)

 苦笑を浮かべつつ、しばらく頭を撫でていると、ふと玲花が視線を上げる。

「そういえば、士元――ずっとここにいるわけじゃないよね」

「ん? ああ、そうだな。十中八九、この辺の戦場になるだろうし」

「んー、そうだな、いくつか候補があるけど」

「で、どこに行く?」

 玲花は龐統の隣に居場所を移し、肩に軽く寄りかかりながら楽しそうに続ける。

「貴方と一緒なら、どこでもいいよ。私は貴方と一緒にいたい」

「……っ、はは、それは嬉しいな」

 真っ直ぐな言葉に胸が高鳴るのをごまかし、龐統は思考を巡らせて口を開く。

「となると――そうだな、河北は避けるべきか」

「ん……士元が行くなら、ついていくけど」

 玲花は姿勢を直すと、少しだけ視線を逸らして続ける。

「――ちょっと、そこは避けたいかも」

「だよな」

 玲花の事情を鑑みると、そこは仕方ないことだ。龐統は一つ頷いて選択肢から除外する。そうなれば、ほとんど答えは限られる。

「そうなると交州か揚州だけど……どちらがいいかな」

 現実的に考えるならば、交州が一番だろう。

 乱世真っ只中の中原に比べると、比較的平穏であり、様々な名士が流れ着いているという。交阯太守である士燮がきちんと治めているようだ。

 避難先としては充分――だが、龐統は正直乗り気ではない。

(士燮もかなり曰く付き、というか、胡散臭い人物なんだよな……)

 十数年前まで交州を統治していたのは朱符という人物だったが、彼は苛政を敷いたために恨みを買って現地民に殺されてしまう。そこで事態を収拾したのは士燮だった。

 彼は一族を交州の各地に配し、安定化。寛容な政治で民衆の支持を得ている。

 歴史上でも彼は高い評価を得て、後に越王と呼ばれるようになるのだが。

 この時代を生きている龐統は違和感を覚えていた。

(朱符の苛政の混乱から立て直すのが、あまりにも早すぎる)

 旅をしている間に見聞きしてみれば、士燮は商人たちと繋がりが深く、武器などを取引していた。同時に奴隷なども扱っているという話も聞く。

 証拠はないがあまりにも怪しく、龐統は朱符の殺害が士燮に仕込まれたのではないかと疑っていた。つまり、現地民に武器を横流しして殺させ、その後釜に収まる。一種のマッチポンプである。

(とはいえ、揚州もまだ安定していないし、これから孫権は曹操と戦うわけだし)

 非常に悩ましい選択肢だ。龐統は腕を組んで悩んでいると、屋敷のどこからか黄夫人の声が聞こえた。

「おかえりなさいませ、旦那様――それと」

「はい、ただいま戻りました。客人がいるのでご案内します」

 諸葛亮の声だ。客人がいるのか、複数の足音がする。玲花は眉を寄せると、音なくするりとその場で立ち上がる。

「――念のため、下がっておく。士元」

「ああ、その方がいいだろう」

 龐統も嫌な予感を感じていた。背筋を正して部屋の出入り口を見やると、諸葛亮が姿を見せた。龐統と目が合うと、にこりと微笑んで見せる。

「戻りました。士元」

「ああ、お疲れ様だ――ところで、客人がいるようだが?」

「ええ、士元にぜひお会いしたいという方が」

 諸葛亮はにこにこと楽しそうな笑顔を見せている。

(こういうとき、大体こいつ、何か企んでいるんだよな……)

 玲花はすでに席を立っている。龐統も続けば良かったと少し後悔しながらも諸葛亮を見やって促す。彼は一つ頷いて振り返った。

「どうぞ、お入りください――殿、元直」

「うむ、失礼しよう」

 その穏やかな声に表情を引きつらせる。諸葛亮が殿と呼ぶ人物など一人しかいない。

 果たして姿を見せたのは徐庶、それと一人の男性だった。一見するとどこにでもいるような風貌だが、耳だけは一人よりも大きく感じる。目元は柔和な雰囲気であり、どこか人懐っこい印象を覚える――彼が、劉備玄徳。

 龐統はゆっくりと腰を上げると、劉備が先んじて拝礼して見せる。

「ご高名はかねがねお伺いしている。龐統殿――いや、鳳雛先生」

「こちらこそ。劉備殿の活躍は田舎でも耳にしております」

 龐統は焦らずに拝礼を返しながら、内心で舌を巻いた。

(速攻で下手に出て来るのか。人たらしだな、この人は……)

 今に至るまで拠る地を持たない、流浪の劉備であるが、名声はかなりある。一応、朝廷からは豫州刺史に任じられており、要するに州の長官くらいの偉さなのだ。

 そんな人物から丁寧に挨拶されれば、並大抵の人物なら良い気分になる。

 龐統もわずかだが、少しだけ心が揺れ動かされてしまったくらいだ。

(一応、歴史に名を残している偉人の一人だからな)

 龐統はそう思いながらも無表情に徹する。一方で劉備はにこりと笑みを浮かべて告げる。

「先生とお話したく、諸葛亮に無理を言って来させていただいた。よろしければ、少しばかり天下について語り合わないかな。龐統先生」

「構いませんよ。仕官には応じられませんがね」

 龐統が素っ気なく言葉を返すと、劉備は軽く笑い声をこぼした。

「ええ、もちろん――孔明や元直から聞いた通りの方のようだ。先生は」

「さて、孔明と元直から何を聞いたのやら」

 龐統は視線を友人二人に向ける。徐庶は視線を逸らし、諸葛亮は意味ありげに微笑む。一体、何を劉備に吹き込んだのだろうか。

 龐統は小さく嘆息すると、諸葛亮は咳払いをして部屋の奥を手で示した。

「さぁ、殿、士元も。奥で話しましょう」


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