「何それ、気持ち悪いよ。私、玲さんとの婚約当時は中学生だよ。なんで、そんなロリコンと私を婚約させたの?」
(ロリコン男なんて、時計の秒針と分針に挟まれて潰れてしまえば良いのに⋯⋯)
私は祖父の前では必要以上に口調も含めて子供っぽくなってしまう癖があった。それは、どこか祖父がそんな私を望んでいるような気がしたからだ。
「ロリコンって⋯⋯たった、7歳しか変わらないじゃないか。曽根崎君が完璧過ぎて引け目を感じて揚げ足をとりたくなる気持ちは分からないでもないが⋯⋯」
「別に私は彼に引け目なんか感じてない。ただ、玲さんが嫌いになったの⋯⋯」
(『柏原凛音⋯⋯お前は本当に人として終わってるな。顔だけは好みだったから躾るだけだと思ったのに⋯⋯』)
最初に時を戻る前に玲さんに言われた言葉が頭を離れない。
玲さんはわざと顔だけ好みの中学生に婚約を申し込んだのかもしれない。
まだ、中学生の私なら自分好みに躾られると考えたに違いない。
(確か『源氏物語』の光源氏も幼い紫の上を自分好みに育てて手を出したよね⋯⋯)
一度浮かんだ疑念と共に、最初に時を戻る前の行動を思い出す。私は確かに玲さんから受け取ったスポーツドリンクを飲んで意識が遠のいた。あのペッドボトルの中に毒が入っていたとしたら、私は二度も玲さんに殺されている。
「好きや嫌いなど、そんな感情に囚われて何になる。今日は誕生日だというのに七海さんも帰って来なかったら、むくれているだけだろう」
「えっ? 何でその事をお爺ちゃまが知ってるの?」
祖父は私の問いかけに、あからさまにシマッタという顔をした。
愛人宅に入り浸る父と違い、母が帰って来なかったのは初めての事だった。私はその事で、時を戻る前に母と口論になった。タイミングよく母のスマホに母が推しているモデルの東雲亮平から『僕なら幾らでも話を聞きますよ、また、あのホテルで会いましょう』とのメッセージが届いた。
それを見た私は脳が一瞬で沸騰し、母が娘の誕生日を無視して不貞行為に及んでいたと思い母を罵詈雑言で責め立てた。
母はホテルにいた事は事実だが悩みを聞いて貰っていただけだと私に縋り付くように弁明した。私はその言い訳を信じず、それから母を徹底的に無視した。そして、母も私の軽蔑の視線を避けるように家に戻らなくなった。
(本当に話を聞いて貰ってただけで、何もなかったんじゃ⋯⋯)
自分が玲さんにHIROとの仲を疑われたせいか、母親の不貞行為も私の勘違いだった気さえしてきた。
「はぁ、仕方ないな。凛音には話しておこう。私は清十郎と七海さんを別れさせるつもりだ。元々、清十郎にはちゃんとした婚約者がいたんだ。それを、妊娠を武器にあの下品な嫁は結婚を迫ってきた」
私には祖父の話は初耳だった。
私は母から大好きな父の希望で短大卒業と同時に結婚したと聞いていた。対外的にも母はそう話している。
(デキ婚だったって事?)
「下品な嫁って、私のお母様の事だよね⋯⋯私もお爺ちゃまにとって下品な存在?」
絶対的な味方だと思っていた祖父の攻撃的な発言に私は不安になってきた。
その不安を察するように祖父は私の隣に座り直し、まるで幼い子を宥めるように髪の毛を撫でてくる。
「そんな訳ないだろう。凛音は私にとって血の繋がった大切な孫娘だ」
「そう、良かった⋯⋯。それで、どうしてお母様が昨晩帰って来ない事を知ってたの? もしかして、ハニートラップをお母様に仕掛けた? 別にお父様の有責でもお金を渡せば円満に別れられると思うけど⋯⋯」
私は母と父の馴れ初めを母から何度も聞かされている。
母は自分のファッションコーディネートをSNSで披露してある程度有名になっていた。父は自分のブランドの宣伝に母を使おうと自ら母に連絡をとった。母は父からのファーストコンタクトを『運命を変えたメッセージ』と呼んでいた。
そこから仕事で会う事を重ね、お互い意気投合し交際に発展したと聞いている。父と結婚してからの母は、結婚前のようにブランドの服にファストファッションを織り交ぜたコーディネートを紹介する事はなくなった。
自分のセレブな生活を必死にネットでアピールする母を見て、私は周囲と同じように父のお金目当てで結婚したのだと思っていた。
「なかなかアレは面倒な女で離婚に応じようとしなくてな。下手に無理やり離婚させて可笑しな事を風潮されても困るし、こちらも扱いに難儀しているんだ」
祖父がうんざりしたように母にハニートラップを仕掛けた種明かしをしてきた。母がモデルの東雲亮平を推している状況を利用し、彼と母を偶然を装い接触させる。そして、芸能人だから人目に触れては困るという名分で母をホテルの一室に呼び出したらしい。母は浅はかな面があるので、好奇心だけでリスクも考えずホテルに行きそうだ。
「酷いな、お爺ちゃまは⋯⋯。わざと、そのハニトラ計画を私の誕生日にぶつけたでしょ」
私は信じていた祖父までも私を利用するだけで、私の感情を無視している事実に涙が出そうになった。
父に見捨てられた母にとって、娘の私は最後の砦だった。
私に母を見放させ、娘の誕生日に他の男とホテルにいた消せない罪悪感と事実で離婚に持ちこもうとしたのだろう。
「そう、拗ねるな。凛音も、もっとちゃんとした母親の方が良いだろう」
「私はお父様になんかについて行かないよ。あの人、3年も浮気して愛人宅に入り浸っているんだよ」
私は意を決して父の浮気を祖父にバラしたが、予想外に一笑された。
「なんで、笑うの? 男と女の浮気は違うって事?」
「違うのは身分だ。清十郎が外に女が何人いようと構わん」
私は初めて祖父と話が通じないと思った。
身分制度など当の昔になくなっているなどと彼に主張しても無駄だ。
誰もが彼に頭を下げて、媚びている。
祖父は生まれながらに選ばれた人間だという自信に満ちていて、私もそれを否定できるような材料はない。
「私は浮気をするような男の人は嫌だよ⋯⋯」
「凛音は何も心配する事はない。曽根崎君はお前にずっと一途だったし、最近には珍しく誠実な青年だ」
玲さんの名前が出てきて、私は恐怖で身震いした。
「あ、あのね⋯⋯本当に玲さんとの婚約を破棄させて欲しいの。あの人ね、私を盗聴とかしたり隠しカメラで監視しているんだよ。私、玲さんが怖いよ。お爺ちゃま、お願いだから彼との婚約を破棄させて」
私は祈るような思いで祖父に玲さんの秘密を打ち明けた。