「採用って事で宜しいですか?」
私の言葉に社長らしき人と美湖ちゃんの父親が顔を見合わせる。
「⋯⋯流石にこのレベルを見せられるとは思わなかったかな。しっくりくるというかレベルを引き上げて貰えるというか、取り敢えず気持ち良すぎたわ。天才美少女に完敗でしょ」
草井奈美子は頭をかきながら苦笑いをしていた。
「いや、こちらとしては柏原さんを採用したくても、黒蘭学園は芸能活動はおろかバイトも禁止しているよね」
美湖ちゃんの父親の言葉に私はため息をついた。
学校のルールがあるのかもしれないが、そのようなものはどうにでもなる。
「美湖ちゃんのお父様、私、給与はいりません。学校に関してはボランティア活動として芸能活動を認めさせるので問題ないです」
「僕が美湖の父親ってどうして知って⋯⋯」
私は自分の失言にハッとした。
時を戻ったのは私だけで、彼と私は面識がない。
私は気まずくなり俯いて黙りこくってしまった。
「もしかして、柏原さんは美湖の友達? 美湖、学校で友達ができなくて悩んでると言っていたのに、こんな素敵な友達ができていたのか」
美湖ちゃんの父親の言葉に、彼女の事を堪らなく羨ましく思った。
彼女は親に悩み事を相談できて、彼女の父親は彼女の事を心から心配している。私が願ってもない環境を彼女は持っていて、だから彼女は私にはない優しさを持っているのだという事実を突きつけられる。
「私は美湖ちゃんの友達なんかじゃありません!」
穏やかに笑顔を向けてくれた美湖ちゃんの父親の顔が曇る。
しかしながら、この時間軸で私は彼女と友達になれていないのは事実だ。
(私だって、美湖ちゃんとまた友達になりたいよ⋯⋯)
「でも、今度生まれ変わったら男になって美湖ちゃんと結婚したいくらいには彼女が好きです!」
私は思いのままに美湖ちゃんへの気持ちを打ち明けた。
その時にHIROの溌剌とした笑い声が響き渡った。
「ハハッ! こんな可愛いのに男に生まれ変わりたいとか言っちゃうの? 才能もあって面白くて、何で君が曽根崎玲の婚約者なんだろ⋯⋯」
玲さんの名前がHIROの口から紡がれる。
「なんで私が玲さんの婚約者だって知ってるの?」
私が投げかけた疑問にHIROは目を逸らしながら答えた。
「柏原七海のブログに書いてあったし⋯⋯」
HIROの言葉に私はため息をついた。
私の母親、柏原七海にとって私は自慢の存在だ。
業界最大手の製薬会社のイケメン御曹司の婚約者を持ち、お嬢様学校に通いピアノの才能もある美少女ということになっている。
実際は人殺しの婚約者で、学校ではボッチで赤点連発の問題児の娘だ。
私は自分のプライベートを虚構混じりで母がブログで語っているのが嫌で仕方がなかった。
恥ずかしい上に居た堪れない娘の気持ちを彼女は全く理解してない。母は父が浮気してからネット依存になり、私とはろくに会話もしなくなった。それなのに、ネット上では理想の母親を演じている彼女に腹が立って仕方がない。
HIROがアラフォーの母のブログをチェックしているのは不自然だから、私怨がありそうな怜さんについてサーチする過程で私が彼の婚約者である事実にたどり着いたのだろう。
「私、玲さんとは婚約を解消するつもり。ここに来るより先にお爺ちゃまに婚約解消を頼みに行くべきだったわ」
私は優先順位を間違えた。
HIROを助けようとするより先に自分の命を守る行動をすべきだった。
私がスタジオを出て行こうとすると、すれ違いざまにHIROに手首を掴まれた。彼に襲われそうになり手首を拘束された記憶がフラッシュバックする。
「な、何するのやめて! 私に触らないで!」
私は咄嗟に彼の手を振り払い、震える右手を反対側の手で隠した。
「いや、ただ連絡先を聞こうと思っただけで⋯⋯なんで、そんなに怯えて」
HIROが明らかに戸惑った顔をしている。
「私、スマホ持ってないから⋯⋯バイバイ」
私は冷たく言い放つとその場を去った。
♢♢♢
私の父方の祖父は泣く子も黙る柏原源十郎だ。
家のことや、父の会社のことでさえ祖父にお伺いを立てる事になっている。
柏原グループの会長である祖父に会いたいと本社の受付で伝えると、私は直ぐに会長室に通された。
「どうしたんだ凛音! 急にお爺ちゃまに会いたくなったのか? そういえば、今日は誕生日だったな。凛音、17歳の誕生日おめでとう」
祖父は周囲には厳しいが私には非常に甘い。社報の写真はイカついヤクザの親玉のような顔で写っているのに、私の前では蕩けたデレデレお爺ちゃまだ。
私が笑顔で頷くと、祖父は嬉しそうにしていた。
私が願えば玲さんとの婚約も解消してくれるだろうと鷹を括っていた。
革張りの黒い応接ソファーに座ると、秘書の方が冷たいルイボスティーを出してくれる。口をつけると苦味の中にほのかな甘さが口に広がった。どうやら相当喉が乾いていたようだ。私は落ち着いて、婚約解消の話を切り出すことができた。
「お爺ちゃま、久しぶり! 今日は曽根崎玲さんとの婚約を解消して欲しくて来たの!」
私の言葉が余程予想外だったのか、祖父は首を傾けた。
そして、秘書に何かを耳打ちして下がらせる。
私がまた我儘を言うと思って身内の恥を周囲に晒さない予防策だろう。
「曽根崎君と喧嘩でもしたのか? 何かあったとするなら、それは凛音の方に問題があったんじゃないのか?」
事情を話す前に当然私に問題があるのではないかと話す祖父を見てため息が漏れた。
優秀で完璧な玲さんと問題児で我儘な孫娘。
孫可愛さに目が曇らない程、私と玲さんでは信用性に天と地ほどの差がある。
「私、玲さんに大切にされてない⋯⋯」
絞り出すように祖父に伝えた言葉は、あまりにも弱かった。
でも、『曽根崎玲に殺された』などという事実を伝えても頭がおかしくなったと思われるだけだ。
「そんなはずないだろう。曽根崎さんは3年前、お前を何より大切にすると魂に誓うとまで言って婚約の申し入れをして来たんだから」
初耳だった。
私は自分の婚約を両社の利害関係の一致による政略的なものだと思っていた。
それが、まさか玲さんからの申し出によるものだとは夢にも思わなかった。