ミリアと比べても大差ないくらいの大きさのトロッタの肉を厚さのある剣に近いもので切り分けていく。この厨房ではこれで肉を切っているようだ。それが、なぜわかったのかというと、料理長が無言でその刃物を渡してきたから。あまり話さない人みたいで、無言でフォローをしてくれる。
その無言フォローも、なんだか恥ずかしいからそうしているのかと思ったら愛らしくなってくるものだ。
肉を筋にそって切り分けていく。そうすることで、綺麗に刃物が入っていくからだ。切り分けたものはまだ片手で持てないほどの大きい状態だ。並べてある刃物の中から別の刃物を取り出す。切れ味のよさそうな薄刃の物を選んだ。
トロッタの肉へ繊維を断絶するように刃を入れていく。こうしていくことで、味が染みる。その上、筋を感じにくくなりホロホロの触感になるのだ。
横で見ていたミリアがなんだかソワソワしている。その理由はなんとなく察してた。なにか手伝うことがないかと思ってくれているのだろう。小さいナイフがないからどうしようかと迷っていた。あまりに大きい刃物は振り回される危険がある。
「料理長、小さな刃物はないですか?」
「ん?」
俺の言葉に「なぜだ?」という疑問の声が聞こえてくる気がしたが、視線の先のミリアを見て察してくれたようで刃物のたくさん入っている棚を開けて探してくれた。厨房の上に並べてあるもの以外にも刃物があったようだ。最初から聞いておけばよかった。
小ぶりだが立派なナイフを出してくれた。ミリアはナイフを見ると目を輝かせて俺の方へと視線を巡らせる。
「ミリアが使っていいと言ってくれているぞ」
「やったー! なにをきる?」
いつもは漬物を切ってもらっているのだけど、他に切るものがあるだろうか。漬物のようなものがあればいいのだが。
料理長へと視線を送ると冷蔵庫の方へと行き、何かを探してくれている。子供が切れるようなものを用意してくれるみたいだ。
緑の棒状のものが三本ほど手に握られている。この世界のキュウリだ。これを切らせようということだろうか。ミリアが調理するにはちょうどいい材料だ。こんなに俺の意図を汲んでくれる料理長はエスパーではないかと思ってしまう。心を見透かす能力でもあるのだろうか。
ミリアは飛び跳ねて喜ぶと、料理長が踏み台を持ってきてくれた。何かを入れる木箱のようだがいいのだろうか。視線を送り目礼する。わずかに微笑んで頷いてくれた。
セバスさんに厨房を任されているというだけで信用できる人なのだなと思っていたが、人としても料理人としてもできた人のようだ。こんな人に出会えてラッキーだと思うことにした。
暗いことばかり考えていても仕方がない。あの忌々しい火事がこういう新たな出会いを運んでくれたのかもしれない。そう思ったら今の状況も必然なのではないかと思えてくるから不思議なものだ。
踏み台に勢いよく乗ったミリアは教えた通りに左手を丸めて添え、ゆっくりとキュウリを切っていく。料理長はそれを目を見張って凝視していた。この歳でこんなことができるなんて、と思っているのかもしれない。そう考えると、俺は得意げな気分になる。
「この切り方、あんたが教えたのか?」
「えぇ。ミリアは飲み込みが早くて」
料理長は腕を組みながら感心したように時折頷いて眺めている。俺は、トロッタの肉を切り分けて鍋へと投入していく。調味料置き場から醤油とみりん、料理用で使っているであろう酒を取り、少しずつ入れて水を流し込む。
「それは煮物か?」
「そうです。俺の師匠から教わった料理です。一番力を入れていると言っても過言ではありません」
「調味料は好きに使っていい。この子がいうトロッタを私も食べてみたい」
有難い申し出だった。このトロッタの肉を煮詰めると、結構な量の調味料を使うことになるからだ。許可をもらったのでドバドバと鍋へと投入していく。砂糖も入れていく。子供達は、甘めが好きだからだ。
生姜があるか聞くと保管庫の方へと案内してくれた。そこには、見たこともないような野菜や果物が保管されていた。さすが、セバスさんだと感心してしまう。どこかで仕入れたのか、それとも自分が依頼を受けて行ったところから収穫してきたのか。
お目当ての生姜は手前の方に置かれていて、料理長が取り出してくれた。ふわっと鼻に特有の匂いが香る。匂いが強くていいものだとわかる。
鍋の前へと行くと生姜を薄く切り、細く刻んでいく。これをトロッタ煮の上に添えると格段に美味しさが変わるのだ。それは、トロッタ丼を作ったことで学んだ。
料理は正解がないし、どこまでも美味しくできるものだと俺は思っている。それを追求していくのが料理人なのではないだろうか。
火にかけられている鍋から香ばしい醤油の香りと甘い香りが漂う。料理長が鍋の上を手で仰ぎ、匂いを自分の方へと呼びよせている。頷きながら俺の方へと視線を向け、口を開いた。
「調味料の配分は、だいたいでやっているのか?」
「自分の感覚です。この肉の量だとこのくらいという感じですね」
答えに納得したのか深く頷きながら下がって調理しているところを眺めている。まな板を洗い流して、ナイフも洗う。そうこうしているうちに、ミリアがキュウリを切り終わった。それを見ていた料理長が金属でできた器を持ってきてキュウリを入れる。
冷蔵具から何やら透明な液体を出してその器へと入れていく。その上に布を被せて石を乗せた。これは、漬物を作っているということか。ウチで出している漬物は液に漬けるだけだが、ここでは重りを乗せて味を染みこませているのだろう。
「リューちゃん、おなかすいたー」
「もう少しだから待ってようなぁ」
料理長がどこかへ消えたと思ったら再び現れ、その手には赤い実のようなものが握られている。ナイフを取り出すと切り分けていく。
ミリアに少し黄色がかった実を渡すと、恐る恐る口に運んだ。シャクッという実のおいしそうな音が響き渡り一回、二回と口を動かす音に小気味のいい音がする。だんだんとミリアの顔が華やかになっていった。
「あまくておいしい!」
料理長は何も言わずに、笑顔で頷いている。子供のことをよくわかっているように感じる。お腹がすくと待たせるのもかわいそうだものな。
トロッタの肉がいい感じの柔らかさになったところで火を止める。できたことを告げると料理長はスプーンを取り出し、肉ひとかけらと煮汁を掬い小さな皿へと移す。
肉を口へと運び、煮汁も一気に流し込んだ。目を瞑って味わっている料理長の顔が少し緩んだのを感じた。気に入ってくれたのか気になったが、口を開くのを待つ。心臓が激しく動いているのは、自分の料理がこの人にどう評価されるのか。それが気になっているからだろう。
「……うまい。抜群の味付けと、煮ている塩梅がいいな」
いい評価でよかった。
ホッと胸を撫でおろす。
「よかった。では、みんなを呼んできます」
「その必要はないと思うぞ」
どういう意味だろうかと疑問に思いながら厨房を出ると、執事さんに連れられてもうみんなが集まっていた。さすがは、仕事のできる執事さんだ。
「家にいる方達、皆で食べませんか?」
俺がそう進言すると、執事さんはニコッと笑い「畏まりました」と言って使用人の人を呼びに行ってくれた。
さぁ、みんなで食べようか。
みんなの口にも合うかな?