「いらっしゃいませー!」
魔法ショーを見た翌日。いつも通りに接客してくれるアオイ。その視線の先には、以前彼女にフラれて雨の中立ち尽くしていた男の子がいた。男の子と行っても、俺から見てそうだというだけで。アオイと大して変わらない年齢だろう。
「アオイさん、相変わらずお美しい。この席でいいですか?」
「……はい。そこでいいです」
アオイはあからさまに変な奴が来たといった感じで対応していた。俺はそこまで悪い人には思えない。むしろ、サクヤとアオイには楽しくていい人なんではないかなと。そう思っていた。
最初に声をかけて店に来た時、俺は結構気に入っていたんだ。理由をいうならば、それは一途だということ。サクヤにしても、アオイにしても、俺はその人だけを見て欲しいと思っているから。
親バカなような感じになっているかもしれないが。俺には、そう感じるんだ。
「おう。元気か? その後はどうだ? この前の人は吹っ切れたか?」
「はいっ! 元気っす! 前の人も吹っ切れました! 今のオレの心は、アオイさんとサクヤさんへ向いています!」
晴れやかな顔で快活に答えたお兄さん。
「はははっ! そうか。それはいいことだ」
俺の言葉に怪訝な表情を見せるアオイ。カウンターから厨房の方へとやってくると、首を傾げた。
「リュウさん? なんか変なこと考えてますわ?」
「いや、アオイとサクヤを好きだという気持ちを利用するのは、申し訳ないのだが。お弁当配達事業を始めようと思う。それには、仕入れの安定と配達員が必要だ。その配達員をやってもらえないかと、打診したかったんだ」
「そういうことですの……まぁ、悪い人ではないのですけど」
アオイには通常通りに対応するように伝えて他のお客さんの料理を作る。料理を作って美味しいと言ってもらえることが生き甲斐なんだ。それはずっと変わらない。
この男性にも、配達することを通して自分の生きがいのようなものを感じて欲しいんだ。
「アオイさん! トロッタ煮をお願いします!」
「リュウさん、トロッタ煮でーす」
「あいよぉ」
トロッタの肉を鍋へと投入する。そして、調味料を入れて煮立たせる。その間に、少し話をしようか。
「いきなりですまんが、お兄さんはどっかで働いているのかな?」
「あー。それが、失恋と同時に職を失いまして……」
苦笑いをして頬を掻きながらトホホと笑いながらそう言う。やはり悪い人ではない。ただ、恋愛が仕事に直結してしまうというのは少々心配だけど。
あれだけどん底になっていたらそうなのかもしれんな。もう仕事どころではなかったんだろう。なんだか、お兄さんが不憫でならなくなってきた。
「そうか。この食堂な、お弁当が好評だったんだ。それで、配達をしようかと思っていてな……」
「そうなんですか。あっ。自分、シグレっていいます。注文を受けて配達するんですか?」
急に真面目な顔になった。仕事の話になったからかもしれない。
「あぁ。だけどなぁ、実は食事をとるのに困っている、作れなくて困っている人に配達したいんだ」
「なるほどぉ」
顎に手を当てて何かを考えているような素振りを見せている。もしかして、何か当てがあるのだろうか?
少し期待に胸を躍らせる。もし誰か困っている人がいるのだとしたら、その人から支援の輪を広げられるかもしれない。
オヤジの協力者求むと書かれている張り紙をジッと見つめている。それを指して「あれ、やればいいじゃないですか」といってこちらに視線を向けた。
「どういうことだ?」
「街にも張らせてもらうんですよ」
以前に、江戸時代でも立札のようなものがあったと思い、そういうやり方をすればいいと思いはしたが。実際に街に立っているものなんてない。勝手にできないものだと考えてしまっていたんだ。
アオイに呼ばれたため、厨房へと一回戻る。トロッタがいい感じに煮えていた。器に乗せてご飯を盛り、付け合わせの漬物を乗せてお盆を運んでいく。
トロッタ煮のあまじょっぱい匂いが鼻を抜ける。
シグレさんは目を瞑り大きく息を吸い、匂いを楽しんでいるようだ。
息を吐きながら俺の持ってきたお盆を受け取る。
「んー! いい香りですね!」
手を組んでお祈りをすると、大きなトロッタの肉を頬張る。ホロリとほぐれて半分が箸に残った。それに目を見開いて驚いているよう。
前回食べた時はかき込んでいたからここまで味わっていなかったのかもしれないな。今日は味わうことのできる精神状態だということだ。それはいいこと。
「街のどこに張れるんだい?」
「お店に張ってもらったらどうですか? 【お弁当いかがですか? こども食堂『わ』】 とかどうです?」
おぉ。なんと、もう張り紙のキャッチコピーを考えてくれたのか。【お弁当いかがですか】それで困った人が来てくれるだろうか。
少し黙り込んだのが気になったみたいでシグレさんは口を開いた。
「困っている人きてくださいというのでは、来ないと思いますよ? 本当に困っている人って、自分が困っているってわかっていないと思うんです」
シグレさんは困っている人のことをよくわかっているんだな。経験があるのか。それとも、自分が困っていたからか。
「手を差し伸べられて、初めて気が付くんです。あっ、自分がいっぱいいっぱいだった。困っていたんだって」
「よくわかっているんだな?」
「自分もおやっさんたちに助けられましたし。街にいる人たちは、余裕のない人が多いです。自分の知っているだけでも三人います。助けたいなと思っている人が」
その人たちの話を詳しく聞きたいな。お客さんもまばらだし、座って話を聞こうとしたらトロッタ煮を無我夢中に食べ始めた。
「いらっしゃいませー。六名様ー」
大所帯のお客さんがおこしだ。これはしばらく話を聞けないな。シグレさんが帰るまでずっとバタバタと忙しい時間が続いた。話はまた営業時間外へ延期して一旦帰ることにしたようだ。