売れ行きが好調な中、嬉しいお客さんがやってきた。
「おぉぉ。なんか面白いことをやっておるのぉ」
「おやっさん。来てくれたんですね。有難う御座います」
頭を下げると笑顔で手を上げてお疲れ様と労ってくれた。
後ろには奥さんもいて、手を振ってくれている。
自分の時はこんなことしなかったと言って感心してくれていた。
奥さんも「こういうのをやればよかったのねぇ」と感心してくれている。自分も試行錯誤でやっていることだが、おやっさんに認められるのは嬉しいことだ。
「お祭りのときにお弁当のぉ」
腕を組んでお弁当のラインナップを見ながら頷いている。シチュー丼は初めて見たといい、漬け丼はいい考えだと褒めてくれた。そして、最後におやっさんの目に留まったのはトロッタ丼。
ジッとみて、上に何が乗っているか、何を肉の下に敷いているのかというのをみているのかもしれない。俺の心臓が飛び出るのではないかというくらいに暴れていた。
街の雰囲気はとても楽しい雰囲気なのに、俺のところだけが、極限の緊迫感でいっぱいだった。そう感じているのは俺だけかもしれないが。
「おじいちゃん、だあれ?」
ミリアが唐突に疑問を投げかける。俺が親しげに話していたのが、気になったのかもしれない。
おやっさんは、膝に手をついて中腰になるとミリアの目を見つめた。
おやっさんを見つめるミリアの目は好奇心でいっぱいだ。一時の死んだ目はもうどこへいったのやら。
「ワシはな、コテツというんじゃ。お嬢ちゃん、いい目じゃ。今が楽しいという目をしておる。リュウ。この子は?」
「ミリアといいます。実は、親がこの子のことをほったらかしにしていて、やせ細っていたんです。どうしても見ていられなくて。引き取ることにしたんです」
その言葉を聞いたおやっさんは眉間に皺を寄せて顔をしかめた。おやっさんたちにも子供がいる。だから、そんな仕打ちをする親が理解できなかったのかもしれない。
「ほぉー。そうか。ミリアちゃんや、今が楽しいかい?」
おやっさんが問いかけると、ミリアは頷き満面の笑みを浮かべた。
「うん! ミリアね、うったりするのはじめてなんだよ! でもね! すごくうれるの!」
今というのが、本当に今のことだと思ったようだ。おやっさんが問いただした今というのは、厳密にはここ最近の生活はという意味だったのだが。
それをくみ取れというのも酷な話だろう。仕方がないと思う。
おやっさんも嫌な顔をせずに、笑みを浮かべて嬉しそうにしていた。
「ホッホッホッ。そうか、そうか。よかったなぁ。楽しいのが一番じゃよ」
頭に手を乗せて優しく撫でると、ミリアはくすぐったそうに目を細めた。自分のおじいちゃんとはあったことがないだろうが、なんとなくおやっさんとの会話でおじいちゃんとは優しい人だということがわかったのかもしれない。
急に甘えだしたのだ。
心の距離が一気に縮まったのだろう。
「おじいちゃん! いっぱいかっていって!」
急におじいちゃんと呼び始めて、テーブルから歩み出ておやっさんのズボンの裾を引っ張っている。
「ホッホッホッ。こりゃ困ったのぉ。ばあさんと二人だからのぉ。二つでいいんじゃが……」
「いいよ! ミリアは、シチューがすきなんだよ!」
これには困ったおやっさん。シチューは未知なるものだったようで、あまり手を付けたくなかったのかもしれない。さっき、眺めながら「これはなんなんじゃ?」と小声で発していたからな。
俺的には、おやっさんにはトロッタ丼を食べてもらいたい。何せ、試行錯誤の末にようやく安定した味付けだし、生姜をのせていることでさっぱりもする。出来はまだまだだが、これが今の限界値だ。
今の限界値の味を食べてもらいたい。
おもむろに手を伸ばしてシチュー丼を二つ。漬け丼を二つ。トロッタ丼を二つ。少し重いだろうに器をもって会計用のテーブルへと持ってきてくれた。
「こんなにいいんですか?」
「息子と孫の分も買っていくんじゃ。ただのぉ、味見をしたいんじゃが……」
それは、盲点だった。試食か。それを用意すれば更に売れ行きがいいかもしれない。おやっさん、さすがだ。
すぐに余っていたご飯にトロッタ煮を乗せたものをスプーンに乗せて用意する。生姜をのせることも忘れない。
これなら手も汚れないし、味もしっかりとわかる。
いい。採用しよう。
おやっさんへと渡すと、一口で口の中へと入れる。すると、目を瞑って咀嚼しだした。味わって食べている様子。緊迫した空気が辺りを包み込む。俺の周りだけかもしれないが。
俺の心臓がもたないかもしれない。口から心臓が飛び出しそうだ。アレンジの加わっているトロッタ煮をおやっさんはどう思うのだろう?
スプーンを「ありがとう」と言いながらミリアへ返す。そのにこやかな顔から一変して真剣な表情でこちらを見つめる。
「リュウよ……」
ダメだっただろうか。自信のあるアレンジだったんだが。おいしいと思ったんだ。それでも、おやっさんの味には及ばなかっただろうか。
心臓の音がうるさい。早くその続きを話して欲しい。このままだと倒れてしまいそうだ。
「ワシのトロッタ煮より美味いわい」
「本当ですか⁉」
目から溢れるものを我慢するのに精いっぱいだった。俺にとって、先代であるおやっさんの美味しいという言葉は何より嬉しい。これまで試行錯誤を繰り返してきた成果が出たんだ。
「ホッホッホッ。ワシはウソをつかんのじゃ。これは、お客さんのことが考えられているのぉ。トロッタ煮だけだと、トロトロでおいしい。じゃが、その反面飽きる部分が出てくるんじゃ」
そうなのだ。食べ始めは美味しいんだが、食べているうちに飽きてきてしまう。だから、最後は頑張って食べないといけないような感じになっていたんだ。
どうしたら旨味を維持しながら改善されるかというのを考えた末に、生姜の刻みを乗せるというのを思いついた。それを食べてみたらすごくさっぱりしていてよかったんだ。
「リュウのはそれを見事に乗り越えておる。上にのっている生姜がさっぱりしている。トロッタ煮の下に敷いてある野菜の千切りも汁を吸ってうまい」
「有難う御座います」
礼を言いながら、もう目頭から溢れるものを抑えられなかった。最初、おやっさんに認めてもらえたことも嬉しかったのを覚えている。それ以上に、今回のトロッタ煮を褒めてもらえるのは嬉しかった。
おやっさんの味を守っていこう、よりいいものにしようと思って作ってきた結果が今の形だから。今のトロッタ煮を認めてもらえて、ホッと一安心だった。
「リューちゃん、だいじょうぶ?」
ミリアがしたから泣きそうになりながら見上げている。なんでこうなっているのかわからない様子だった。
心配をかけてしまったようだ。あまりの嬉しさに、涙を流してしまった。それに、驚いたのだろう。ダメだな。ミリアに心配かけているようじゃあ。
「大丈夫だ。すまんな。嬉しかったんだ。悲しくて泣いてたわけじゃないぞ?」
「そうなの? それならよかった」
胸を撫でおろしているミリアを見ると、いつの間にか自分以外の人を心配する余裕がでてきたんだなと、それも嬉しく思った。
なんだか、嬉しいことがいっぱいだな。これが、幸せというのかもしれない。
「ホッホッホッ。リュウや、ミリアちゃんを大切にするんじゃぞ?」
「はい。必ず、大切に育てます」
強く頷いて見送ると、奥さんと一緒にお弁当を両脇に抱えて帰っていった。
俺の自信が増した。おやっさんが来てくれて本当に良かった。これから、もっと頑張っていくぞ。