サクヤは母の味を食べた後。
夜営業が始まるとすごくパワフルになった。
なんでも、天から元気をもらった気がしたとか。
俺の料理でそういう気持ちになってくれるなんて嬉しい。これだから料理人はやめられないのだ。
「いらっしゃいませー!」
「おっ! なんかサクヤちゃん、今日は一段と元気だねぇ!」
仕事終わりだろうか。作業着のようなものを来た壮年の男性が暖簾を潜って入ってくるとサクヤに笑顔を向ける。
「リュウさんのおかげです!」
「おやっさん、やるねぇ!」
男性は俺を指さすと、サムズアップして席へと向かっていった。
なんかいらぬ誤解を招いた気がするが、否定するとなんかサクヤが悲しむかもしれない。それなら、流した方がいいだろう。
手を上げて返事をしつつ、料理を作る。
たしかに、いつもよりパワフルだ。
飲んでいる人たちも笑顔で見つめている。
「サクヤちゃんも飲まない?」
たまにこういう人もいる。
サクヤに飲ませようとする輩が。
チラリと会話が聞こえる方へと視線を向けると冒険者ではない。飲食関係の人かもしれないな。服装が清潔感のあるカチッとした感じである。
「仕事中なんでぇ」
「いいじゃない。ねぇ? おやっさん?」
その男性が俺へと話を振ってきた。
サクヤへ命令をしろということだろうか。
そんなことは絶対にしない。
こういう時は、こう答えるようにしている。
「お客さんがサクヤの代わりをやってくれるならいいんですけどねぇ」
「はははっ。そりゃ無理だよ。こんなに元気にできない」
困ったように目尻を下げて口を尖らせながら降参した。
引き下がってくれるからありがたい。
たまに、これにも食い下がってくるお客さんもいるからなぁ。
「ウチ、お酒飲めないんですよぉ。倒れちゃいます」
「介抱してあげるよぉ」
俺が出て行こうかと火を止めた時。
入口の引き戸を開けてやってきた人へ、ちょうどサクヤとお客さんの会話が聞こえたのだろう。
「おっさん、その子に手を出すのはやめときぃ! おやっさんにしばかれるでぇ?」
脅しながら大股でやってきて、席に着いたのはダリル商会のマルコさんだった。
声をかけてきていた男性はバツが悪そうに下を向いて静かになった。
マルコさんは、傍から見たらすごく位が高そうに見える。
実際に大手の商会の会長さんだからな。
マルコさんへとサクヤが近づいて何か言っている。
おそらくだけど、お礼を言っているんだろう。
話終えるとこちらへと近寄ってきた。
「リュウさん、エールとトロッタ煮でーす」
「マルコさんにサービスしますって言っておいてちょうだい」
「ふふふっ。はぁーい」
笑顔を見せるとマルコさんの元へと耳打ちしに行った。
その姿を見た周りの男は怪訝な顔をしている。
うらやましいのかもしれない。
トロッタ煮ができると、カウンターから出て行って挨拶する。
特別扱いするのは、あまり好きではないのだが。
でも、サクヤを助けてもらったのだ。
お礼を言わないわけにはいかない。
「マルコさん、先ほどは有難う御座います」
頭を下げて礼を言う。
「えぇって。困ったときはお互いさまや」
それを何でもないように手を上げて制す。
「先ほどの注文の分は、代金いりません」
そう口にすると、怪訝な顔をされてしまった。
「ワイは、別にサービスされとぉてサクヤちゃんを助けたんとちがうでぇ! みくびらんでや!」
テーブルを叩くと立ち上がった。
そして、目を少し吊り上げて鼻息を荒くしている。
マルコさんは、自分は見返りを求めているわけではない。だからこそ、俺へと怒ったのだろう。
「わかっております。俺の気持ちが収まらないので」
「ほな、しゃあないのぉ」
差し出したエールを受け取ると、一口、二口、ゴクゴクと喉へと流し込み、一気に飲み干した。凄い飲みっぷりだ。
「お代わりや。これは、代金払うからなぁ!」
まだ酔っているわけではないと思うが、顔を赤くしながら声を大きくして俺へと詰め寄る。
それには頭を下げるしかなく、エールをもって再びマルコさんの元へと行く。
「ちょっとお聞きしたいんですけど、マルコさんのところでワサビというものを扱ってますか?」
「……おやっさん、何者や?」
眉間に皺を寄せて、こちらを警戒するような仕草。
なにかまずいことをいっただろうか。
ワサビはこの世界ではタブーなのか?
「えっ……と? ただの料理人ですけど……?」
「ワサビいうんは、勇者シリーズでもVIPのみぞしるものや」
どうしたもんか。
ワサビがまさかそんなものだったとは。
だとすると、入手は無理か?
「誰かに聞いたんだとすれば問題や」
ヤバいなぁ。
変に疑われてしまったか?
処刑とか言われるのだろうか。子供達を残して死ねない……。
「っちゅうんは建前でなぁ。よく知ってるやないか。あれは癖になるんよなぁ」
「えぇ? その……ちょっと、新作に使いたくて……」
「えぇでぇ、けどなぁ。ちょっともらうで?」
人差し指と親指で輪っかをつくり、お金を連想させるジェスチャーをしてくる。
だが、俺は決めた。ワサビに出費は仕方ない。
あれは、必要なものだ。
「大丈夫です。ちなみに、どういう単位での売り方ですか?」
「一瓶、大硬貨三枚や」
それは高い。
あの辛さを求める人がこの世界にも一定数いるということだ。
俺も好きだからなぁ。
「せやけどなぁ、この店のためや。大硬貨一枚でえぇ」
「いやっ! それはさすがに、マルコさんがまずいのでは?」
「大丈夫や! 心配せんでも、潰れんから!」
そこまでのご厚意に甘えたら申し訳ない。そう思う気持ちと、ありがたい。これからもお願いしたいという気持ちでいっぱいだった。
「ありがとうございます」
「えぇって。ワイはな、おやっさんの心意気に惚れてんねん」
肩を叩いて元気づけてくれる。
ありがたい。
こういう方を大切にせねば。
ただ、他のお客さんをないがしろにしていいのかというと、それはまた違う気がするしな。
「これからもお願いします。それでなんですけど、新作を食べていきませんか?」
「なんや? 食べたいのぉ」
食べてくれるというので、他の人にも配ることにした。
「みなさん! いつもここをご愛顧頂いて有難う御座います! これより、新作を配ります! どうぞ、ご賞味ください! もちろん、お代は頂きません!」
今いるお客さんへそう声をかける。
口々に「よかった」「得したな」などと声をあげていた。
嬉しいことである。
サクヤに配ってもらいながら、自分も一緒にお客様へとシチューを配っていく。
俺たちからしたら特別なものではないが、この世界では珍しいらしい。
サクヤの母親がレシピを知っていたのが珍しいのだ。
そういう兼ね合いもあって涙してしまったのかもしれないが。
先ほど、サクヤへ声をかけていた男性のところにサクヤがシチューを配りに行くと、頭を下げられていた。申し訳ないと思ってくれたようだ。
「謝れちゃいました。人に注意されて、気が付いた。酔っぱらっていてごめんって」
「そうか。悪い人じゃなかったんだな。サクヤ、すまんな。嫌な思いさせて。あんまり嫌なら、夜営業は俺だけでやるからいいぞ? アオイにもそう伝えてくれ。結構絡まれるからな」
俺の言葉には、首を振ってニコッと笑った。
「リュウさんには、感謝しているんです。この程度、どうってことありません。触られないんですもの。ただの誘いだけですから。アオイもなんともないって言ってましたよ?」
「でもな、言葉だけでも嫌だと思うだろう? 俺は、サクヤとアオイに嫌な思いはしてほしくないんだ」
難しい顔をするサクヤ。
眉間に皺を寄せている。
そして、何やら怒っているようだ。
「ウチたちは、好きでリュウさんのところで働いているんです! だから、いいんです!」
頬を膨らませてご立腹のようだ。
「そ、そうか。それならいいんだが……」
「いいんです! それに、楽しいんです。だから、苦じゃありません!」
「サクヤ、ありがとな」
そう口にすると、恥ずかしくなり、鍋に向き合いかき混ぜたりして照れ隠しをしてしまった。
「ふふふっ。こちらこそ、ありがとうございます」
静かにそう告げると、ホールへと戻っていった。
本当にいい子だな。
この子も俺の娘だ。
しっかり守らないとな。
そう誓うのだった。