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第30話 二人の子

「いらっしゃいませ」


「今日はアオイちゃんだったか、これ、昨日の狩りの分」


 そう言って布袋を渡してくれたのはアッシュさんだ。昼営業に来るなんて珍しい。一体どういう風の吹き回しだろうか。


 失礼なことを思っていたら、後ろにいる奥さんと子供に気が付いた。


「アッシュさん、寄付、どうもすみません。ご家族でくるなんて珍しいですね?」


「いやぁ、たまには連れてけっていうもんで……」


 後ろを振り返ると目を吊り上げた奥さんが睨んでいた。いつも手伝ってくれないとか、飲み歩いてるとか、愚痴をこぼしていたからなぁ。


 だっこしていた子供を預けると席へ着く奥さん。

 その横へ優雅にアオイが位置取る。


「アオイちゃん、私トロッタの生姜焼きをお願い!」


「はい。少々お待ちください」


 ガッツリ食べる気のようだ。

 聞こえていたが、一応オーダーを通してくれるアオイ。

 アッシュさんはどうしたものかとオロオロしている。


 両手に赤ちゃんを抱えたままでは食べることはできない。

 それを痛感したのではないだろうか。


「私がだっこしますわよ?」


「アオイちゃん、いいの。旦那に抱かせてて。少しこっちの身にもなってみないとわからないんだから」


 何やら刺々しい雰囲気である。

 家で何かあったのだろう。

 だが、抱いていては出しても冷めてしまうだろうから、先に奥さんのを出してしまおう。


 アッシュさんは立ったまま子供をあやしている。

 座ろうとしたら泣かれたからだ。

 普段、奥さんはこうやって抱きながらなんとか食事をとっているのだ。それを体験するのは、大事なことかもしれないな。


 生姜の香りが厨房からお客さんの方へと流れていったようだ。

 グーとアッシュさんのお腹が悲鳴を上げたのが聞こえた。


「アオイ、もってってちょうだーい」


 生姜焼きを乗せたお盆を運んでいくと、アッシュさんの視線が後を追っている。よだれを垂らして啜っている姿を見て微笑んでいる奥さん。


 一口食べると幸せそうに目尻を垂らし、微笑んでいた。

 そして、米を大口で頬張る。

 こういうおいしそうにご飯を食べる女性、いいと思うなぁ。


 俺はそんなことを思っていたが、アッシュさんは違うらしい。目を吊り上げながら怒っている様子だった。まぁ、これで奥さんの気持ちもわかったんじゃないだろうか。


「おいっ! 誰のおかげでその飯が食えてると思ってんだ⁉」


 アッシュさんは我慢できずにそう叫んでしまった。それは、口にしてはいけない言葉だと思うが……。


 奥さんは鬼のような形相を浮かべてアッシュさんを睨みつけた。


「だったら、あんたが食べている朝、昼、夜のご飯は誰が用意してんの⁉ きったなくなった装備とインナーの洗濯は誰がしてんの⁉ 子供をここまで大きく育てたのは誰なのよ⁉ 狩り以外は能なしなクセにでかい口たたくな! クソ亭主!」


 おっとこれは凄まじい口撃だ。アッシュさんは目を丸くして固まっている。ノックアウト寸前だろうか。


「な、なんだと?」


「だぁかぁらぁ、魔物狩る以外は能なしだって言ったのよ! たまには子供のことかまってよ! 誰の子なの? 私だけの子なの? あんたの子じゃないの?」


 いつしか、奥さんの目のダムは決壊し、ボロボロと涙が溢れていた。これまで我慢してきていた気持ちも一緒に決壊したのだろう。


 わかって欲しかったんだと思う。

 自分だけの子供ではないと。

 なんで私だけがこんなにつらい思いをしなければならないのかと。


 そんな思いが詰まって、さっきの暴言になってしまったのではないだろうか。今までこんな姿を見せてこなかったのだろう。


 アッシュさんは呆然と立ち尽くしていた。

 赤ん坊は驚いて泣いてしまっている。

 あやすことも忘れて泣き声が食堂の中へ響き渡っていた。


 アオイがハンカチを奥さんへ渡して、背中をさすっている。

 なんとか落ち着かせようとするが。

 涙は止まらない。


「そんなことを思ってたのか?」


 口から出てしまったといった感じだった。

 これは、いけないなと思い、厨房を出てアッシュさんの元へと向かう。


「俺が、能なしだと?」


 歯を食いしばっている。能なしと言われたのが悔しかったのかもしれない。

 でも。


「アッシュさん。そこじゃないでしょう?」


「えっ?」


 俺が声をかけると、口を空けて呆ける。


「ちゃんと、奥さんのお話を聞いてあげていましたか? さっきの悲痛な叫びを……」


「狩り以外能なしだと」


「だから、そこじゃないんですって。朝、昼、夜のご飯は誰が作っていました?」


 諭すようにアッシュさんへと語りかける。


「妻です」


「装備品とインナーの洗濯は誰が?」


「妻です」


「では、お子さんをここまで守って育てていたのは、誰なんです?」


「それは……」


 自分もと言いたかったのだろう。

 でも、思い出して何も言えなくなった。

 仕事をしていて、何もしていなかったのだろう。


 そう。昔の俺と一緒だ。


「それも、奥さんでは?」


「俺は、働きに出ていて……」


「その気持ち、よぉーくわかります。でも、考えてみてください。手が離せない子とずっと一緒。目を離して何かあったら子供が死んでしまうかもしれない」


「そんな!」


 そんなことあるかと言いたいのだろうか。


「そんなことありませんか? うつぶせのままでいると、赤ん坊は死んでしまいます。おしっこしたら、下着を変えないと発疹が出てしまう。そこから病気になるかもしれない」


「少しくらいなら」


「自分のせいで子供が死んだら。奥さんは、そう思って、思い詰めて、頑張りすぎたんじゃないでしょうか?」


 息を吞んで奥さんを見つめるアッシュさん。その瞳にはもう、怒りはなかった。


「この前、こども食堂に来た時、気になってました。目の下のクマがすごいなって。そしたら、今日は更に頬もこけている」


 よくよく奥さんの顔を見て、悲しそうな目をした。

 言われるまで気が付かなかったのだろう。

 アッシュさんもまた、二人を守ろうと周りが見えなくなっていたのかもしれない。


「アッシュさんも、必死で二人を守ろうとしていたのでしょう。でも、奥さんもまた、同じだったのではないでしょうか?」


 唇を震わせながら涙を流した。


「そうか……。一緒だったんだな」


 重い足取りで奥さんの元へと歩を進めると。

 片手で赤ちゃんを抱き、片手で奥さんを包み込んだ。


「ごめん。一人で頑張らせて……。俺は一人で頑張っているつもりになっていた。守っているつもりになっていたんだな。ごめん」


 二人は涙を流しながらこれまでのことを謝罪し。

 そして、これからのことを語り合った。

 二人の子供についてのことも。


 二人は、俺みたいにならなくてよかった。

 手遅れにならなくて、本当に良かった。

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