「いらっしゃいませ」
「今日はアオイちゃんだったか、これ、昨日の狩りの分」
そう言って布袋を渡してくれたのはアッシュさんだ。昼営業に来るなんて珍しい。一体どういう風の吹き回しだろうか。
失礼なことを思っていたら、後ろにいる奥さんと子供に気が付いた。
「アッシュさん、寄付、どうもすみません。ご家族でくるなんて珍しいですね?」
「いやぁ、たまには連れてけっていうもんで……」
後ろを振り返ると目を吊り上げた奥さんが睨んでいた。いつも手伝ってくれないとか、飲み歩いてるとか、愚痴をこぼしていたからなぁ。
だっこしていた子供を預けると席へ着く奥さん。
その横へ優雅にアオイが位置取る。
「アオイちゃん、私トロッタの生姜焼きをお願い!」
「はい。少々お待ちください」
ガッツリ食べる気のようだ。
聞こえていたが、一応オーダーを通してくれるアオイ。
アッシュさんはどうしたものかとオロオロしている。
両手に赤ちゃんを抱えたままでは食べることはできない。
それを痛感したのではないだろうか。
「私がだっこしますわよ?」
「アオイちゃん、いいの。旦那に抱かせてて。少しこっちの身にもなってみないとわからないんだから」
何やら刺々しい雰囲気である。
家で何かあったのだろう。
だが、抱いていては出しても冷めてしまうだろうから、先に奥さんのを出してしまおう。
アッシュさんは立ったまま子供をあやしている。
座ろうとしたら泣かれたからだ。
普段、奥さんはこうやって抱きながらなんとか食事をとっているのだ。それを体験するのは、大事なことかもしれないな。
生姜の香りが厨房からお客さんの方へと流れていったようだ。
グーとアッシュさんのお腹が悲鳴を上げたのが聞こえた。
「アオイ、もってってちょうだーい」
生姜焼きを乗せたお盆を運んでいくと、アッシュさんの視線が後を追っている。よだれを垂らして啜っている姿を見て微笑んでいる奥さん。
一口食べると幸せそうに目尻を垂らし、微笑んでいた。
そして、米を大口で頬張る。
こういうおいしそうにご飯を食べる女性、いいと思うなぁ。
俺はそんなことを思っていたが、アッシュさんは違うらしい。目を吊り上げながら怒っている様子だった。まぁ、これで奥さんの気持ちもわかったんじゃないだろうか。
「おいっ! 誰のおかげでその飯が食えてると思ってんだ⁉」
アッシュさんは我慢できずにそう叫んでしまった。それは、口にしてはいけない言葉だと思うが……。
奥さんは鬼のような形相を浮かべてアッシュさんを睨みつけた。
「だったら、あんたが食べている朝、昼、夜のご飯は誰が用意してんの⁉ きったなくなった装備とインナーの洗濯は誰がしてんの⁉ 子供をここまで大きく育てたのは誰なのよ⁉ 狩り以外は能なしなクセにでかい口たたくな! クソ亭主!」
おっとこれは凄まじい口撃だ。アッシュさんは目を丸くして固まっている。ノックアウト寸前だろうか。
「な、なんだと?」
「だぁかぁらぁ、魔物狩る以外は能なしだって言ったのよ! たまには子供のことかまってよ! 誰の子なの? 私だけの子なの? あんたの子じゃないの?」
いつしか、奥さんの目のダムは決壊し、ボロボロと涙が溢れていた。これまで我慢してきていた気持ちも一緒に決壊したのだろう。
わかって欲しかったんだと思う。
自分だけの子供ではないと。
なんで私だけがこんなにつらい思いをしなければならないのかと。
そんな思いが詰まって、さっきの暴言になってしまったのではないだろうか。今までこんな姿を見せてこなかったのだろう。
アッシュさんは呆然と立ち尽くしていた。
赤ん坊は驚いて泣いてしまっている。
あやすことも忘れて泣き声が食堂の中へ響き渡っていた。
アオイがハンカチを奥さんへ渡して、背中をさすっている。
なんとか落ち着かせようとするが。
涙は止まらない。
「そんなことを思ってたのか?」
口から出てしまったといった感じだった。
これは、いけないなと思い、厨房を出てアッシュさんの元へと向かう。
「俺が、能なしだと?」
歯を食いしばっている。能なしと言われたのが悔しかったのかもしれない。
でも。
「アッシュさん。そこじゃないでしょう?」
「えっ?」
俺が声をかけると、口を空けて呆ける。
「ちゃんと、奥さんのお話を聞いてあげていましたか? さっきの悲痛な叫びを……」
「狩り以外能なしだと」
「だから、そこじゃないんですって。朝、昼、夜のご飯は誰が作っていました?」
諭すようにアッシュさんへと語りかける。
「妻です」
「装備品とインナーの洗濯は誰が?」
「妻です」
「では、お子さんをここまで守って育てていたのは、誰なんです?」
「それは……」
自分もと言いたかったのだろう。
でも、思い出して何も言えなくなった。
仕事をしていて、何もしていなかったのだろう。
そう。昔の俺と一緒だ。
「それも、奥さんでは?」
「俺は、働きに出ていて……」
「その気持ち、よぉーくわかります。でも、考えてみてください。手が離せない子とずっと一緒。目を離して何かあったら子供が死んでしまうかもしれない」
「そんな!」
そんなことあるかと言いたいのだろうか。
「そんなことありませんか? うつぶせのままでいると、赤ん坊は死んでしまいます。おしっこしたら、下着を変えないと発疹が出てしまう。そこから病気になるかもしれない」
「少しくらいなら」
「自分のせいで子供が死んだら。奥さんは、そう思って、思い詰めて、頑張りすぎたんじゃないでしょうか?」
息を吞んで奥さんを見つめるアッシュさん。その瞳にはもう、怒りはなかった。
「この前、こども食堂に来た時、気になってました。目の下のクマがすごいなって。そしたら、今日は更に頬もこけている」
よくよく奥さんの顔を見て、悲しそうな目をした。
言われるまで気が付かなかったのだろう。
アッシュさんもまた、二人を守ろうと周りが見えなくなっていたのかもしれない。
「アッシュさんも、必死で二人を守ろうとしていたのでしょう。でも、奥さんもまた、同じだったのではないでしょうか?」
唇を震わせながら涙を流した。
「そうか……。一緒だったんだな」
重い足取りで奥さんの元へと歩を進めると。
片手で赤ちゃんを抱き、片手で奥さんを包み込んだ。
「ごめん。一人で頑張らせて……。俺は一人で頑張っているつもりになっていた。守っているつもりになっていたんだな。ごめん」
二人は涙を流しながらこれまでのことを謝罪し。
そして、これからのことを語り合った。
二人の子供についてのことも。
二人は、俺みたいにならなくてよかった。
手遅れにならなくて、本当に良かった。