最後まで俺たちと話をしていたゴウさんを見送り、一旦暖簾を下げて店を閉めた。
いつも通りに昼用のご飯を作ろうとして魚を火にかけた。
次に小鉢の準備をしようとしていると、後ろからミリアがジィーッとみている。何が気になるのだろうか。
「ミリア? どうした?」
「ミリアもそれできるかな?」
何を指しているのかと思えば、ナイフだった。何かを切ってみたいということだろうか。たしか、少し小ぶりなナイフもあったはずだ。
「いいぞ。やってみるか?」
コクリと頷くと厨房へと足を踏み入れた。
ミリアの顔はとても真剣。
何か間違ったら大変だと思っているのかもしれない。
こういう時は、やらせてみた方がいいと俺は考えている。
なんだが、身体が強張っている。
それだと怪我をしそうだ。
「肩の力を抜いて。息を大きく吸うんだ」
「すぅー」
「そして、ゆっくりと吐いてぇ」
「はぁぁぁぁぁ」
固さが少し取れたかな?
下ごしらえは終わっているから切るものは漬物くらいか。
「まず、手を洗うか」
「きれいだよ?」
こちらに手を見せながら、首を傾げてなんで洗うのかわからない様子。
それはそうだろう。
この世界では菌の知識などないだろうからな。
でも、先代のおやっさんは料理人のノウハウとして知っていた。
知識はなくとも、受け継がれてきているものがあるのだろう。
「そうだな。綺麗にみえても、見えない悪いものが手にはついてたりするんだ。それが、お客さんの口に入ったらどうだ?」
凄く嫌なものを見るように眉間に皺を寄せて手を睨みつけている。そんな汚い手でいろいろ触ってしまっているという事実に嫌悪感を抱いているようだ。
「おなか、いたくする?」
「そう。よくわかったな。だから、綺麗に見えても入念に洗うんだ」
「わかった。だいじなことだね」
どこでそんなことを覚えたんだ? 大事などという言葉、知っていたんだろうか。まぁ、ミリアも成長しているということだろう。
この店の漬物は塩で揉んで、だしで漬けている。これは、先代のおやっさんから教わったものだ。つけているのはキュウリとナスと大根だ。これは、野菜の賢者シリーズといわれている。
勇者一行の賢者様が作った野菜なんだとか。俺としては、身近な野菜があってうれしいのだが。元の種はどうしたのかは、疑問しかない。
キュウリの漬物を出してまな板へとのせる。
「これをな、丸めた左手を添えて、こう切るんだ」
端っこの部分を切って見せた。
小ぶりなナイフをミリアへと渡すと顔が引き締まった。
見よう見まねで左手を添えている。
キュウリの真ん中辺りを抑えているのは、端を抑えて手を切るのが恐いからだろう。最初は恐くてもいい。だんだんと慣れてくるだろうからな。
「こうして……こう!」
ストンッとナイフがまな板を叩く音が厨房に響き渡る。
これが、初めての調理だ。
できることが増えていく感覚っていうのは、子供でも大事なはずだ。
「どうだ? 簡単だろう?」
「うん。でも、てをきりたくない」
「ゆっくりやれば大丈夫だ。一回一回を丁寧にやる。そうすれば、手はきらんさ」
小気味のいい音を鳴らしながらキュウリを切っていく。
もうすぐ一本切り終わると思ったところに。
「あぁー! ミリアちゃんがなにかやってるー!」
ミリアは驚いてしまい、ビクリとなった。
ナイフが危ないと自分で思ったのだろう。ナイフ片手で少しパニックになっている。
「ミリア。息を吸って吐くんだ。落ち着いて。大丈夫だ」
深呼吸して落ち着いたようで、最後までキュウリを切りきった。
「はぁー。つかれたぁ。リツくん! こえがおおきすぎ!」
「ごめーん! リューちゃんといっしょに、なんかやってたからさぁ」
口を尖らせながらいじけたように話す。
ミリアに何かで先を越されるのが嫌なのかもしれない。
二人は同い年で、競争したがるからな。
サクヤに目配せすると頷いた。
これで、許可は取った。
「リツもやってみるか?」
「いいのぉ⁉」
「あぁ。ただ、刃物を扱うんだ。落ち着いてやるんだぞ?」
「わかった!」
厨房へ入ってくると、ミリアに行く手を阻まれた。俺は笑いが込み上げてくるのを抑えるのに必死だった。おそらくだが、先輩面したいのだろう。
「リツくん、まずはてをあらって!」
腰に手を当てて偉そうにそう話す。
また口を尖らせたリツが口を開く。
「なんでだよ! ボクのては、きれいだよ! ほらっ!」
掌をミリアへと突き出して綺麗だとアピールしている。これも、さっきミリアがやったことと同じ。一連の流れだ。ということは、次のミリアの言葉も想像がつく。
「てには、みえないわるいものがあるの!」
「えぇー? なにそれ?」
「いいから、きれいにあらうんだよ? おきゃくさんのおなかいたくなったら、どうするの?」
眉間に皺を寄せてリツを睨みつけている。さっきまで何も知らなかったのに、自分が先に知っているからという理由だけで偉そうにしている。こういうところが、可愛らしいのだが。
俺とミリアの会話を全部聞いていたサクヤも口を抑えて笑いを堪えている。アオイとイワンは何がなんだかわからず、不思議そうに俺とサクヤの顔を窺っている。
綺麗に手を洗ったリツは調理場へと立つ。その後も、ミリアの指導が続いた。
「てをこうして、こうきるんだよ?」
先ほど覚えたばかりの切り方を、リツへと教えている。
これは、俺の出る幕はないな。
頬が緩んでしまって、真剣な表情をしているミリアにも睨まれてしまった。
「リューちゃん、まじめにやらないと、てをきるんだよ?」
まさか、俺も注意されるとは。
「おう。そうだな。すまんすまん」
リツも感化されて真面目な顔でナスを切っている。ナスは皮が柔らかいため、切るときに少しコツがいる。
「きれないよ?」
「えぇ?」
ミリアもやってみるが、潰れてしまって切れない。
「リューちゃん、なんでぇ?」
ここに来てやっと俺の助けを借りる気になったようだ。
「ナスは皮が柔らかいし、厚いからこうして縦にナイフを動かすんだ」
ナイフを滑らかに動かすとナスの皮に切れ込みが入り、綺麗に切れていく。
「リツ、やってみな?」
ミリアを押しのけてリツがまな板の前に立つと、同じようにナイフを動かした。うまくきれたようで、ご満悦だ。
「ミリアちゃんもやる?」
「やる!」
こういうところが、リツの優しいところ。全部自分でやりたいではなく、他の人のことも考えられる。この歳でこの気遣いができるところは凄いと俺は敬意を払っている。
「じゃあ、後は一緒に盛り付けするか?」
「「やるー!」」
今日の昼食はサマンの塩焼きだ。いつも肉ばかりだから、たまには魚も食べないとな。ちょうど余っていたからと、人数分焼いていたものを出す。
サマンを皿に盛り付ける。副菜の葉物のお浸しを作っていたボールを出す。
「これを小鉢に取り分けてくれ」
ミリアとリツは二人で作業し始めた。大体同じくらいに持っていた小鉢だったが、最後の二つになったところで、急に少なく盛りつけたのだ。
考えていることがわかり、苦笑いしてしまった。二人とも考えていたことは同じだったようだ。
「これ、ボクのね?」
「これは、ミリアのだからね?」
そんなに野菜を食べたくないのか。
何か対策を考えないとな。
そんなことを考えながらも、言われた通りに配ったようだ。
自分で調理して、盛り付けたんだ。
そのくらいは許そう。
「じゃあ、商会の皆さんと、食材を作ってくれた人たちに感謝して食べよう。あと、準備してくれた、ミリアとリツにもな?」
「みんな、かんしゃしてー!」
「これ、ボクがきったんだよ?」
こうやってできることを少しずつ増やしていくことも大事だと思う。
俺のこども食堂は、料理を食べるだけじゃない。
何かを学ぶ。そういう居場所にしたい。