「……頭痛が、しますわ」
マーキュリア公爵令嬢は、広げた扇で今にも嫌悪を浮かべてしまいそうな顔を隠し、そっとため息をついた。
輝くプラチナブロンドの髪を優雅にまとめ、深いエメラルドグリーンの瞳で目の前を鋭く見据える彼女は、美貌の持ち主ではあるが、社交界の影で『緑の烈風(グリーンゲイル)』と称されアレクシアと同等、恐れられていた。
マーキュリアとロミオットは、現在ヴァルデリア王国を訪問していた。
主に、とある特産物のことで以前から決めかねている事項の話し合いをするために、訪問した。
目の前では、ロミオットが、外交パーティの席で好き勝手な発言を繰り返していた。
ロミオットは、容姿だけは良い。
光を纏ったような柔らかな金髪に、彫刻のように整った顔立ち、くっきりとした碧眼が印象的だった。
ただし、体を鍛えることを怠っているため、体格には力強さがなく、どこか頼りなさを感じさせる。
「(コレが次期国王……そして、わたくしの夫になるなど――おぞましい、としか言えませんわ。アイス・ローズ……アレクシア様が放置状態になっていたのもこの立場になるとよくわかりますわね……)」
マーキュリアが王妃となることは、一族の悲願であり、彼女自身も野心家で、いずれアレクシアを引きずりおろしてやるとまで考えていた。だが――。
「(これでは、とても次の王にすることなど……。まあでもせいぜい踊りなさいな)」
ロミオットを自分に惚れさせ、操り人形にすることも目論んでいたが、アレクシア同様、マーキュリアも彼の好みからは外れているため、それは叶わないようだった。
それどころか、マーキュリアの助言をまったく聞き入れない彼の性格では、コントロールするどころか手に負えない。
マーキュリアは、すでにロミオットの失脚を頭に描いていた。
今回の外交に関しても、本来は反対していたが、国外での失態を利用して彼を引きずり下ろせる好機になる、と考え直していたのである。
そんな彼女の思惑もつゆ知らず、ロミオットは、外交の場を任されたヴァルデリア王国第一王子や招待された貴族たちを前に、へらへらと笑いながら言い放った。
「オレが次の王になれば、こんな形式ばった集まりなんて廃止してやるよ。――時間の無駄だ」
続けて、柔らかな金髪をかきあげて、フッ……と、ため息をつく。
そのわざとらしい姿に、寒気がし、鳥肌がたつ。
「(なんとも恥ずかしい……! なんですか、その大げさな仕草は……! 外交でこんな態度……望むところとはいえ、これに耐えなくてはならないのが辛すぎるわ)」
マーキュリアが扇で口元を隠して歯ぎしりしていることや、相手国の面々が凍りついていることに、ロミオットは気づく様子もない。
「そうだ、時間の無駄と言えば。明日話し合う予定の特産品の取引についても、いま決めたらいいんじゃないか? オレはすぐにでもベルクホルト領を訪問したいんだ。こんな形式張った晩餐パーティはつまらないしね。もっと華やかな舞踏会にしてくれれば、こんな事言わず済んだんだがね~」
美しい道化は話を続け、マーキュリアはその横で目を細める。
「(ベルクホルト? そんな話は初耳……。あ、そういえばアレクシア様が確かそこへ逃げ込んでいたわね。――珍しく外交をやると言い出したと思ったら、そういこと……)」
「えーっと輸送費用だっけ? そっちが多めに負担すべきだ。我が国が買ってやるんだからそれぐらいはな。それで決まり。うん、わざわざ会議する必要もないよな」
ヴァルデリアの重鎮たちの顔が微かにひきつり、会場には重い沈黙が落ちる。
「(……こいつはどうなっても構いませんけれど、我が国の権威に関わりますわね、これは。仕方ないわね……)」
マーキュリアは、胸の奥から湧き上がる怒りを必死で飲み込みながら、毅然(きぜん)とした声で口を開いた。
「ロミオット殿下!」
マーキュリアの凛とした声が、静寂を破る。
「この場でそのような軽率な言動は、晩餐会を開いてくださったヴァルデリア第一王子殿下を始め、ここにお集まりの方々への甚だしい無礼にほかなりません! 王族としての品位を損なうような行為は、即刻お控えください!――補佐官、ロミオット王子殿下はお疲れのようです。お部屋へお連れしなさい!」
その言葉にハッとした、補佐官は自国の騎士たちに命令し、ロミオットを拘束してその場を出ていく。
「な、マーキュリア! 口を出すな……っておい! おまえら!! 何をする!」
マーキュリアは、ロミオットの退室を見守ったあと、ヴァルデリアの面々に深々と頭を下げ謝罪した。
「ヴァルデリア第一王子殿下、そして列席の皆様。大変失礼いたしました。殿下は長旅の疲れが重なり、思わぬご無礼を……。先ほどの発言はすべて撤回させていただきます。後日、必ず改めてお詫び申し上げます」
マーキュリアは、ロミオットの尻拭いで謝罪をし、次の日からの外交会議もロミオットは体調を崩したと部屋に閉じ込め自分が出席した。
白けた視線に針の筵(むしろ)になりながらも、マーキュリアはなんとかこちらの希望ギリギリの約束を取り付けることができた。
しかし、ロミオットは、閉じ込めた部屋を抜け出し、単独ベルクホルト領のアレクシア邸へと向かい――そこで暴れ、アレックスが予め配備していたベルクホルトの騎士団に捉えられた。
なんと一国の王子が、不法侵入で逮捕されたのである。
「ええい、はなせ!! オレを誰だと思っている!! アレクシアはどこだ!!」
もちろん、その頃アレクシアとアレックスは、エストリア国にいて屋敷に侵入できたとしてももぬけの殻だったのだが。
◆
後日。
マーキュリアは、拘束状態のロミオットを連れて帰国し、エストリア国王に進言した。
「ロミオット様は、次の国王に……ふさわしくありません」
「う……うむ……」
これまでの数々の素行不良に加え、今回の外交での失態を目の当たりにした王は、ついにロミオットから王位継承権を剥奪し、王太子の座から外す決断を下した。
その後、王位継承権は、まだあどけない従兄弟へと移ることとなった。
マーキュリアは、若すぎる継承者と婚約するわけにもいかず、公爵令嬢としての立場に戻ることとなった。
「しかし、マーキュリア。ロミオットが廃嫡されようと、そなたはあらゆる手法を使い、王妃に収まると思っていたぞ」
国王が少し意外そうに問いかける。
「いえ、王妃にはなります」
「なに?」
「ヴァルデリア国の王妃に、ですけれども。今までお世話になりました」
マーキュリアは優雅にカーテシーを決め、清々しい表情でその場を去る。
その数日後、彼女がヴァルデリア王子の婚約者となることが発表された。
――ヴァルデリアでの外交中のこと。
ヴァルデリアの王子とのお茶会で、マーキュリアは彼から心のこもった労いを受けた。
「……そなたは毅然として美しい。どうして彼の婚約者なのだろう。この出会いを奇跡だと思うのは私だけだろうか」
「え……」
それから短い滞在期間だというのに――観劇や庭園の散歩に誘われ、そのたびに口説かれた彼女は、次第にヴァルデリア王子に心を奪われていった。
「(わたくしと、したことが……)」
マーキュリアは、王妃という肩書き以上に彼との未来に心惹かれ、帰国時に受けたプロポーズを即座に承諾したのだった。
一方ロミオットは――。
エストリア国王は、外交の場での無礼を重大な罪とし、ロミオットに王族を名乗る資格を剥奪。
彼には田舎の領地が与えられ、そこから出ることを禁じられた。
「……マーキュリア! オレのデステニー!! オレが悪かった! オレをここから助け出してくれ……!!」
ロミオットは屋敷からの脱走を試み、失敗するたびに見張りに連れ戻される日々だった。
そして今度は、マーキュリアに彼独特の個性的な手紙を送り続けるのであった。