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第5話 元男爵令嬢ジュリエティ

 夏が過ぎ、涼しさが心地よい頃、アレクシアはアレックスに誘われ、彼の家――ギールグッド辺境伯爵家所有の広大な牧場を訪れた。


 広がる野原や小高い丘を散策し、池で魚釣りを楽しんだ後、ランチは青空の下、手入れの行き届いた芝生の上で取った。


 乗馬用に整備されたコースもあり、馬に乗って牧場の動物や育てられた農作物を見て回る中、いくつも連なる丘に咲き誇る花々が目を引いた。

 もう秋だというのに、その遠くまで続く花の散歩道は、童話にでてくる妖精郷を思わせた。





「今日はとても楽しかったですわ!」

「僕もだよ。こんな遊び方したのは何年ぶりだろう」


 馬舎へ戻る静かな林道では、馬の足音と二人の声だけが響いていた。

 アレクシアは時折、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、この穏やかな時間を心から楽しんでいた。


「ずっと、こうしていたいくらいに心地よいわ」

「そう言ってもらえるなんて、招待してよかったよ。良ければ、また遊びに来て」

「……ぜひ! ……あ、馬舎が見えてきましたね」


 ――馬舎が見えてきた。

 アレックスが次の約束を提案してくれても、アレクシアの胸には名残惜しさが募っていた。



「馬も貸してくださりありがとうございます。とても良い子でしたわ――あ」


 馬舎へ着き、馬から降りようとしたアレクシアは、体制を崩した。


「危ない!」


 アレクシアが馬から落ちそうになったところを、アレックスは受け止めた。


「やだ、私ったら……ありがとうございます」

「怪我はない?」

 「あ、ありません……」


 不慮の事故とはいえ、アレックスに抱きとめられたアレクシアは、顔を真っ赤に染めてしまった。


「(舞踏会で男性と近距離になることには慣れているはずなのに……。どうしてこんなにも胸が高鳴るのかしら)」


 ふと、二人の目が合った。


「あ……」

「えっと……」


「アレクシア……その私は……」

「は、はい、なんでしょう」


 アレックスが何かを言いかけた、その時だった。


「アレクシア……さま……?」


 ――聞き覚えのある声。それが近くの茂みから聞こえた。

 しばらくすると、ガサガサと茂みがかき分けられる音と共に、若い女性が出てきた。


 女性の服装がみすぼらしかった。

 薄汚れたパステルピンクの髪に、あちこちに当て布され、何度も洗濯し着回しているだろうエプロンドレスに、傷のいっぱいついた革靴……貧民街の孤児でももう少しまともな服を着ているかもしれない。


 ――だが、アレクシアにはすぐわかった。


 男爵令嬢・ジュリエティだ。 


「……ジュリエティさん!? 何故、こんなところに」


 その名前を呼んだ瞬間、ジュリエティの目つきがきつくなった。


「ぜ……ぜんぶあなたのせいよ!! あなたが、婚約破棄されたせいで、私は……ジュリジュリは、ロミオットと別れさせられ、マーキュリアに我が家を取り潰されたのだわ!! そして命からがら逃げ出してここでキャンプ生活を……! ううっ!!」


「どういうことですの!? 何故、婚約破棄された被害者の私が、責を負ってるみたいな言い方されないといけないのです!? ジュリエティさん。それは私のせいではなく、貴女が彼を選んだ結果ではありませんか。人のせいにしないでくださいまし!」


「――そうよ、確かに私はロミオットとの幸せを選んだ!  なのにどうしてうまくいかないの! あいつ、なんかあんま役に立たなかったし! やっぱりあなたが婚約破棄されずにそのままお飾り側妃になってればよかったんだわ! ジュリジュリがこんな目にあうと知ってて、婚約破棄されたんでしょう! ちょっとあんた、ジュリジュリを養いなさいよ!? ロミオットからいっぱいお金をふんだくったんでしょう!?」


「(往復ビンタしたい!) ……はあ」


 アレクシアは、ジュリエティが言葉が通じない相手だったことを思い出しため息をついた。


「ちょっと君、落ち着いたらどうかな」


 その時、アレクシアの背後にいたアレックスが、アレクシアの前にかばうように出た。


「なによ、あんた――……あ」


 ジュリエティはそのアレックスを下から上まで舐め回すように見たあと――


「あなたは、あの時の……運命のお方……」


 ぽっ……。


 と、頬を染め、微笑みを浮かべる。生活苦による薄汚れた姿で、かつての可愛らしさは半減以下だが。


「えっ……」

「え……」


 アレクシアとアレックスは、同時に声をあげ、顔を見合わせる。


「あの時の……って私と君は、初代面だと思うのだが」


「ああ、ジュリジュリがこんな姿だからお気づきにならないのね。でもジュリジュリは間違いなくあなたの真実の相手……。こんな状況であなたに会えたのは、きっと運命。どうか、ジュリジュリに手を差し伸べていただけませんか?」


 目を潤ませたジュリエティは、芝居がかった様子で片手をアレックスに伸ばす。


「(まさか……勝手に運命の再会エピソードが瞬時に頭の中で出来上がったの!? 出会いを捏造しようとしている!! このコ! おそるべし才能……作家になるべきだわ)」


「……申し訳ないが、君のことは知らないよ」


 アレックスは、ジュリエティの手をそっと押しのけた。


「(そういえば……こんな風に庇ってもらったのは初めてかも)」


 背後に回されたアレクシアは、ふと気がついた。


 社交界ではいつも自分1人で困難に立ち向かい、庇ってもらうことなど一切なかったし、それを期待したこともなかった。

 いまいる立ち位置は、いつもジュリエティの場所で自分は悪役だった。


 ――心が潤う気がした。


「(守ってもらえるって……こ、こんなにうれしいものなのね。いやだわ……胸の鼓動が早くなってしまう)」


 「まあ、その悪女に騙されているのね? 大丈夫よ、ジュリジュリが思い出させてあげる。ジュリジュリの愛の力であなたを取り戻して見せるんだから!」


 ジュリエティは、潤んだ瞳でアレックスを見上げている。

 まるで、虐げられている美少女を王子が迎えに来たかのような構図だ。アレックスの背後にアレクシアいることを除けばだが。



 「どなたかとお間違えかと。ところで君はここで何をしているのかな?」


 だが、アレックスはそのジュリエティに淡々と返した。


「はずかしながら、アレクシア様のせいで、家が潰れましたので国外へ逃れ、ここでキャンプを……」


「そうですか。申し訳ないが、ここはフリーな野原ではなく、我が家の私有地なので――不法占拠になるんだ」


「えっ」


 ジュリエティが、急に芝居から素にもどった。


「あとで、警備団をこちらへ寄越すので。それまでに退去していただきたい」


「な、なんですって!? あ! いけない! 用事があるんだったわ!! またお会いしましょう! 運命のお方!!」


 新住居を取り上げられることになったジュリエティは、サーッと青ざめると、急いで茂みへと消えた。


 ジュリエティが駆けていく音が小さくなった頃、アレックスは、アレクシアの手をそっと取り、優しい瞳で彼女を見つめた。


「行こうか」

「あ……。そうですわね」


 アレクシアは借りられてきた猫のように大人しく手をひかれ、その場をあとにした。



 ☆


 後日、アレクシアは、アレックスから、ジュリエティがあの後どうなったのかを教えてもらった。


「彼女は、一緒にキャンプしていた両親と共に捕縛されたよ」


「まあ、結局お縄になったのね……」


「そうなんだ。牢に放り込んでからは、まずいながらもタダ飯が配膳されるものだから今度は牢から出ていかないと大変だった」


 アレックスは苦笑している。


「えっ。じゃあ、いまも牢に?」


「いや、我が領地の収容施設に入れたよ。ああいった人たちを引き取って収容し、粗末ながらも寝泊まりできて働ける施設の用意があるんだ。すったもんだしたけど、最終的にはそこに収容したと報告を受けてる」


「面白い施設をお持ちですわね。私の故郷にはありませんでしたわ」


「更生施設なんだ。そこで自分にできる仕事を見つけられた人には人間らしい生活が送れるようにはしてる。でも完全な自由じゃなくて制限はいっぱいあるよ。もしも更正できたら外の世界に返り咲くことも認めてる」


「まあ素晴らしい」


 ……といいつつも。

 アレクシアは、「あのジュリエティさんに更正なんてできるのかしら……?」と小首をかしげるのだった。


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