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ああ、本の虫ってそういう……

 入学式の翌日に決まったことなのだが、俺は図書委員である。

 今週よりお仕事が始まることになった。

 業務内容は昼休みの本の貸し出し。

 一学年八クラス、それぞれ一人ずつ図書委員がいて、二人セットで作業をする。



 必然的に他クラスの生徒との共同となるので、どんな子が来るのだろうと期待半分心配半分で待っていると。



「あ、すいません。遅れてしまいましたか?」

「今来たところ」



 何も考えずにデートみたいな発言をしてしまった。

 余程雪花とのお出かけが頭に残っていると見える。



 しかし俺が呆然自失となるのも無理はない。

 やや焦りながら扉を開けて図書室に入ってきた生徒の外見がそれほどまでに衝撃的だったのだ。



 美少女ということではないが。

 例によって美少女なのかもしれないが、美少女ではない。

 何というか、その、表現するのが難しい。



 しばらく腕を組んで彼女を眺めて、図書室と彼女の様相を合わせて考えると一つの慣用句が頭に浮かんだ。



 本。

 明らかに複眼が目立つ顔。

 つまりは本の虫。



 ああ、本の虫ってそういう……。



「な、何ですか?」

「ちょっと凄い発見をしてね」

「はぁ……」



 絶対に意味は違うが、目の前で本の虫が立っている。

 華麗に制服を着こなした等身大の虫。

 腰のあたりが異常に細く風に揺れた。人間でいう額からは長い触角が生え、ぴこぴこと周囲を散策するように揺れる。



 これらの特徴から推測するに、彼女はジガバチであろう。



 何でだよ。



「図書の先生っていないんですかね?」

「俺が来た時にはいたんだけど、基本的に席を外してるんだって」



 どうしてこう化け物連中というのは声がいいのだろうか。

 目を瞑っていたら落ち着きのある文学少女って感じなのだが。

 眼前に立つのはワンチャン襲ってきそうな虫だ。ジガバチは獲物を狩って卵を産み付けるとかいう、エイリアン映画に出てきそうな生態をしているから、自分の心臓が落ち着けずに暴れまわっている。



 確かに蜾蠃すがる少女おとめ——ジガバチのように腰が細く美しい少女の意——というが、まさか本当にジガバチ系少女が出てくるとは。

 読めなかった、この俺の目をもってしても。

 予想できる奴いないと思うけど。



「とりあえず自己紹介しない?」

「あ、そうですね。これから一週間一緒にお仕事しますから」

「俺は化野あだしのようです」

「私は逆瀬川さかせがわ美穂みほです」



 ジガバチの幼虫は卵を産み付けられた獲物の肉を貪りながら成長するという点に着目して、今からでも肉貪にくむさぼり益荒男ますらおって名前に改名しない?

 これから出会う人がびっくりするかもしれないしさ。事前の説明は大事。

 名は体を表す系女子を目指そう。



「えーと、逆瀬川さんでいい?」

「はい」

「逆瀬川さんは本を受け取るのと、貸し出す本を打ち込むのと、どっちがいい?」

「……そうですね。あまり他人と会話をするのが得意ではないので、打ち込みの方がいいです」

「わかった」



 まぁいつまでも同僚がジガバチだった程度のことで騒いでいても仕方がないので、気持ちを切り替えて仕事をしよう。

 油断すると殺されるかもしれないけど。

 綺麗な花には毒があるというが、彼女の場合は目に見えるから良心的。

 限りなく脅迫に近い良心である。



 図書室にはあまり人が来ないために少々暇だった。

 何かすることはないだろうかと逆瀬川さんの方を見てみると、彼女は膝の上に文庫本を置いて双眸を落としていた。文学少女らしい構え。

 ジガバチでさえなければ映えるのになぁ。



「あの」

「ん」

「そんなに見られると恥ずかしいです」

「あ、ごめん」



 直立二足歩行する昆虫が珍しいものだから観察しすぎてしまったようだ。

 頬を赤くした逆瀬川さんが俯く。

 虫の血液には、ほとんどヘモグロビンが含まれてないのに、赤くなるとは面妖な。



 指摘されたので顔の向きを戻す。やはり図書室内にはそれほど人がいない。みんな大好きライトノベルとかも置いてるんだが。

 まず来ないとわからないか。

 利用者を増やすためには、それを周知する必要がある。



 肉塊やらゾンビやらで慣れたのか、真横にジガバチが座っていても逃げ出したいような気持ちにはならなかった。

 粛々と危機意識が薄れていっている。しまいには家財を置いて夜逃げしそうだ。



 昼休みが終わるまであと二十分。これまでの仕事なし。

 流石に暇に堪えきれなくなってきたので本を読むことにした。

 普段は雑多に読書しているが、何故かカフカの作品を欲している。変身とか。



 隙間のない本棚から一冊抜き出し、カウンターに誰も向かっていないことを確認してゆったりと戻る。

 俺が椅子に座った時に逆瀬川さんが視線を向けてきて、



「読書、お好きなんですか?」

「まぁ図書委員になるくらいには」

「それもそうですね」



 読書が好きじゃないのに図書委員になっても悲惨なことにしかならない。

 本好きにとって図書室なんてのは無限に時間を潰せるホットスポットだが、例えば活字を視認したら脳が爆発四散するような人にとっては、むしろ地獄の拷問を行う場所に見えるだろう。



 結局、その日は誰も図書の貸出を行うことはなく。

 数人は座っていたが、ただ読書をしていただけで仕事がなかった。

 ぺらりぺらりと紙をめくる音だけが、俺と逆瀬川さんとの、二人の間に静かに響いていた。

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