「雪花とのお出かけはどうだったんですか?」
授業が終わって昼休みのゆったりとした空気が流れ出した頃。
R-18G指定間違いなしの肉塊こと、草壁菜々花が囁いてくる。
ぴちゃりぴちゃりと謎の液体が跳ねる音もセットで。
周りに内容を聞かれないようにだろう、彼女は触手を俺の耳元に添えて、ワクワクとした視線――のようなもの――を向けてきた。
「まぁ、うん」
それに対する答えは微妙。
確かに楽しかったものの、もう一度したいかと言われると唸らざるを得ない。
なんせゾンビだから。俺は普通の男子高校生である。普通の男子高校生はゾンビとお出かけしても喜ばない。
「雪花ったら凄かったんですよ? 帰ってきたら『お姉ちゃんあの馬鹿とは絶対に関わらないで! 絶対に!』って剣幕で」
「へぇ」
「あれは嫉妬ですかねぇ。ついにあの子にも春が」
気のせいだ。間違いなく嫉妬じゃない。
あえて名前をつけるのならば殺意とかだろう。
そしてどうやら菜々花は俺と雪花をくっつけたいようで、しきりに彼女のセールスポイントを上げてくる。
雪花に春が来た場合俺に冬が来てしまうので、十割中九割くらい聞き流しているが。
腐敗しかけた死体である点を無視できる長所があるのなら言ってほしい。
相変わらず周囲にとっては美少女な菜々花である。彼女と至近距離で会話している俺にはやはり強い視線を向けられるけど、もはや慣れてきた自分にとってそよ風のようなもの。
というか目の前に肉塊があるよりも嫌なことって存在するのだろうか。
「――ちょっとお姉ちゃん!」
噂をすれば影がさす。
話題になっていた張本人、草壁雪花がまなじりを釣り上げながら俺達の間に割り込んできた。
今にも接触しそうだった肉との僅かな隙間に腐りかけの腕が差し込まれて、強制的に囁きが聞こえない距離まで。
肉とゾンビ、どちらがより嫌か悩ましいものである。
「雪花?」
「昨日も一昨日も言ったじゃない! こんな奴お姉ちゃんに相応しくないって!」
「じゃあ雪花には相応しいの?」
「ふっ…………そんな訳ないでしょう!?」
彼女は光沢の少ない金髪を振り乱す。
顔どころか手足すらない菜々花が、何故か口元を緩めているように見えた。
「ふふふふふふ」
「笑わないでよ!」
「うふふふっ、ごめん、ちょっと」
「お姉ちゃん!」
雪花のこんな姿見るの初めてだから、と謎の触手がダンシング。
あまりに暴れまわるものだから俺の肩にぶつかった。
びちょりと揮発性の高い、かつ粘度の高い正体不明の液体が付着する。
10パスカルセカンドくらいありそう。
何度目かわからないほど汚された制服に、しかし俺は気にせず食事を続けた。
今は「炎の野菜マシマシにんにく焼きそばパンエクストラ」というのを食べていている。袋を開けた時にびっくりするほどにんにくの香りがした。
有り体に言うと臭い。美味しいけど。
むしゃむしゃと無心で咀嚼しながら彼女らの喧嘩を眺める。
予想していたものの肉塊とゾンビの争いは迫力満点だ。
ちょっと前に見たホラー映画よりもよっぽど。
「
矛先を向けられた。
世界の終わりみたいな戦いに入れというのか。
面白がって妹を虐める菜々花の壁にするために、雪花は俺の体を盾にして唸り始める。
まるで人見知りのこどもが親の陰に隠れるような姿だったので、なおさら菜々花は笑った。雪花は吠えた。
——そう、ところで。
あれから考えたのだが、どう取り繕っても俺の断り方は最悪だった。
もう少し歯にいいものを着せるべきだったろう。ドレスとか。
何が起きても雪花からの好感度低下は避けられない。ただでさえ低かった好感度が、それこそ地殻に至るほどまで低下するはず。
だから学校で会ったらボコボコにされるのだろうなと思っていたのだ。
しかし実際は「……あんまりお姉ちゃんにくっついてるんじゃないわよ。外来種みたいなデリカシーのなさが伝染しちゃうでしょ」と優しい発言。
優しいかこれ? 油断してるとミドリガメになるぞ。
まぁ童貞だとか非リアとか、男の子的に最も傷つく言葉選びではない。
しかも先程の発言の通り、彼女は俺のことを「あんた」やら「童貞」などではなく「化野」と名字でも呼ぶようになった。
基本的に名字で呼ぶのと二人称で呼ぶのとでは前者の方が距離感が近いので、間違いなく下がったであろう好感度との矛盾が生じる。
一体何が起きたのか。
巷で話題の好感度逆転ボタンとか押した記憶はないが。
非常に不思議である。
「まぁ菜々花もそこら辺にしておいてあげて」
「ふふ、そうですね。この辺で許してあげましょう」
それに不思議といえばまだある。
一日に数回トークアプリで雪花から連絡が来るようになったのだ。
内容はばらばら。最初は天気の話題だったし、直近では人類の活動による温室効果ガスの排出及びそれが地球にもたらす影響と未来に残す禍根の大きさについてだった。
ゾンビの見た目に反してやけに理知的だなぁ。
俺の肩のあたりに手をやって「ぐるる……」と唸っている雪花を眺めながら、果たして彼女の心情はどうなっているのだろうか、と首を傾げた。