妹は自在に姿を変化させることができるようで、手のひらに乗るくらいのサイズになって部屋から出てきた。
流石闇っぽい見た目のことはある。
そして俺にも耐性がついてきたようで悪寒は感じない。
「ごめんねお兄ちゃん」
「いいよ別に」
先程からずっとこうだ。
妹は物理的に小さくなりながら、ずっと謝ってくる。
これで滅茶苦茶体調が悪くなるとかだったら話は違うが、特に困っていることはない。いや、隣の席の娘が一年間は肉塊であることが確定したんだけど、もともと人間じゃないならヒロインになり得ないから困らん。
その後もしばらく小さくなっていた彼女――様態からして性別があるのかわからないが。妹だというのだから彼女だろう――は、俺が何度も許すと言ったことで気を取り直したようだ。
内側から溢れ出るように闇が噴き出し、「ありがとっ!」と可愛らしく抱きついてくる。
悪寒は感じなくなった。
しかし闇というからには冷たいイメージが付随するわけで。
くっつかれると肌に触れているところから体温が奪われていく感覚があった。
夏の熱い日だったら便利そうである。
自室の何の変哲もないベッドに座りながら、百五十センチほどの大きさになった妹と向き合って、今後について話し合った。
両親に自分の存在を伝えないのかと質問したが、そのためには一度生死の境を彷徨う必要があるということで、大好きな彼らにそんなことはできないと言った。
俺の場合は力が制御できなかっただけ。決して狙って殺しかけたとかではない。
「えへへ、お兄ちゃん」
「何?」
「呼んでみただけ」
まるで付き合いたてのカップルのような会話であるが、どうやら十数年人と会話してこなったせいで、誰かと喋るのに飢えているらしい。
妹は真っ黒な腕をうにょうにょと伸ばして首に絡めてくる。
怪異的な力を発揮されたらこのまま殺されそうだ。
「……ねぇお兄ちゃん」
「ん」
「一つだけお願いがあるんだけど」
魑魅魍魎の類は声が可愛らしいという共通点がある。
つまり目を瞑っている状態の俺は、眼前に超絶美少女な妹が存在する錯覚を起こした。錯覚だが。
「私、学校に行ってみたいの」
「うーん」
「駄目かな?」
生まれてこのかた外出したことがなく、話に聞くばかりの学校に行ってみたいそうだ。ドラマだとか漫画だとかで憧れを強めたのだろう。
俺としては問題ないように思える。
周りに瘴気を撒き散らして、自分と同じように被害を広げてしまうのだったら話は別だけど。
「それは問題ないよ。お兄ちゃんが発生する瘴気の大部分を吸ってくれてるから」
「え、何それは」
聞いていないぞ。
消臭剤的な生き物になってしまったのだろうか。
「健康には関係ないんだけど。一度異形に近づいたら、もっともっと異形に好かれやすくなるの。だから発生した瘴気もお兄ちゃんに近づきやすい」
「へぇ」
じゃあいいか。
よくないけど。
現状から変わらないのであればよいではないか。
隣の席のクラスメイトは肉塊だし、明らかに俺を嫌ってそうなその娘の妹はゾンビだし、自分の妹は闇というか幽霊みたいなものだし。
何もおかしくないね。
人はこれを現実逃避と言います。
俺以外の人間には妹の姿は見えないとのことだったから、明日学校に連れて行くことにした。
そう伝えると彼女は非常に嬉しそうに触手を伸ばす。
菜々花のものとは違い繊細っぽい見た目である。菜々花のは肉肉しい。
話をしているうちに夜も更け、寝るべき時間がやってきた。
明日に響いてはまずいのでベッドに潜り込む。
流石に同衾は倫理的に駄目だ。妹は一緒に寝たがったが、自分の部屋に戻りなさいと優しく諭した。
思っていた以上に疲れていたのか瞼を閉じた途端に眠気が襲ってくる。
すーっと意識が薄くなって遠くなっていく。
ベッドに体が沈み込む――。
◇
起床。
非常に寝覚めのよい朝だった。
実を言うと俺は朝に弱い。
そのためいつもは遅刻ギリギリに起きて、食事は取らないということが多い。
健康に悪いとはわかっているのだけど……それ以上に怠惰を貪りたかった。
「おはよう、お兄ちゃん」
しかし自らの力で起きたのではないようで、枕元には闇が立っており、上機嫌に見下ろしてくる。
一瞬このまま殺されるのだろうかと思考が飛ぶ。
あ、妹だ。
「おはよう」
感覚としてはスッキリしていても頭の回転は鈍い。
数秒ほど考えてやっと妹の存在に思い立った。
掛け布団をずりおろしながら口を開く。
「おはようっ!」
くるりと回転しながら妹は「朝ご飯できてるよ」と部屋を出ていった。時計を見ればまだ七時ほどである。朝食を食べるには余裕の時間。
彼女が食事を作ったのだろうか。存在を露呈したくないと言っていたのは妹だったはずだが、どうして自らひけらかすような真似を。
と思って階段を降りて行く。
「なんか今日お母さんとお父さんいないみたいで」
「……あぁ、そういえば出張に行くとか言ってたな」
リビングには妹しかいなかった。
普段は父親がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいて、母親が鼻歌を歌いながら朝食を作っている。
いや、最近は起きないからその光景を見ることはなかったんだけど。
影が実体を持って立ち上がっているような妹だが、本当に実体を持っているようだ。
影だとか闇だとかは物に触れられなさそうなものだけど、彼女は触手を器用に操ってフライパンをひっくり返している。
形のいい目玉焼きが宙を舞った。
「はい、どうぞ」
お皿に乗っているきつね色のトーストと目玉焼き。
戦争を避けるためだろう、目玉焼きには何もかけられていない。
俺は小さく唾を飲み込みながら「いただきます」と手を合わせた。