草壁菜々花は美少女である。
入学式から一週間が経過した現在でもそう騒がれている。
いや、むしろ学校中に噂が広がっているから、さらに騒がれているかもしれない。
蜂蜜を溶かしたように透き通る金髪は、何処か外国の血が入っている証拠らしい。彼女――と表現するのにいささか抵抗はあるが――に聞いてみるとイギリスの血が四分の一ほど流れているとか。
外国産の肉ということだ。
一週間情報収集をしてわかったのが、菜々花は俺以外からしてみれば本当の美少女らしいということ。
今もひそひそと彼女を褒め称える声が聞こえてくる。
寝た振りを敢行している教室内でだ。
「化野さん、お疲れですか?」
鈴を転がしたような柔らかく透き通った声が耳に滑り込んできた。
するりとそちらに目をやると、聴覚の感じた好感度を一瞬で無に帰すどころかマイナスにするおぞましき姿。
高さ百六十センチにも至ろうかという肉塊である。
「……うん、少し」
疲れている原因は九割くらい目の前の肉塊だ。
俺はすぐにでも席替えをやってほしいのだが、どうやらこの学校は席替えがないようで。
日々男子連中からやっかみの目を向けられている。
「あっ、もしかして遅くまでゲームでもしてたんですか? 化野さんはゲームが好きと自己紹介のときに言ってましたもんね」
「あぁ、うん、そうだよ」
確かにゲームはやっていた。
グロテスクなゾンビが出てくるのをひたすら殺すゲームだ。
別に菜々花とはまったく関係ないが。
ちなみにそのゲームを買ったのは入学式が終わった放課後。
「ちゃんと寝ないと体に悪いんですよ」
「わかってる。今日は寝るから」
ゾンビを百体ほどキルしたら。
もちろんそんなことを言うはずもなく、俺は殊勝な態度で頷いてみせる。
菜々花は満足したようで「よかったです」と音符が付きそうなトーンで笑った。肉塊には口が付いていないため予想だが。
どうして俺にだけ彼女が肉塊に見えるかはわからない。
もしかすると自分の脳だとかに異常が生じているのかも。
とりとめもないことを頬杖をつきながら考えていると、教室の後ろの扉が勢いよく開く。
「お姉ちゃんいる!?」
「あれ、
俺はそっと両目を手で押さえて天を仰いだ。
「え、あれ草壁さんの妹?」
「凄い可愛い……」
「流石姉妹だね」
「でも私達一年生だし、なんでこの学校に?」
教室内の喧騒がより一層大きくなった。
きっと皆は菜々花の血を強く感じさせる美少女でも目にしているのだろう。
ちらっとだが俺も目にしてしまった。確かに彼女との血の繋がりを感じさせる。
もはや何も見るまいと固く閉じきったまぶた。
それを開いたのは声をかけてきた菜々花だった。
「化野さん化野さん」
「…………何」
「紹介します、妹の草壁雪花です」
あぁ、紹介されたらそちらを見なければなるまい。
本当に嫌だけど。できれば一生関わらずに生きていきたかったけど。
「…………どうも、化野曜です」
「ふんっ、こいつがお姉ちゃんにひっつく悪い虫? ぱっとしない男ね」
「ちょっと雪花!」
開口一番に罵倒された。
しかし俺は何も感じることがない。
教室中から嫉妬や好奇心のこもった視線を感じるが、それすらもどうでもよく思えた。
「ごめんなさい、化野さん。雪花は口が少し悪くて……」
菜々花は随分と申し訳無さそうに言う。
まぁ口は悪いんだろうな。見た目通りだ。
「何よ、本当のこと言っただけじゃない」
「…………………………はぁ」
「なんで今ため息ついたの!? 言ってみなさいよ!」
あーあー近寄るんじゃありません。腐臭が付いちゃうでしょ。
滅茶苦茶嫌そうな顔をしながら、胸ぐらをつかむ勢いで近寄ってくる雪花を遠ざける。しかし勢いが凄くて無意味だった。
姉が姉なら、妹も妹だな。
頭をよぎるのは一週間前に菜々花に授けた改名案。
姉とは違いきちんと着ているボロボロの制服からは今にも腐り落ちそうな手足が伸びる。
肉塊と比べれば遥かに人間らしいが、とても人間と表現できる見た目じゃない。
下手をすると眼窩から眼球が落ちそうだ。彼女――と形容するのに非常に抵抗感を感じるが――との距離からして、そうなると眼球は俺の制服に付着する。
「はぁ…………」
頭が痛い。
草壁菜々花の妹、草壁雪花はゾンビだった。
それもラブコメに出てくる可愛らしいゾンビじゃない。
バイオハザードとかで普通に襲ってくるタイプのゾンビだった。
彼女にこそ
名前からして雪女だったらまだ許容できた。今度こそ人間が登場してくれると期待していたが、雪女だったらまだよかったんだ。
なんでゾンビなんだよ。雪花って滅茶苦茶可愛らしい娘じゃないと名前負けするだろ。ゾンビだったらギャップ萌え狙えるかもって? ねぇよ。
「雪花と私は双子なんですよ。でも私のほうが生まれた順番が早かったから、お姉ちゃんなのです」
「あぁ、そう」
こうなってくると彼女らを生んだ母親の見た目が気になってきたな。
頭の中で魑魅魍魎が不思議な踊りをし始める。母親候補だ。
だいだらぼっち、河童、一寸法師、羅生門のババア……あと鵺とか。
一周回って普通の人間かも。ねぇよ。
俺はあまりにも信じがたい現実を目の当たりにして、そのように現実逃避をしていた。