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第2話 今のところはまだ存命(ブルーの場合)

◇ ブルーこと『水戸みと 恭一きょういち』の場合


「目が覚めたら変態の家とか……」

「路上で起きるよりましだろうが」


 水戸家次男として産まれ恭一という名前をつけられかれこれ二十九年。とりあえずなんとか生きてきたよくいる普通の人間なのに、どういうわけか俺――水戸恭一は変態へんたいだと言われたり、クズだと言われたり、この世の終わりだと言われたりする。どうもこの世界は、まだ俺の速度に追い付けていないらしい。

 朝からぶつくさ言っているピンクは無視してイエローことすーさんに電話をかける。まだ出勤前だったらしいすーさんはワンコールで取ってくれた。


「すーさん、いつ暇だった?」

『月水はシフト休みだったわ』

「んじゃ、すーさん月水ね。火曜は続木つづきに頼んどく」

『ん、了解』


 そんなことを話していると、背中に熱量。

 ピンクことにのまえが俺の背中にもたれてめそめそと泣いていた。こいつは表情筋が全く動かないくせに、感情表現が多彩で可愛い。電話を切ってから、彼の頭を撫でてやる。


「寝るなら横になれ。俺の背中は布団じゃねえの。あー、……もう泣くなよ。目溶けるぞ?」

「泣いても目は溶けない……非科学的……」

「あんまかわいいことするなよ。抱かれたいのか?」

「……いいよもう、好きにすれば?」

「ばーか」


 振り向いて正面から抱き止めると、ピンクは全身汗ばんでいた。熱が出ているようだった。

 二日酔いと多分ストレス性の胃炎とか十二指腸炎とかだろう。大人としては、こいつを病院つれていってやらなきゃいけないのだが、病院に行くと俺もバックれてきた様々な検査を受けさせられるだろうから面倒くさい。明日すーさんに頼んでおくかと思いつつ、一の涙を手でぬぐう。

 ぬぐった先からすぐにこぼれてきた。ボロボロボロボロと彼の心が涙になってこぼれていく。


「……つらい」

「二日酔いは辛いもんだ」

「吐いたら怒る?」

「好きに吐け」

「死んだら怒る?」

「お前が死んだら俺の落ち度。お前には怒らない」

「……水戸さん、失恋したことある? ちゃんとした失恋……」


 俺は恋は終わりこそ秀逸しょういつとおもっているので失恋しないことには完成しないのだが、……マァ、今聞きたいのはこういうことじゃないのはさすがにわかった。


「あるよ。……もう十年以上前だな……」


 そう話し出して、そんなに前なのかと少し自分でも驚いた。まるで昨日のことのように色鮮やかに思い出せるのに、時間は俺をあの日からそんなに遠ざけていた。



________________________________________

 ――俺が通っていた高校は進学校なのにやんちゃなやつが多かった。

 服装の規定はなかったのだが、それにしてもどいつもこいつもブリーチしまくっていて、黒髪の俺の方が目立つぐらいだ。教師陣も変な人が揃っていたし交換留学も毎週のように行われていた。こうやって思い返すとかなり自由な学校だったと思う。


「水戸ー、犬いるぞ」

「は? なに?」

「ほら、あそこ」

「お、本当だ。犬山いぬやまー! 走れー! 犬のようにー!」


 そんな高校で、俺は平和な高校生をしていた。まあたしかにその時点ですでに俺は『変態へんたい』として有名ではあったけれど、学内では手を出さないと決めていた。そのおかげで俺はいじめられることもハブられることもなく、平和に高校生をしていた。陸上部にちょっかいだして地の果てまで追われたり、クイズ研究会にちょっかいだして卒業までリベンジに追われたり、先生に膝カックン・・・・・したらヘルニア発症されて今もって恨みを言われたり、マァそんな感じの平和な男子高校生だった。


 そんな俺の失恋に至る恋の発端は、一年の初夏、五月のことだ。あの年は夏が早くて、五月だと言うのに真夏みたいに太陽がぎらぎらしていた。


「そういや水戸、羽山はやまから連絡きてるか?」

「羽山? 誰だそいつ」

「あー、やっぱりか。どうも途中で連絡網止まってると思ったんだよ」

「え、待て待て、連絡網ってなに? そんなんあんの?」

「あるよ。入学式のあとに配ったろプリント。……でもお前が羽山からもらってないなら半分ぐらい伝わってないな。はー。だる……」

「俺入学式バックレてるからもらってねえな。つーかだから羽山って誰だよ。うちのクラス?」

「うん。つーかお前、仮にも担任にタメ口ってなんだ? 体罰するぞ?」

「やってみろよ。俺元ヤンだぞ。つーか、だから羽山って誰だよ? 見たことねえぞ」

「あー、今のところ一回も登校してない」

「そんなやつを放置しているやつに敬語使う理由ある?」

「とにかく熱中症注意と不審者注意な。伝えたから、宮本みやもとに伝えといて」

「おう。わかった、駄目教師」


 俺はそこで初めて『彼の存在』に気がついた。

 気が付いてみればたしかに、教室にはいつも空いている席があって、そこは入学から一ヶ月誰も座っていなかった。他のやつに聞いても羽山と同じ中学のやつなどはおらず、事情は全くもって不明。


「なんか面白そうだから行くか」


 それで俺は羽山の家に行った。

 だめ教師の机を蹴り飛ばしたら住所録はすぐ見つかったので、行くことは簡単だった。

 インターフォンを押し、出てきた中年の女性に「羽山くんいますか?」と聞くと「あの子の友達?」と怪訝そうな目で見られたので「いやクラスメイト。面白いやつなら友達になるし、つまんないやつならもう来ない」と正直に返した。そしたら彼女はクスクス笑って俺を家にあげてくれた。


「学校でいじめってある?」

「いじめ? ないない。進学校にそんな馬鹿やってる暇はない」

「そう? だったら安心ね……あの子、中学のときにいやがらせ受けてたらしくて、折角受かったのに高校行くの怖くなっちゃったみたいなのよ」

「まじ? トラウマ持ってんじゃん。えー。病んでるやつ得意じゃねえんだよな……」

「家の中にいる分には元気なのよ。話してみてくれる? なんとなくだけどあなたとは気が合うと思うわ」

「へえ、そりゃいいね」


 そうして案内された部屋に、羽山はいた。

 部屋の中央でなにかを組み立てていたそいつは、突然部屋に入ってきた俺に目を丸くした。それが小動物みたいで、とても可愛らしくて、最初からあいつは俺の好みだった。


「え、誰?」

「お前こそ誰だよ」

「え、羽山優だけど」

「そうか。俺はお前が連絡網止めてるせいで熱中症と不審者注意ができなくて先週痴漢を殴り飛ばして熱中症になった男だ」

「は? 痴漢? え? 熱中症は大丈夫なの?」

「点滴打ったら治った」

「あ、そう? そりゃなにより……、えっ!? 連絡網? なにそれ? 知らないんだけど!」

「やっぱりだよ。止めてんのお前の前のやつだわ、野々村かよー、まじで使えないな、あの教師」

「え、いや、……いや待って、それできみは誰?」


 羽山はリスみたいなやつだった。

 小柄なところとか、鼻が尖っているところとか、目が丸いところとか、そばかすとか、ちまちました動きとかがリスっぽかった。こりゃいじられるタイプだなと正直思った。なんなら、いじめたくなる気持ちもわからないでもなかった。

 そのぐらい羽山は可愛かった。


「一年C組出席番号三十八番水戸恭一だ」

「……あ、高校の人か。不審者かと思った」

「不審者だと思ったなら名乗るなよ。危なっかしいやつだな」

「あ、ごめんなさい」

「別に謝ることじゃないけど。俺不審者じゃないし」

「あ、そう? うん? いや、でもなんで来たの? 担任すら来たことないのに」

「一ヶ月も休んでんのに? あいつ、まじでだめ教師だな。つーかなに作ってんの、それ」

「え、これ? 自動リモコン探し機。家中のリモコンを集めてくれる」

「へー、すげー。掃除しなくていいじゃん」

「でも動きが難しくて、冷房を暖房にしちゃったりするから調整中。というか、電波拾うようにした方がいいのかもって……ごめん、わかんないよね?」

「見てていい?」 

「え、うん。……いいよ」


 羽山はロボットアニメからロボットにハマり、こどものときからそんなものを作っていたらしい。俺は彼の作業を二時間ぐらい眺めてから「俺、また来ていい?」と聞いた。彼は目を丸くして「いいけど、見てて楽しい?」と返してきた。


「うん、楽しい」

「あ、そう? ならいいけど……」

「お前は? 邪魔じゃね、俺?」

「別に。……久しぶりに同い年の人と話したから、うん、……気恥ずかしさはあるけど楽しいよ」

「ん? 俺ダブってるから年上だぞ」

「え、ごめん! あ、敬語使ってない、ごめんなさい!」

「いや敬語はやめろよ。去年入院してたからそれで一年ずれたんだよ」

「入院!? なんで!?」

「同級生の親に手出したら刺された」

「クズだ‼」

「んでまた来ていいんだったよな?」

「え、お母さんに手だされたら困るからもう来ないで」

「ならお前が学校来いよ。うちのロボ研、楽しいやつ揃ってんぞ。なんなら俺も入るしさ」


 羽山がリスみたいで可愛いやつだったから俺はそんなことを言った。

 羽山は俺をじっと見て、それから慌てたように目を泳がせて、それでもまた俺を見た。俺はその間ずっと羽山を見ていた。可愛いなあと思っていた。羽山は顔を赤くして、ふうん、と言った。


「……じゃあ行こうかな」

「うん、じゃあ明日な」

「あ、うん。えと、……また明日、水戸くん」

「うぃー、また明日」



 それが発端ほったん

 それから羽山は、いじられつつも愛でられるという俺の予想通りの受け入れられ方をした。

 たまにいじりがしつこいやつもいたけれど、そういうのは俺が背後から膝カックン(ドロップキックともいう)してヘルニアを発症させておいたから問題なかった。

 そんな風にしていたからか羽山は俺に懐いてくれた。


「水戸くん、水戸くん」

「ん? なに、羽山」

「消しゴムで犬作った」

「なに? 犬作った? ……すげえ犬だ!」

「鳴くよ、これ」

「消しゴムなのに⁉」

「こすると、……」

「キューっつった! アッハッハッハッ才能無駄遣いだな! 最高! おい、犬山見ろよこれ! お前の顔消しゴムだぞ!」


 羽山は俺をよく笑わせてくれたし、俺が笑うところを見るのがすきだと言ってくれた。そんな可愛いことを言うやつだから俺も羽山が笑うところを見るのがすきになった。羽山が困った顔をしているのを見るのも嫌いではなかったけど、なるべく笑わせてやろうと思うようになった。

 それで俺は羽山に付き合ってロボット工学をちゃんと勉強し始めた。これが高校の一年目の話。


「優、帰るぞー」

「ちょっと重いよ水戸、乗っかんないで」

「お前いつまでやってんだよ。もうとっくに日が暮れてんの。オチビ、誘拐されたいのか?」

「でもこれあとちょっとだから……」

「あーしーたーやーれー。今日はもうおしまいだ。つーか俺を一人で帰らせるなよ。また熱中症起こすぞ。俺はすぐ倒れるぞー、いいのかー、俺が倒れてもー、なーあー聞いてんのー?」

「ええ、もう仕方ないやつだな、水戸は……あとちょっとなのに……」

「そう言ってからいつも三時間かかるだろ。手つないでやるから早く帰ろ」

「あ、え、手? へ、なん、ちょっ……え、なんで手つなぐのっなんで⁉」

「抵抗したら指折るからな」

「ごめんなさい! 連行しないで! 帰るから! ごめんなさい帰りますから手離して! 恥ずかしいよ!」


 二年目の夏には俺たちは割と本気で仲良くなっていた。優も俺をおざなりに扱うようになっていたし、俺も優をそれなりに乱暴に扱うようになっていた。気が置けない仲というか、ニコイチというか、そういう感じだった。

 俺たちは毎日いろんなものを作って、毎日いろんなことを勉強して、ほとんど毎日一緒にいた。思い返すとこのときは俺の節操はちゃんとあった。優と勉強する方が楽しくて、恋愛をしている暇がなかったからだ。

 俺たちは恋愛とは違うところで楽しい青春を送っていた。

 だからか、三年目に少しおかしなことになった。


「恭一、僕、彼女を作ろうと思う」

「彼氏だったら俺がなってやれるぞ?」

「いやもう彼女自体はできたんだよ」

「は? できた? まじかよ。誰だよおい? 聞いてねえぞ。紹介しろよ。どこの女だよ。そいつ俺よりいいやつなのか? 名前は?」

「名前はまだつけてない」

「……、何製だその彼女?」

はがね

「固いな」

「まだプロトタイプだけど、ここから絶対僕を守ってくれる彼女にするんだ。協力して」

「……強すぎるだろ……お前の心……」

「あっ! 馬鹿にしてるな! 童貞を馬鹿にしてるな!!」

「童貞は馬鹿にしてねえけど優は馬鹿だと思ってる」


 そんなこんなで優が作った無機物彼女のクオリティーをあげるのが高校三年の俺たちの日常で、俺たちの高校三年間の集大成になった。

 今振り返っても面白さしかない三年間で、もし時が戻っても同じことをしたい三年間だった。


「恭一、大学行っても仲良くしてくれる?」

「当たり前だろ。なんなら付き合ってもいいぞ」

「それはいいかな。恭一のセックスえぐそうだし、僕には最強の彼女いるし」

「ちぇっ、つまんねえのー」

「セックスえぐそうだし」

「二回も言うな。否定できねえしそれは」

「でも仲良くしてね」

「それこそ二回も言うな、ばーか」


 俺はドイツに留学を決めてたし、優はアメリカに決めていたから、俺たちはそんな感じでそれなりに切ない卒業をした。お互いに慣れない環境で必死になりながら、電話一本まともに入れられなくなるぐらい必死になって勉強した。


 次の年、優が死んだと連絡が来た。




________________________________________


「……え? 待って、話が急展開過ぎる」

「自殺だった。向こうでエンバーミングされて帰ってきたから綺麗な死体だった。寝てるみたいで、……本当に綺麗だった」

「は? ……え、これ実話ですか?」

「実話ですが? お、ちゃんとそれ飲み終えたか、エライエライ。もう一本飲め」


 冷蔵庫から次のスポーツ飲料水を取ってこようと立ち上がったら腕を捕まれた。


「なんだよ」

「話が、急展開すぎる……」

「そうか? そんなもんだぞ、人生」

「え、だって、へ?」

「へって……あのなー、あいつは神様にも好かれるぐらい可愛いやつだから連れてかれただけ。そんだけの話をまだ俺が引きずっているっていうそんだけの話だ」


 口にしてみるとたしかにそれだけだと思えた。十年経ったからか胸に痛みもない。どうやら俺と彼岸にはそれなりに距離ができたようだ。


「そんぐらい楽しい時間だったんだよ……だから、なんというか、もう誰かに死なれるのしんどいんだよな……」


 もう寂しくはない。ただ未だに夢に見るだけで、そのことが少し寂しいぐらいだ。


「……誰かに寝取られてくれりゃ、俺はもう死に顔を見なくていいし……俺じゃないやつが友達だったら優も死ななかったんだろうしな……」


 ぼんやりと思ったことを呟いていたらズゾゾゾゾっとすごい音を立てて、一が鼻をすすった。鉄仮面がぼろぼろと泣いている。想定外の反応に「へ」と声が出た。


「なんで泣く? 泣かせる要素は全部省いて話したろう?」

「ずっ、……ずっと、水戸さん、ただの変態、だと思って、た、のにっ……ぐすっ」

「変態には違いねえぞ。相変わらず無機物彼女作ってるし」

「……うっ……無機物、彼女って、そもそも……そんな……うっうえっ……」

「泣きすぎ。泣きすぎだから、……えー? 今のどこに泣く要素が……」


 ベッドに戻り、一の頭を撫でた。そしたら思った通り一が抱きついてきた。海の匂いと酒の匂い。その背中を撫でてやったら苦しくなるぐらい強く抱き締められ、つい笑ってしまう。


「ピンクよ、自暴自棄じぼうじきになってもいいから死ぬのはやめろよ。結構へこむんだぜ、まわりはさ」

「……死なない……」

「エライエライ、よしよし。しかしそろそろ離れてくれ。この話をしたあとにえぐいセックスして台無しにしたくない」

「変態だ……」


 俺から離れた一がそのままベッドに横になった。素直でいいこだ。


「頭痛薬効いてきたか?」

「うん……」

「ならよかった。寝ていいぞ」

「……ねえ、水戸さん」

「ん?」

「優さんって……なんで死んじゃったの?」


 俺は少し考えてから可能な限り、にこやかに笑った。


「俺にはその理由はわからないことになっている。しかし自殺に関与した人間全て未だに病院暮らし。死ぬまで拘束され続けるだろうな。……寝るか、水飲むか、どっちがいい?」

「寝ます」

「いいこだ。今夜は震えて眠れ」


 布団をかけ直しスポーツ飲料水を取ってこようと立ち上がると「水戸さん」とまた声をかけられた。「なんだよ」と振り返ると「……水戸さんも死なないでね」と可愛い言葉。


「ばーか」


 しかしもう十年も前になるのか、とぼんやりと思った。十年も経てばそりゃこんな気持ちにもなるよなと思いつつ、スポーツ飲料水を取ってくると、一が目を開けた。

 何故かにやにやしていた。


「そういや水戸さんっていつ続木さんに告白すんの?」


 やっぱりこのガキ、一回教育しておこう。



「一、……『俺の声を聞いて』?」


 俺は可能な限りにこやかに微笑んだ。





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