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閑話 それはきっと優しさではない

◇ レッド


「ブルー」

「……」

「水戸!」

「ん? 俺か。どうした、続木」


 彼が始めた遊びなのに彼はよくこのあだ名を忘れる。全く馬鹿である。私がゆっくりと立ち上がると「帰るのか?」と彼は聞いてきた。


「うん。ピンクもつぶれたし、明日は土曜だし」

「どっか行くのか?」

「女は忙しいのよ。また婚活しなきゃだから、メイク道具揃えて、靴買って……なにその顔?」


 水戸は嫌そうに顔を歪めていた。そんな顔をされる筋合いはない。


「続木は婚活上手になりたいのか? その先にあるのは結婚だぞ?」

「当たり前でしょ。なに言ってんの?」

「猫かぶっても結婚生活がしんどいだけだと思うけどな……」

「は? じゃああんたはこのグズグズになるまで飲む女が婚活会場にいたらどう? 膝ついて告白するかよ? しないでしょ?」

「するよ」


 間髪いれずにそう言った後、水戸はクスクスと笑った。


「……うん、お前の前に膝ついて告白してやる。だから今度それやれよ、レッド。お前が最強だ」

「やんねーわ、タコ。帰る」

「待て待て。タクシー呼ぶから。グリーンもイエローも帰るか?」

「うぃ」

「はい……」


 彼の呼び掛けにのろのろとしかばねが動き出した。水戸がタクシーを呼び、屍たちは飲み会の片付けをし始める。バックれるつもりだった私も、渋々片付けに参加した。


「俺、明日も仕事かー」

「わたしも試験作らないと……二日酔いに効く薬は? の自由記述でいいですかね、中間試験」

「それを古文か漢文で答えろって? 逆に難易度高いんじゃない?」

「たしかに採点も面倒くさそうですね、よいしょ……水戸、この辺のごみの分別だと発砲スチロールは燃えますか? まあいいか、燃やしましょうね……」


 屍たちの話を聞きながらぼんやりと「大丈夫かな、ピンク」と言うと、彼らは「だめだろなあ」「片思い期間長すぎますからね」とため息を吐いた。

 ピンクこと一くん。

 半年前に水戸が飲み屋で拾ってきた無表情の青年だ。無表情なのに妙に愛嬌があって応援したくなる子だけれど、彼はあまりにも報われない恋をしていた。だからこんな日がくることは私たち全員がわかっていた。そのとき彼が泣くことはわかっていた。そうして彼はやっぱり泣いた。吐きながら、死にたいと嘆いた。

 わかっていたのに、どうしてもこの地獄を避けてあげることは出来なかった。


「まあ……でも俺らがいるから、なんとかなるでしょ」

「失恋しても地球は回りますよ」

「……そうね」


 水戸がのろのろと戻ってきた。


「タクシー五分で来るって……片してくれたのか、ありがとう。……で、続木にはこれをやる」

「ん? なに?」

「家帰ってから開けて」

「はーい」


 飲み屋のお土産だろうか。渡された小さめの紙袋をよく見もせずに鞄に詰め込んだ。

 水戸は私たちに一リットルの水を持たせ、「家着く前に飲みきれよ、酔っぱらいども」と捨て台詞を吐いて私たちを家から蹴りだした。


「はー、夏だなぁ……」

「夜までセミがうるさいよね」

「年々季節感が薄れてきましたね……日本の四季は失われました」


 そんなことを話した後、各々タクシーに乗り込んで解散となった。

 ちびちびと水を飲みながら流れていく車窓を見る。夜中には出歩く人も少ない。でもビルディングは夜中も光が点っていて、きっとまだ働いてる人がいるんだろうと頭の下がる思いだ。そんな風に生真面目には生きられない。だから私は早いところ結婚して、この人生すごろくをあがりたい。

 そんな思いの恋と一くんの恋の重さは全然違う。一くんの恋の重さは人を殺せる重さだ。

 頭のいい人は、失恋で死ぬなんて馬鹿とか言うだろう。でも人が馬鹿じゃなかったときなんてあるだろうか。人はみんな馬鹿でみんなすぐ死んでしまう。そういうもんじゃないか。

 だから怖いのだ。一くんが死んだらどうしようと私たちはみんな怖がっている。


「着きましたよ」

「ありがとうございます」


 運転手に声をかけられてのろのろとタクシーから降りる。結局家に着くまでに水は飲み切れなかった。飲み終わるまで起きていようと決めて、ふらふらと家に入り、鍵をかけ、靴を脱ぐ。


「……死なさないようにしないとなあ」


 化粧を落とし、軽くシャワーを浴びてからまた水を飲みだしたところで思いだした。


「そういや、なんかもらったな」


 鞄から水戸に渡された紙袋を取り出す。中には黒い包装紙に包まれた細長い箱が入っていた。チョコレートだろうかと思いながら紙を破る。


「…………、ハッ、あー、……こういうことする……」


 メッセージカードには『もらい損ねた婚約指輪の代わりに。元気出せよ』と書かれていた。くそやろうと思いながら、そのネックレスを手に取る。ダイヤがキラキラ光って、酔っぱらいの目にも美しく映った。


「なかなか死なせてもらえないなあ」


 高そう、と呟いてから箱にしまった。

 次の飲み会で着けていってやろう。きっと水戸は目敏めざとくこれを見て「似合ってんじゃん」とにやにやと笑うことだろう。想像するだけで腹立たしい。メッセージカードを爪先ではじいて「だからどうせあいつもゲイだ」と水を飲んだ。


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