――なんでこんなことに。
お屋敷といえばこんな感じ、と思える大きな建物を見上げて、僕は口をぽけっと開けたまま遠い目をした。
つい先日も同じような状況になった気がするが、あんなもの可愛かったと思えるくらい、現在進行形で僕は危機的状況におかれていた。
馬車に乗って国を出るまでは順調だったのだ。乗り合わせた乗客たちと仲良くなって、小さな子どもと手遊びをしたり年配の大人たちからお菓子を恵んでもらったり、けっこう楽しくて幸先いいな〜とのんきに考えていた。
それが変わったのは国境を抜けた直後だ。突然馬車が止まったかと思うと、武器を携えた野蛮な男たちが乗り込んできた。護衛を兼ねていた御者は複数人での襲撃にあえなく敗北し、残念なことに腕の立つものは他にいなかった。
「「きゃーーー!」」
「動くな! おれたちは探しものをしにきただけだ」
彼らは乗客を脅しながら、魔導具だろうか? 何か置物のようなものに順番に触れるよう促した。触れるとチリーン、と鈴のような音が鳴る。こんな状況じゃなければ可愛い音だと思ったかもしれない。しかしいまは恐怖へのカウントダウンのように感じられた。
子どもを守るように座っていた僕にも順番は回ってきて、恐る恐るそれに触れた瞬間「チ、リ……」とほとんど音も鳴らず静けさが広がった。なに……?
乗客はみんな僕の手元をみてポカンとしていたが、襲撃者は僕の顔を確認しにくる。すぐに「へへっ、上玉だな」と野卑た笑みを浮かべ、僕は馬車から連れ出されてしまった。
「やだぁー! おにいちゃぁん!」
「黙れやぁ! 殺すぞ」
背中に庇っていた子どもが泣き叫んでいる。やつらの目的があの子じゃなくてよかった……
馬車から外に出ると、それほど遠くないところに国境の建物が見える。僕はいちかばちか、大声で叫ぼうとしたが……、その素振りを見せた途端に昏倒させられてしまった。
目を覚ますと荷馬車に乗せられていた。襲撃してきた男たちとは別の人物が僕を運んでいるようだ。手足は縛られ、どこへ向かっているのかもわからない。
僕はもう、この時点で諦めの境地だった。身ひとつでこの国へ来たのだ。
助けに来てくれそうなあてもなく、同じ馬車に乗っていた人たち以外は誰も僕のことを知らない。これでまだ諦めるなというのは、無理な話だ。
きっとあの魔導具は魔力を測っていたのだろう、僕だけが引っかかるとすればそれくらいしかあり得ない。はー、これは奴隷行きかな? 確かディルフィーも奴隷制度は禁止されているはずだけど、闇なんて……どこにでもある。ああ、痛いのは嫌だな。
ほんと、先日から散々だ。セレスはどうしているだろう。
ロディー先生がいるんだからもう全快してピンピンしているはずだ。僕のことを少しくらいは気にしてくれるといいな〜とか、自分から離れたくせにずるいことを考えちゃったり。
きっと僕がいなくなったことに気づいてもいない。いや、もう一週間以上経ったし、もし治療院に顔を見せていたら気づくのかな。
不可解なことに、セレスはやけに僕に対して執着してくれていたみたいだけど、会わなくなればその気持ちも時間とともに薄れるのが普通だ。
だから忘れるまでの間くらい、会いたいとか思ってくれていたら……僕の失恋もちょっとは報われる。
数日かけて不自由な体勢で体中痛くなりながら到着したのが、いま目の前にある貴族の住むようなお屋敷だった。ぱっと見たかんじセレスの家よりも大きい。
まぁそうか。奴隷(仮)を手に入れようとするなんて頭のおかしい特権階級くらいだろう。
僕は足枷だけ外され、ぼうっとしたまま屋敷の中へと引っ立てられるように歩かされた。昼間はずっと荷物の中に隠されていたせいで、日差しが目に痛い。そして暑かった。
それどころではないから意識していなかったけど、季節は夏本番。しかもディルフィーはアクロッポリより温暖だと聞いたことがある。
横目に見た庭はお粗末というか、広いだけであまり手入れされているようには見えない。しかし建物の中に入ると、素人目にもまぶしいくらいに綺羅びやかな――悪くいえばゴテゴテとした装飾の多い内観だった。
しばらく玄関ホールで待たされたのち、階段の上からゆっくりと現れたのは赤紫色の髪をした女だった。40代くらいだろうか、メリハリのある身体に真っ赤なドレスを身に纏い、気の強そうな顔にこれまた派手な化粧をしている。金があることを示すように、眩しいほど大きな宝石をたくさん身につけていた。
僕の隣りにいた男が頭を下げた。
「お持ちしましたよ、メデーサ伯爵」
「ようこそ、
女は手に持った扇子で僕の顎を支え左右からじっくりと見つめたあと、納得したように頷いた。家令に合図して僕を連れてきた男たちに褒美と思われる包みを渡し、僕は侍女によって奥の部屋へと通された。
どうやらこの屋敷の主人はさっきの女伯爵みたいだ。そして僕の終着地点はここでもないらしい。見た目を重要視しているってことは……まさか
部屋にも数名の侍女が待っていて、僕は広いバスルームに連れて行かれ容赦なく全ての服を剥ぎ取られた。えっ嘘? ぎゃー! やめて!
僕も女性に怪我をさせたくないから抵抗しきれず、身体を洗われ始めてからはされるがままだった。とはいえ、人にすみずみまで洗われた経験など、記憶もない幼少期以来だ。
慣れないことにくすぐったさでぴくぴくと震えながら、あらぬところは羞恥に悶えながら耐え、石鹸を湯で洗い流されたときには息も絶え絶えだった。
彼女たちは僕に話しかけることはせず、内輪で「つるつる」「白い」「さらさら」などと暗号のような言葉を交わしていた。
その後さらにパックやら髪のトリートメントなどを施され、長丁場に疲れ果てた僕は途中から眠ってしまっていた。どうせ逃げられないし、この怒涛の展開のなかでは比較的平穏なうちに休んでおきたい。