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第13話 魔法治癒局

 はじめて足を踏み入れた王宮は豪華絢爛きらびやか……という訳でもなかった。

 セレスたちの働く魔法研究局やポロスが所属している経理局のある区画は、王族の居住区や賓客を迎える場所とは当然分かれている。


 人が働く場所という意味では治療院とそう変わらない。ただ、規模はとんでもなく大きかった。天井は高く廊下も幅があり、日も落ちた時間帯で人が少ないせいかだだっぴろく感じる。


 セレスは到着したとたんに目を覚ましたので、三人で歩いている。

 起こすのは忍びないと思いつつ、身長差のある僕じゃ到底運べないし、セレスと同じくらい身長があるクリュメさんも力仕事とかしなさそうだから助かった。


 どの部屋の扉も木製で重厚そうだったけれど、クリュメさんは入り口に“魔法治癒局”と書かれている扉の前で立ち止まり、慣れた様子で開いた。

 部屋の中は治療院と似ているようで、よく見ると全然違った。治療院で使うような治療用の魔導具は見当たらないし、診療台は清潔感を保ちつつも立派だ。


「うちは魔法で治癒するからね、魔導具は置いてないんだよ。ようこそ、可愛い人」


 隣の研究局で魔導具の開発にも携わっているんだ、と説明しながら手を差し出してきたのは、波打つローズピンクの髪が華やかな女性だった。

 口調こそ軟派な印象だが、ネイビーの瞳は理知的で白衣が似合う、安心して治療を任せたくなる空気感を纏っていた。

 彼女は「ロディー先生って呼んでね!」と言ってパチッとウインクを飛ばしたあと、さっと僕を診療台へ案内した。


「え! ま、待って下さい。せ、カシューン魔法師長の治癒が最優先では? しかも僕、お金も持ってません……」

「いやー、私もそう思ったんだけどね。それじゃ納得しないという人がいるもんで。あと、お金の心配なんてしないの! そこの人がたーっぷり持ってるから、安心しなさい。まさか、緊張してるの?」


 ロディー先生はちらっと僕のそばに立つセレスを見ながら告げた。僕がこんなにも慌てたのには理由がある。じつは治療院で働いているものの、治療を受けたことはないのだ。

 この前ネーレ先生から聞いた記憶にない大怪我はあったみたいだが、記憶がある分には治療も、ましてや魔法を使った治癒の経験もない。お金だってかかるし。


「う……初めてなんです。それに、僕は打ち身程度なんで、わざわざ治癒なんてしていただかなくても……」

「……初めてじゃないだろう。俺がついているから、そろそろ落ち着いてくれ」


 うじうじと抵抗していた僕は自分より怪我人のはずのセレスに宥められた。

 セレスによって診療台に寝かされ、手を握られてなぜか少しだけほっとする。この中で唯一の知り合いだからかもしれないし、体温をよく知っている相手だからかもしれない。

 眉をへにょっと下げてセレスの方を見ていたら、セレスはもう片方の手を使って、僕の目蓋を閉じるよう目元に手を置いた。


(あ、これ、あのときの逆……だ…………)


 あんなに緊張していたのに、治癒魔法の記憶はない。




 目を覚ますと、見たことのない天井に驚いた。ここどこ? なんで家じゃない場所で寝てたんだっけ?

 混乱しながらも身体を起こすと、びっくりするくらい身体が軽い。直前まで重くて痛くて最悪だった気がするのに……

 寝起きの頭でぽけっと考えていると、ベッドを囲っていたカーテンの隙間からローズピンクの頭が見えた瞬間に思い出した。


「あ、起きた! 身体の調子はどう?」

「えーと、……ロディー先生。身体の調子はいいです。ただ、記憶が途中で途切れてて……僕、いつの間に寝ちゃったんでしょう」

「あー、ごめんね! 怖がらせるといけないからって、カシューン魔法師長が魔法で眠らせちゃったんだ。過保護だよねー。もちろん、魔法師長の治癒もばっちり完了してるから安心しな」


 ロディー先生は簡単に診察してくれたあと、優しい顔で告げた。


「事情は聞いたよ、つらかったね……。魔法で身体の傷は治せても、心はそうにもいかない。もし眠れないとか、悩みすぎて辛くなったらいつでも連絡しなさい。無理に強くあろうとなんてしなくていい。弱くてもいいんだから、ひとりで抱え込まないこと」


 もちろん連絡する相手は私でも、信頼できるまわりの人でもいいからね。そう言われて、ちょっと泣きそうになった。この慈悲深さと言うか、包容力はネーレ先生に近いものがある。


 時刻はまだ早朝で、セレスは近くのベッドで眠っているとのことだった。僕よりもよっぽど酷い怪我だったから、まだしばらくは起きないだろう。


 セレスは自分が送っていくから僕が先に起きても帰さないように、とロディー先生に伝えていたらしい。保護者みたい、と笑いながら彼女は患者用のバスルームへと案内してくれた。

 そこは患者用というにはやけに立派な設備だった。僕が疑問を顔に浮かべていると、魔法師たちも泊まりがけの仕事のときによく利用するから、改修されていまの状態になったと教えてくれた。さすが、エリート集団は下にも置かない扱いだ。


 ロディー先生は今から仮眠をとるらしく、僕はゆっくりと身支度をさせてもらうことにした。

 僕たちのせいで宿直させてしまった訳だよな……。申し訳ない。


 昨日浄化してもらったとは言え、せっかくだし湯浴みでもしようと思った。セレスの家以来の立派なバスルームに、少しだけわくわくする気持ちもある。

 しかし僕が魔導具に触れると、水はちょろっと出ただけですぐに止まってしまった。


「あれ」


 壊れてるのかな。自分の家と違う仕組みなのかも……とぼんやり考えていて、やっと気づいた。


(あ……。魔力、切れてるんだ)


 魔力切れというと語弊があるな。毎日せっせと飲食で摂取している魔力が時間の経過とともになくなって、ありのままの自分に戻っただけだ。

 もはや習慣で意識せずとも魔力を切らさないように生活していたから、久々の空っぽの感覚に愕然としてしまった。自分の力では魔導具ひとつ動かせない。これが本来の自分なのだ。


 僕は諦めてバスルームを出た。元の部屋に戻ると、僕がいたベッドの他にカーテンが引かれているところがある。

 足音を立てないように近づき、そっとカーテンをめくる。そこには予想通り、セレスが眠っていた。


 身体ごとこちらを向いているから、顔がよく見える。セレスは眉根を寄せていて、かつて僕の家で見た寝顔よりちょっと難しい顔をしていた。

 僕は思わず顔に触れて眉間の皺を伸ばしてあげたくなったけど、カーテンの外から見つめるだけに留めた。


「……」


 そのまま王宮を出て、自分の家に向かった。途中で見つけた乗合馬車に乗り、家の近くで降りる。一日ぶりに帰ってきた部屋は、いつも通りシンとしていた。

 もともと物が多くない部屋を片付けて荷物をまとめる。

 ――このまま、国を出ようと思っていた。


 アステリアと話してから、かなり前向きになって「素直になってみよう」なんて思っていたけれど、昨日の事件で改めて思い知らされた。僕とセレスには、天と地ほどの差がある。

 いくら好意をもっていたとしても、もし奇跡が起きて……両想いになれたとしても、身分や地位にこれだけ隔たりがあれば乗り越えられるとは思えなかった。国一番の魔法使いに対し、僕は底辺の存在なのだ。


 一方的に迷惑をかけるなんて耐えられないし、周囲が許してくれるはずもない。クリュメさんは諦めたら駄目って言ってくれたし、前向きに生きていく心づもりはあるけど、セレスは駄目だ。それは……欲張りすぎだ。


 貴重なものなんて持っていないけれど、わずかな思い出の品だけは荷物に加えた。

 裁縫の練習でポロスとお互いの名前を下手くそに刺繍したハンカチ、セレスの家でヒュペリオさんに頼んで貰ってきた、一輪の花を押し花にしたもの。それ以外は全部捨てた。


 荷造りはあっという間に終わった。ベッドとか大きな家具は備え付けだからそのままだ。

 最上階に住む大家さんのもとを訪れると、急に退去するという話に驚いていた。そりゃそうだよな。僕は数カ月分の家賃を渡し礼を欠いたことを詫びたが、彼女は今日までの家賃しか受け取ってくれなかった。


「いいのよ! 誰にも迷惑かけないし、部屋も綺麗にしていたでしょう? こっちにとっても有り難い住人だったってわけ。それで? どこに行くつもりなの?」

「わ、こちらこそ……ありがとうございます。ディルフィーに行くつもりなんです」


 ほとんど休んだことのない治療院での仕事は無断で辞めることになるが、もともといなくてもいいと思われていたし、昨日の事件のあと普通に出勤してくるとは向こうも思っていないだろう。

 大家さんは隣国ディルフィーに食堂を経営している友人がいるらしく、場所と名前を教えてくれた。

 今までコツコツと貯めてきたお金で仕事を見つけるまでは生活するつもりだったけど、急なのでさすがに心許なかった。知り合いを紹介してもらえるなら仕事も早めに見つけられそうだ。


 思わぬ幸運に勇気づけられ、僕は旅をスタートさせた。

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