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第12話 望みの天秤

 周囲から投げつけられる石も言葉も、時間とともに収まり始めた。これ以上雨に濡れるのが嫌だったのかもしれないし、飽きただけの可能性もある。

 通りかかった人が野次馬に加わり、事情を知らないながらも何事かと覗いていく。

 そんな見世物のような視線に耐えられなくて、あと単純に起き上がる気力もでなくて、僕は濡れた地面に這いつくばったままだった。


 その時だった。


「ま、待って下さい! まだ……治療が……」

「退け!!!」


 怒号が聞こえて、ビクッと肩を震わせる。すべての怒りは自分に向けられるものだと思った。

 しかし周囲が静かになり人垣が動いた気配を感じて、僕はまた石が飛んできやしないかと怯えながら、おそるおそる顔を上げた。


 割れた人垣の向こうに見えたのは――


「せ、れす」


 僕の掠れた声がまだ遠くにいるセレスに届いたのかはわからない。ただ、まっすぐ目が合った。


 ローブは治療で外したんだろう、中に着ていた白いシャツには血がべったりと付いたままで痛々しいが、ひとりで歩けるほどには回復したみたいだ。

 セレスは僕の姿を認めた瞬間、ぶわ! とすごい圧というか竜巻の風みたいなものを放った。それを受けて、僕を囲んでいた人たちが物理的に吹き飛ばされる。近くにいた人は遠くに転がされ、見ていただけの人も尻もちをつく。


 魔法はそれきりだったけど、セレスからは記憶にも新しい魔力の圧をピリピリと感じる。魔法の影響を受けなかった人もその威圧のような感覚にどんどんと後退っていった。


「ウェスタ、大丈夫か」

「……そっちこそ。まだ治療は途中なんでしょ?」


 セレスの後方には追いかけてきた治療スタッフが右往左往している。野次馬はまだ転がっていたり散り散りに逃げたり……なんというか、状況的には混沌カオスだ。

 僕はセレスに支えられながら身体を起こした。あちこちが痛い。

 いてて……と顔をしかめながら腕を上げ、セレスの身体を服の上からぺたぺたと触って無事を確認した。本当は手や顔に触れて体温を感じたかったけど、いまの僕はあまりにも汚れている。


「ねぇ、ほんとに大丈夫? あんな無茶して……生きた心地がしなかった」

「大丈夫だと言っただろう。それに、もうすぐ迎えが来る」


 迎え?

 キョトンとしたところで、またガラガラと馬車の音が聞こえてきた。近づいてくる馬車はやけに立派なものに見える。

 さっきの事故のこともあって身構えてしまったが、馬車は僕たちから少し離れたところで静かに止まった。降りてきたのは赤い、見慣れた髪の――


「ウェスタ! なにがあったんだ……って、ボロボロじゃん!?」

「へ? ポロスぅ? なんで」


 仕事着だろうか、ポロスは紺色に白のラインが入った詰襟服を身につけていた。慌てたように走ってきたけど、セレスの圧を感じたのか「うおっ」と驚いて数歩離れたところで立ち止まった。


 カシューン魔法師長が事故に遭ったという一報は、恐るべき速さで王宮に届いたらしい。さすが有名人……

 セレスが定期的に僕に会いに来ていることを知っていたポロスは、その場所を聞いて僕のことが心配になったから無理やり付いてきたとのことだ。


「なんですか、この惨状は。はぁ、局長。その魔力を収めて下さい。あなたは治療院で治療を受けているはずでは? ボロボロの人間がふたりもいるし……聞いてないですよ。それで、あなたを轢いた馬車はどこへ?」

「クリュメか」


 魔力に構うことなく、ツカツカと僕たちの方へ近づいてきたのは銀色の髪をゆるくひとつに結び、海のような碧眼をもつ人だった。涼し気な雰囲気をもつ男だが、丁寧な口調のなかに辛辣さが目立つ。セレスと似たような黒いローブを羽織っているし、話しぶりからしてセレスの同僚だろうか。


 彼は周囲を見渡して再起不能になっている馬車を見つけると、その横に呆然と突っ立っていた御者を呼び寄せた。それにしても、馬車に乗っていた貴族っぽい男はどこへ行ったんだろう。


「ヒッ。も、もも、申し訳ございません!」

「あの馬車の紋章……ゲーリュオン子爵家か」


 聞けば、子爵は夜会があるとかで急いでいたらしい。

 子爵家で働く御者も精一杯の速度を出していたが、怒りっぽい子爵は手に持っていたステッキで馬車の中から馬を叩きつけた。結果、この暴走だ。

 そのせいで小さな子供が轢かれそうになり、セレスが慌てて魔法も使い馬車を止めたものの、わずかに間に合わず怪我をしてしまった。


 正直な御者はさらに顔を青褪めさせながら、その後のこともこう話した。

 治療スタッフの発言で怪我をしたのがカシューン魔法師長だと知り、子爵は慌てた。しかし側にいるのが魔力を持たない僕だと分かった瞬間、喜々としてスケープゴートに仕立て上げ、自身はさっさと逃げ帰ったと……


「とんでもない人ですね。あなたは通いの御者ですか? なら、もう子爵家には行かないことを勧めますよ。その調子であれば、もともと働きやすい職場ではないでしょう」

「……許せない」


 なんかセレスがまた怒ってるんですけど〜……。というか、御者の話で僕が魔力なしだとサラッと暴露されてしまった。そこに突っ込まないということは、やっぱり知っていたんだろうなぁ。ちらちらとセレスの顔を見ながらひとり納得する。

 それにも構わず、御者から最低限の情報を聞き終えた銀髪の男は、追い立てるように僕たちを馬車へと促した。どうやら王宮で治癒専属の魔法師が待っているようだ。


 勝手に着いてきたポロスは、あとから到着する憲兵と合流して状況の説明と事態の収拾に協力するよう指示されていた。可哀想だけど、間違った情報が出回ることは避けたいから助かる。


 僕も馬車に乗っていいのか戸惑っていたら、セレスに支えられて押し込まれた。

 でも、綺麗な内装の車内で堂々と座れるわけがない。こっちは雨と水溜りで全身濡れ、砂や泥で汚れてまでいるのだ。

 むり! と泣き言を言っていると、後ろから乗り込んできたセレスが浄化魔法をかけてくれた。なんかこればっかりだな……便利だけど。


 全員が乗ったところで、馬車は王宮に向けて走り出した。銀髪の彼はクリュメ・ネークロス、王宮魔法研究局の副局長を勤める御仁らしい。

 僕も一応名乗って自己紹介を終えたところで、隣に座っていたセレスがうとうと、僕の方へ傾いてきていることに気づいた。


「治療の影響でしょうね。大きな傷はある程度治っているようですが、あとは王宮で治癒師に任せましょう。――あなたも災難でしたね」

「いえっ。もう、いいんです。諦めてるので……」

「魔力の有無は人の個性であって、他人を虐げていい理由にはなりません。いまの風潮を変えようと藻掻いている人もいるんですから、あなたも諦めては駄目ですよ」


 いつか、誰かの希望になれるかもしれませんからね。クリュメさんは最後に小さく付け加えて、窓の外に目を向けた。

 僕は眠ってしまったセレスの頭の重みを肩に感じつつ、石を投げられているときに感じた絶望と、いま言われた言葉の内に込められた希望を天秤にかけた。


 比べるべくもないけど……ああ、疲れて頭が痛い。

 セレスの背中に腕を回して身体を支える。服越しにも伝わってくるセレスの体温に心底ほっとしながら、僕も目を閉じた。

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