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第7話 ことばが足りない

 僕は開きなおった。どうせもう収まりもつかないし、一発サクッと抜いちゃえば気持ちよく寝られるはず!


 ベッド横のサイドテーブルには、ランプに照らされるようにして保湿用の香油が置いてある。さっきは喜々として湯上がりのスキンケアに使わせてもらったそれを、もうちょっと拝借しても構わないだろう。

 香油を手にとると、ちょっと申し訳ないくらいにいい匂いが広がった。石鹸の香りと混ざると、なんともいえない妖しい芳香になる。


 目をぎゅっと閉じると、否応もなく好きな人の……セレスの顔が脳裏に浮かんだ。


(あ〜〜〜、欲し……)


 どうしようもなくそう思いながらも、肌を重ねた記憶を掘り起こし……

 訪れる解放感に身体が備えたところで――


 カチャ、と部屋のドアが開いた。


「…………」

「…………」


 永遠にも思えた一瞬の間、僕はセレスと見つめ合った。


 言い訳しなきゃいけないことは山ほどある。聞きたいこともある。お互いに何かを尋ねるにしても尋ねられるにしても、とにかくこの状態じゃ無理だ。

 服を直す間も刺さるような視線を感じてたんだけど……沈黙が怖すぎるし、なんでもいいから何か言ってほしかった。


 よし。そう来るなら、こっちだって何もなかったことにしてみよう。


「セレス、どうしたの? もう寝たんだと思ってた」

「明日は朝から仕事になってしまったから、寝る前に伝えておこうと思って」

「う、あ、そうなんだぁ……」

「ウェスタ」

「は、はい!」

「性欲の解消なら、俺が付き合おう」


 なにそれ。処理を事務的に付き合ってくれるって?

 どういうつもりで言っているのかわからない。けれど僕は、セレスの言葉にカチンと来てしまった。


「別に、もうすぐ結婚する人にお情けで世話してもらわなくでも大丈夫ですぅ」

「……」

「今日はちょっと。偶然、変な気分になっちゃっただけでっ、僕なら相手なんて簡単に見つけられるから! ――へ? うわっ!」


 気づけば僕の視界にはセレスと……天井が映っていた。へ、押し倒された?

 わけも分からず抵抗しようとしたが、セレスが短く何かを呟いたかと思うと、両手が頭上で、何かに縛られたかのようにまとめて拘束された。えっ、魔法だよね? 魔法ってこんなことできんの!?


 あっけに取られている間にセレスは僕の脚に乗り上げ、完全に身動きが取れなくなってしまった。

 セレスは……すごく怖い顔をしている。アメシストの瞳も黒に近いくらい色濃く淀み、髪の色と相まって冷酷にさえ見えた。

 眩暈を起こしたみたいに、ちょっと景色が揺らいでいるような……というか、本当にセレスの周りだけ透明なもやのような何かがある。薄暗い部屋の中で、ランプに照らされて影が揺らめいた。


「せ……セレス? どうしたの? なんか、それ……」

「……るせない」

「え?」

「俺は、ウェスタが他の誰かに身体を触れさせるなんて、許せない」


 一言一言はっきりと告げられたその言葉に、僕は喜べばいいのか怒れば良いのかわからなかった。


 セレスからはずっと、ピリピリする圧みたいなものを感じる。あ、物理的な圧ももちろんかけられてるけど。そうじゃなくて……魔力なのかな? 魔力が可視化できるものなのかは知らないけれど、セレスから漏れ出しているような。

 ピシ、ミシ、と耳障りな音も周囲から聞こえてくる。陶器にヒビが入ったときみたいな、固いものに強い圧をかけた時のような音。ベッドサイドにある香油の瓶や魔導ランプが音の源になっている気がした。


「あ! ちょっと……やぁ!」


 突然、セレスは僕の着ているパジャマの裾から捲くって上にあげ、僕の視界を塞いでしまった。

 なんとか身体をよじって抵抗を試みるけど、腕と脚を拘束された状態じゃ、腰をくねくね動かしているだけにすぎない。薄いパジャマ越しに、僕の上にいるセレスの僅かなシルエットだけが見える。


「ねぇ、やめてよ……ん!」


 セレスに触れられると、身体は僕の意思とは関係なく気持ちよくなろうとしてしまう。だって……好きな人の手だ。


 でも、単純に喜べるような状況ではなかった。セレスがどこまでやろうとしているのか分からないけど、一度は寝た相手だ。最後までしようとしている可能性だってある。

 そしてそれは……とても悲しいことだった。


「せ、せれす……も、もう……やめて……っ」

「……」


 セレスが黙ってしまったからなお悪い。相手はセレスだってもちろん分かっているけど、表情もなにも見えないのは怖かった。

 僕の制止の声はどうしても弱々しい。でも本当に、こんな愛のない行為は嫌だ。好きだけど……好きだからこそ。こんな風に身体を繋げてしまったら、もう二度と手に入らない気がして。


 結局――僕の抵抗が功を奏したのか、セレスは身体を繋げようとはしなかった。身体の一部を重ね合わせ、互いに達するまで追い立てられた。


「っ、うぅ……」

「う、ウェスタ……?」


 もう限界だった。手酷く扱われたわけでもないけれど、気持ちよさに心がついていかなくて、悲しさで涙が溢れてくる。

 ひっく、ひっくと肩を揺らしていると、パジャマがやっと下ろされて視界が開けた。すぐにセレスと目が合う。


 先ほどまでの怒りはどこへやら、僕がぽろぽろと涙を流していることに気づいたセレスは、慌てた様子で魔法を解いて手を解放してくれた。ついでにさっと浄化されて全てがリセットされたように綺麗になる。


 でも、ここで起こったことは巻き戻せない。どうせなら記憶もなくしてほしかった……。

 ぐすぐす泣きながら僕が両手で顔を覆ってしまうと、ぎゅ、っと壊れ物を扱うみたいに優しく抱きしめられた。


「いやっ、触らないで!」

「ごめん、ごめんウェスタ……」


 セレスの温かい体温も、優しい腕も、落ち着くはずの香りでさえも今は離れたかった。なのに僕がいくら暴れても、セレスは謝りながら決して離してはくれなかった。柔らかく抱擁されているはずなのに、頑丈すぎる檻だ。

 さすがに途中で疲れ果てた僕は、諦めてセレスの胸で泣いた。くそう、どうせなら服をびしょびしょにしてやる。


 しばらくセレスの胸をハンカチ代わりにして、僕はそのまま、服を握りしめて眠ってしまったのだった。

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