王室には様々な儀式がある。
誕生月に行われる「経冠の儀」では成長するごとに、守り刀、弦楽器、冠、勲章などを授る。王室を離脱する場合、これまでに賜ったものを順に返還していくことになる。
「降嫁するって大変だなぁ」
儀式はいつも厳かで空気が重苦しい。衣装もなんだか古めかしい。おまけにやたら仰々しいので肩が凝る。何日にも渡って似たような儀式をしていると、いい加減飽きてくる。
「ね、これって一度に返還できたりしないの?」
隣にいる継母、マリアに問う。
「わたくしからは、なんとも……」
マリアは困ったように微笑んだ。
現王妃であるマリアは、僕の母が亡くなって数年後に妃として迎え入れられた。隣国の王女だったひとだ。二人の王子を産んだ後も、なにかと僕を気にかけてくれた。
「父上は、それどころじゃないしなぁ」
僕の降嫁が決定してから、父上はすっかり気落ちしてしまった。今も涙ぐみながら神々に結婚の報告をしている。
王室を離れるための「離位の儀」に、結婚相手は伴わないのが通例だ。
儀式を終えた後、僕はイヴァノフが暮らすモルガンの山岳地帯へ赴くことになっている。
すべての儀式を終えるまで王宮を出られないこと、儀式にイヴァノフが出席できないことは事前にモルガン家に伝えてある。
『もともとイヴァノフは人前に出ることが好きではありませんから、何も問題ございません』
モルガン母からは手紙でそう伝えられた。彼女とは、かなり頻繁にやり取りをした。
『山岳地帯で暮らすイヴァノフと手紙のやり取りをするには時間がかかりますから。ワタクシが窓口になってリア様のお手伝いをさせていただきます!』
テンションは高めだが、さすがは由緒あるモルガン家の妻。なかなか達筆な文字だった。もしかしたら、代筆なのかもしれないけど……。
『ワタクシ、良いことを思いついたんですけど!』
こういう場合、たいていろくでもないことが多い。
『リア様が降嫁の儀式をなさっていることは、イヴァノフには伏せておくんです。それで、予告なく突然あの子の前にリア様が現れる……! かなりびっくりすると思うんですけど。いかがでしょう?』
完全に子供のノリだ。成人女性にあるまじき思考。本当に由緒あるモルガン家の妻なのだろうか……。いずれにしろ手紙は代筆だろう。そうに決まっている。
心の中で思いっきり姑(予定)を罵倒してしまったが、日が経つにつれ意外と面白そうな案ではないか、との思いが沸き上がってくる。
「案外、気が合うのかもしれない……」
そんな風に思いながら、僕はモルガン母への手紙に『御義母さまのご提案に賛成いたします』としたためた。
この結婚にノリノリなモルガン母。
寄り添ってくれる継母。
本当は結婚に反対したいけれど、僕の強情さを知っているので涙するしかない父上。
静かに涙する父上には苦笑いするしかないのだが、それ以上に厄介なのが異母兄弟である弟たちの存在だった。
「兄さんの結婚には絶対に反対です。どうして美しく聡明な兄さんが、野蛮な獣人なんかの妻にならないといけないんですか?」
涼やかな顔にあきらかな不快感が混ざっている。八歳下の弟、ルドルフは獣人に良い印象を持っていないらしい。結婚そのものはもちろん、特に相手がお気に召さないようだ。
「俺も反対です。兄さんは体が弱いんですから、モルガンの山岳地帯のような場所で暮らすのは危険です。兄さんにはずっと、王宮にいて欲しいんです。俺の話相手でいて欲しい……!」
十歳下の弟、エミリオが抱き着いてくる。彼は少々ブラコンの気配がある。幼少期に可愛がり過ぎたのが原因だろう。ちなみに二人とも、体格は僕より立派だ。
「……例の疾患が原因ですか? 何も気に病む必要はありませんよ。兄さんの植物研究のおかげで、この国は以前よりもずっと豊かになりました。だから、ずっと研究を続けてください。誰にも文句は言わせない」
ルドルフが強い口調で言う。
どんなに体が大きくなっても、見上げる存在になっても、可愛い弟たちだ。まさか自分と兄の間に諍いなど起きるはずもないと思っているのだろう。
今は、何の問題もない。
けれどいつか、誰かの企みに利用されるかもしれない。
危険因子は取り除かなければいけない。
「二人とも、あとのことは頼みましたよ。二人で協力して、父上の力になってください。コスティールがこの先、もっともっと豊かで素晴らしい国になっていくことを祈っています」
僕は背伸びをして、二人の頭を撫でた。
儀式は、その後しばらく続いた。
ひとつひとつ賜ったものを返還していく。自分のこれまでが奪われていくような気がした。最後の守り刀を返したとき、何もかも失ってしまったような錯覚に陥った。
失ってなどいない。王族の身分から離れても、王族だった頃の自分がいなくなるわけではない。頭では分かっていても、さみしが募った。
「最後は、盛大にお前を見送る。歴代の王の結婚パレードより、何より……。今まで一番豪華なパレードだ。お前に後ろ暗いことなどない。何ひとつないんだ……」
強い力で父上に抱き締められ、思わず涙が溢れた。
パレードは、父上の宣言通り盛大に執り行われた。僕は白地に金の刺繍が施された衣装を身に纏った。髪はいつものようにメアリーが結い上げてくれた。
用意された白い馬に跨ると、ラッパの音が鳴り響いた。手綱を引きながら、群衆に手を振る。
イヴァノフと同じように、僕も人前に出ることが苦手だった。子を成せる体だということをずっと引け目に感じていた。嗤われているのではないか。後ろ指をさされていたらと思うと怖かった。
それでも今は、笑顔で手を振っている。最後の最後に、やっと王族としての姿を示せた気がする。
『お前に後ろ暗いことなどない』
父の声がよみがえる。昨日までの寂しさ、これまで抱えていた疎外感、孤独感。いつの間にか、それらはきれいに消えてなくなっていた。