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第4話 後輩のことが好きかもしれません 2

『いま着きました。南口でいいですか?』


 徒歩で駅に向かう途中、遊馬くんからメッセージが届いた。


 僕の自宅からだと南口のほうが近いので、彼の配慮だと思う。しばらく歩くと、南口が見えてきた。


 あ、遊馬くんがいる。


 彼は身長が高いので、見つけるのは容易い。


 サックスブルーの半袖カットソーと、ブラックのテーパードスラックス。ボディバックを斜めかけしたおしゃれ男子が立っている。イケメンでスタイルが良すぎるので、モデルの撮影現場に遭遇した感がある。


「さすがに格好良いなぁ」


 僕の口から、素直なつぶやきが漏れる。


 遊馬くんはスマートフォンを取り出し、じいっと見つめていた。


 そういえば『南口でいいですか?』というメッセージには返信していなかった。


 既読にはなっているのに、返答がないことを彼はどう思っているのだろう。両手でスマホを握りしめて、心配そうに画面を見つめる遊馬くんが可愛くて仕方がなかった。


 声をかけようとしたとき、彼の前にサラリーマン風の男が現れた。


 二十代半ばくらいだろう。長身の遊馬くんよりも、さらに上背があった。


 その男に話しかけられて、何度かうなずいてから遊馬くんは駅の北口のほうを指さした。


 何となく、男が距離を詰めているのが気になる。


「道案内なら僕がしますよ?」


 遊馬くんと男の間に、すっと割って入る。近くで見る男の体は、思ったよりも厚みがあってがっしりしていた。ニコニコしながら見上げると、整った顔立ちの男と目が合った。


「遠慮しておくよ」


 男は肩を竦めると、足早に立ち去った。あっさりと引き下がってくれたことに安堵する。


「あれ、おかしいな。さっきのひとが行きたがってた場所、反対なんですけど……?」


 遊馬くんは不思議そうに首をかしげている。同時に、僕は確信した。


 やっぱり、ナンパだったな。


 油断ならない。まったく。男にもモテるなんて聞いてない。何か、他人を惹きつけるフェロモンでも出てるのかな?


 僕は、じーーっと遊馬くんを凝視した。


「あ、えっと、七穂さん? どうしたんですか?」


 真顔の僕に、遊馬くんがたじろぐ。


「ちゃんと自覚、持ってね」


「え、なんですか? 自覚?」


「他人を惹きつけるってこと。遊馬くん、モテるから」


 ジトッとした目で遊馬くんを見上げる。


 注意喚起を促した僕に、遊馬くんの眼差しが強くなる。


「何を言ってるんですか! それを言うなら、七穂さんでしょう!」


「ちょ、なに。どういうこと……?」


 遊馬くんの勢いに驚いて、僕は後ずさりした。


「前から言おうと思ってたんですよ。七穂さんは無自覚すぎます! 学校で色んなヤツからじろじろ見られてるの気づいてないですよね!?」


 え、そうなの? ぜんぜん知らない。


「それって、僕がなにか変ってこと……? たとえば、寝ぐせがついてるとか?」


 毎日、いちおう鏡は見てるつもりなんだけどな。


「これだよ……!」


 遊馬くんが天を仰ぐ。


「狙われてるんですよ! 七穂さんは! 男女問わず!!」


 ……うちの学校って、スナイパーでもいるの?


「生徒だけじゃないですからね。教師にも気をつけてくださいよ。二人きりになっちゃダメですからね!」


 遊馬くんは真剣な顔をしている。


「ほんとうに、無傷なのが奇跡ですよ。まったく。だからこんなに、無防備でいられるんでしょうけどね……」


 遊馬くんがブツブツとひとり言のようにつぶやく。


「無傷……? 僕、学校で怪我をしたこととかないけど。階段を踏み外して転げそうになったことなら、何度かあるんだけどね」


 自分で思っているより、僕はドジなのかもしれない。過去の行動を反芻していると、遊馬くんに手首を掴まれた。


「……とりあえず、行きましょう。電車の時間です」


「手を繋いだまま?」


「こ、これは、手を繋いでるんじゃないです。七穂さんが無自覚すぎて心配なので。知らないひとに声をかけられたら、そのままついて行っちゃいそうじゃないですか」


「そんなことないよ」


 失礼だな。遊馬くんだって、さっきナンパだって気づいてなかったくせに。


 密かにむくれていると、遊馬くんが視線を彷徨わせはじめた。


「どうしたの?」


「ちょっと冷静になったら、恥ずかしくなってきました。これ、手を繋いでるのと変わらないですね」


 手首を掴んでいる遊馬くんと、掴まれている僕。それ気づいた周囲のひとたちは、ちらちらと僕たちに視線を送っている。


「このままでいいんじゃない? 今日から夏休みで、ひとがたくさんいるから。迷子にならないようにね」


「……はい」


 駅構内で目立っているのが恥ずかしいようだ。遊馬くんは、瞬きの回数がやたら多い。 


「七穂さん」


「なに」


「手首、細いですね」


「遊馬くんの手はおっきいね」


 僕の手首を掴んでも余裕がある。大きいけど綺麗な手。


 反対に、僕のは脆弱なだけ。そこまで、か細いわけじゃないと思ってたんだけどな……。 


 遊馬くんに握られた手首を見下ろしながら、なんだか心許ない気分になる。自分がひどく頼りない生き物になった気がした。


「デートだね」


 そう言って見上げると、遊馬くんは視線をはずした。


「と、友だち、なので。デートではないと思います」


 焦る遊馬くんを期待したのに、そうはならなかった。ちょっと瞬きが多くなっただけ。


 ちぇ。何だよ。遊馬くんのくせに、もっとオロオロしてくれても良くない?


 それに「友だち」というワードも妙に引っかかる。モヤモヤする。


 いつの間にか、眉間に皺が寄っていたらしい。


「夏休み初日に行くって決めたの、迷惑でしたか……?」


 ホームで電車を待っていると、遊馬くんが心配そうに訊いてきた。


「そんなことないよ。すごく楽しみだった」


 これは本当だ。指折り数えていた。


「だったら、良かったです」


 遊馬くんがホッと息を吐く。


「俺も、すごく楽しみでした。なんか、子どものころの遠足に行くのが待ち遠しかった気持ちを思い出して。そしたら駄菓子が欲しくなって」


「買ったの?」


「はい」


 恥ずかしそうに遊馬くんがうなずく。 


 えー、なにそれ。可愛い。


 電車の中で、遊馬くんから個包装のチョコレートをもらう。


「久しぶりに食べたけど、美味しいね」


「もぐもぐしてるときの七穂さんは、ラッコ的な可愛さがありますね」


 遊馬くんがうっとりしながら、チョコレートを手渡してくる。


「ラッコ的ってなに」


「癒しです」


 僕は癒し系だったのか。知らなかった。


「『メルちゃん』と『イルくん』にも負けてないです」


「誰なの、それ」


「ラッコです」


 今から行く水族館にいる二頭のラッコが、「メルちゃん」と「イルくん」らしいのだ。


「フランス語で、海と島の意味があるらしいです」


「そうなんだ」


「オスとメスが一頭ずついて、水族館でいちばん人気みたいですね」


 遊馬くんが水族館のサイトを見せてくれる。


 たしかに、トップページの目立つところにドドーンとラッコがいた。つぶらな瞳の二頭のラッコが、これでもかと愛嬌を振りまいている。


 僕はチョコレート菓子をもしゃもしゃ食べながら、彼の手元ををのぞき込む。


「詳しいね」


「予習はばっちりです」


 遊馬くんが笑う。とろけそうな笑顔だ。ぎゅん、と僕の心臓が反応した。







「ぜんぜん負けてる……!」


 目の前をスイ~~と移動する二頭のラッコを前にして、思わず声が出た。


 だって、可愛すぎる。もふっとした体毛に、つぶらな瞳。泳いでいたかと思えば、くるんと回転したり、両手で頬をむにむにしたり。もう癒しでしかない。


「可愛いーー!」


 オスの「イルくん」は芸達者なようだ。飼育員が持っているバケツに、集めたボールをせっせと投げ入れている。ボールをバケツに入れるたびに、観客からは歓声があがった。


 一方、メスの「メルちゃん」はマイペースな性格のようだ。お気に入りの貝をお腹の上に乗せて、ぷかぷかと水面に浮かんでいる。勤勉なラッコも可愛い。自由気ままなラッコも可愛い。


「何をしてても可愛い……!」


 しばらくすると「イルくん」が「メルちゃん」のところにスイ~~と泳いでいく。そして、「メルちゃん」と同じ仰向けの体勢になった。


 ……あ、手を繋いだ!


 ゆらゆらと水面を漂いながら、ぎゅうっと手を繋ぎ合っているのだ。なんという微笑ましく尊い姿だろう。


 ラッコには、潮に流されて迷子にならないよう手を繋ぐ習性があるらしい。水槽のそばにある案内板「ラッコの生態」に書かれている。


 ラッコのほうを見たまま、そっと遊馬くんの指に触れた。


 いつの間にか、僕の手首を掴む手がなくなっていて。離れたら、心許ない感じが増した。


 そっと、すべり込ませるみたいにして手を繋ぐ。


 遊馬くんがビクリと反応した。驚いた拍子に手が離れそうになったので、僕はぎゅっと彼の手を握った。


「さ、寒いんですか……?」


「そんなわけないでしょ。だって今は夏だよ」


「あっ、そ、そうですね……」


「ラッコのまね」


「え?」


「迷子にならないようにね」


 そう言って、ぎゅっと手を握る。


「……そろそろ、時間ですね」


「うん」


 大人気のラッコなので、時間制限があるのだ。ひとの波に押し出されるようにして、僕たちは歩き出した。


「お土産、買いましょう」


 視線の先には、お土産コーナーがあった。


「僕、ラッコのぬいぐるみ買う……!」


 ずんずんと先を急ぐ。「メルちゃん」と「イルくん」のぬいぐるみが山盛りになったコーナーをめがけて突進する。


「ふたつ買うんですか?」


「ひとりぼっちだとさみしいでしょ」


「……そうですね」


 優しい顔の遊馬くんに見下ろされる。


 また、心臓が反応した。


 僕が会計を済ませたあと、遊馬くんがもう一度レジに並んだ。 


「なに買ったの?」


「前髪、ときどき鬱陶しそうにしてるので」


 小さな包みを開けると、中からヘアクリップが出てきた。


「ラッコのヘアクリップだ……!」


「ちゃんとふたつ買いましたよ」


 貝を抱えているのが「メルちゃん」で、ボールを持っているのが「イルくん」。


「僕にくれるの……?」


「はい。……つけていいですか?」


「いいよ」


 遠慮がちに、そろりと指が伸びてくる。遊馬くんの手。


 僕は、反射的に目を閉じた。


「……髪、さらさらですね」


「普通だと思うけど」


 髪を梳いて、ピンで留める。


 ざわりと地肌を撫でられて、肌が粟立った。


「というか、なんで目を閉じるんですか」


「……なんとなく」


「あざといですね」


「初めて言われた」


 遊馬くんの手が離れていくのが分かった。ゆっくりと目を開ける。


 至近距離に遊馬くんがいた。


「可愛いです」


 にこり、と遊馬くんが笑う。ありえないくらいに心臓が騒ぎ出す。


 あぁ、もうダメだと思った。


 僕は、遊馬くんが好きだ。


 だって、こんなにも胸が痛い。


 手とか、髪とか。触れることも許してしまっている。


 そもそも、初めて彼に触れたのは僕のほうからだった。


 カフェテリアで、遊馬くんの手に触った。ちょっとしたいたずら心からだった。


 誰のことも好きにならないと決めていたのに。


「遊馬くんがわるよ……」


 格好良いのに、可愛いし。素直で、僕のことが大好きで。


「七穂さん? 何か言いました?」


 遊馬くんが首をかしげながら、僕を見下ろす。


 その顔を見たら、叫び出したくなった。自分の気持ちを認めたら、好きだという感情が次から次へとあふれてくる。一秒前よりも、もっと彼のことが好き。


「何でもないよ」


 僕はゆるゆると首を振った。


「……ね、さっき言った『可愛い』って、ラッコのこと?」


「両方です」


 すっぱりと言い切って、遊馬くんがくるりと背を向ける。


 照れ隠しだろう。そのまま、すたすたと歩いていく。


 遊馬くんに抱えられたラッコは、ずいぶん小さく見える。同じ大きさなのに、僕の腕の中にあるラッコとはずいぶん違うように思えた。


 僕との体格差、けっこうあるな……。


 今さらのように気づく。


「遊馬くん、待って」


 そう言って、僕は彼の背中を追いかけた。







 帰りのホーム。電車を待っていると、遊馬くんのスマートフォンが鳴った。


 画面を見て、相手を確認している。


「……すみません。出ます」


「うん。せんぜん良いよ」


 別に、電話くらい。ぜんぜん問題ない。


 たぶん僕は、嫉妬深いのだと思う。でも、いちいち電話くらいで目くじらを立てたりしない。


「ご飯は? ちゃんと食べたの?」


 ……ちょっと。遊馬くん? なんなの、その甘ったるい声は。


「ダメだよ。好き嫌いは」


 遊馬くんが微笑んでいる。仕方ないなって感じで、愛おしそうに相槌をうったりしている。


 平然を装いながら、僕のこめかみがピクピクと反応する。


「今日は一緒に食べられないよ。ひとりで食べて」


 え、どういうこと?


「家を出るとき、言ったでしょ」


 相手は誰!? 何を言ったの!!


「今日は、帰りが遅くなるんだよ」


 一緒に住んでるの……!?


 怒りがMAXになりそうだったけど、ふいに我に返った。


 漏れ聞こえてくる相手の声が、ずいぶん幼いのだ。


「うん、うん。そうだね」 


 何度も、優しく相槌をうつ。遊馬くんの口調が優しすぎて、甘すぎて、ちょっと泣きそうになる。


「妹でした」


 通話を切ったあと、遊馬くんが照れながら言う。


「遊馬くん、お兄ちゃんだったんだね」


 大型犬のイメージしかなかったけれど、さっきの優しい声は紛れもなく「お兄ちゃん」だった。


 スマートフォンの画面をスクロールして、僕にかざす。


「これが妹です」


「わぁ、可愛いね……!」


 柔らかそうで、ふくふくとした女の子。目がくりっとしている。


萌愛もあっていうんですけど」


 可愛くてピッタリな名前だ。くるんとした睫毛がチャームポイントだな、と画像を見ながら思う。


 予想通り、幼い子だった。決して赤ちゃんではないけれど、それでも遊馬くんとは年が離れている。


「……うち、母親が再婚してて。それで、妹ができたんです」


 なるほど。そういう事情なのか。


「これ、遊馬くんが撮ってるの?」


「そうです」


「じゃあ、萌愛ちゃんは遊馬くんのこと大好きだね」


「どうして、そう思うんですか?」


「だって、どの画像を見ても満面の笑みで映ってるし。『好き!』っていう感情があふれてるよ」


 僕の言葉に、遊馬くんがちょっと痛そうな顔をする。


「俺、妹のこと可愛いと思ってます……」


「さっきの会話を聞いてたら、分かったよ」


「まだちゃんと、俺の名前を発音できないんです。『あすま』って言えなくて『あちゅま』って呼ぶんです」


「可愛いね」


「はい。すごく愛おしくて……。でも、可愛いと思えるか不安でした」


 遊馬くんがうつむく。


「どうして……?」


 何度か、くちびるを噛んだあと。遊馬くんが静かに語りはじめた。


「両親が離婚して、俺は母と暮らしてたんですけど。ずっと放置されていたんです。ないもののように扱われていたというか。食べ物を用意してもらえなかったので、常にお腹が空いていました。母は夜遅くまで働いていて、帰宅しても俺のことは視界に入らないみたいで。たぶんあのころ、母はとても不安定だったんだと思います。それだけなら、良かったんですけど……。今は、普通なんです。新しい父と再婚して、何事もなかったみたいに『良いお母さん』なんです。俺の世話を焼いて、妹を可愛がって」


 遊馬くんの話を聞いて、胸がぎゅっと痛くなる。


 彼の悲しさが、痛いくらいに伝わってきた。


「遊馬くんは、萌愛ちゃんを見て『あんな風に自分は愛されなかった』って思って。それで、悲しくなっちゃったんだね」


 僕は、遊馬くんの手にそっと触れた。そのまま、さらりと握る。 


「でも、萌愛ちゃんのことは可愛いと思ってる。良いお兄ちゃんだね」 


 遊馬くんが、僕の手を握り返した。


「……ときどき、家族の中にいるのが辛くなるから。なるべくいないようにしてるんです」


「だから毎日、アルバイトしてるの?」


「すごく楽しいですよ」


「ほんとう?」


「時間つぶしができて、時給までもらえるので」


「……そっか」


 僕の声に重なるようにして、アナウンスが流れた。電車がホームにすべり込んでくる。


 手を繋いだまま、僕たちは乗車した。


 夕方のローカル線は、ひともまばらだった。車窓からは海が見える。水平線に夕日が沈んでいくのを二人で眺める。


 ふいに、幼いころの遊馬くんが頭に浮かんだ。


 ひとりで膝を抱える幼少期の彼を想像したら、胸が締め付けられた。出来ることなら、そのころの遊馬くんを迎えに行って抱き締めてあげたかった。


「僕、遊馬くんのこと守りたい……」


 頭をよしよしして、もう大丈夫だよって言ってあげたい。僕がそばにいるから、寂しくないよって伝えたい。


 そろりと手を伸ばす。遊馬くんに向かって。


 けれど、その手はピタリと止まった。イヤなものが頭に浮かんだ。


 古い鉄格子。それから、南京錠。


 遊馬くんは打ち明けてくれた。けれど、僕は言えない。昔のこと。広い屋敷に住んでいたころのこと。


 普通の家じゃなかった。


 本妻がいて、愛人がいて。異母きょうだいに囲まれて育った。


 気持ちがわるいって思うかもしれない。遊馬くんは僕のこと、好きって言ってくれたけど。


 それは、本当のことを知らないから。


 とっくに治っているはずなのに、背中が熱を持ったようにじくじくと痛んだ。煙草の火を押し付けられた背中。今でも跡が残っている。


 こんな体は見せられない。綺麗じゃない。


 昔のことを言えないまま、遊馬くんに好きだなんて言えない。

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