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第36話 運命の番

 免疫不全の症状はほとんど無くなった柊だが、それでも定期的に病院へ通っている。


「柊くん良かったね、付き添ってくれる優しい旦那で」


 秋里がニヤニヤしながら柊の問診をする。


「そうですね」


 柊は慣れたように、適当に秋里をあしらう。


「子供たちは? いつもみたいに預けてるの?」 


「はい。今日は夕方までお願いしてるから、帰ったら片付けと掃除をして、それからゆっくりご飯でも作ります」


「すっかりお父さんだねぇ。……で、旦那さんは、どうしてそんなに端の方にいるのかな」


 診察室の入口付近に立ったままの俺を面白そうに見る。


「いえ、別に……」


 授乳中に胸元を見て怒られたことがあるので、なんとなく診察中は距離を取っていたのだ。


「そういえば、受付の子たちが騒いでたよ。須王くんは実物のほうが格好良いって」


「実物……?」


「あれ、週刊誌に出てるの知らない?」


「知ってますけど」


 須王家に入った頃から、ゴシップ好きの週刊誌の餌食になることが何度かあった。


 αだとかΩだとか、そういうネタは売れるらしい。当初、俺は免疫不全に苦しむ柊に取り入って、須王家を乗っ取ろうとしている野心家のαということになっていた。


 あまりにも現実の自分とかけ離れている。実際の俺は、小心者で野心の欠片もない人間なのに。


 だから週刊誌に出てくる自分は作り物というか、フィクションだと思って気にしないようにしていた。


 風向きが変わったのは、フランスに行った頃からだったと思う。週刊誌よりも経済誌に載ることが増えた。「須王自動車の未来を背負う」とかいうタイトルの記事を掲載されたことがあったが、嬉しいというよりも恥ずかしさが勝った。


「受付の女の子たちはハンターだから。気を付けたほうがいいよ」


 秋里が得意の悪い顔をする。間違いなく面白がっている。


「……女の子よりも危険なのはβ男性です」


 柊がぽつりと零す。


「柊?」


「番のいるαは、βの男性と浮気することが多いって聞きました」


「浮気……?」


「β男性だと、子供も出来ないし都合が良いって。Ωよりも頑丈だから楽しめるって」


 楽しめるって、あれか? あの話か?  


「社宅のΩパパ達、浮気されたことあるひとが何人かいるんです。ご主人の浮気相手、βの男性が多くて」


「そうなのか」


 平和な社宅だと思っていたけど、各家庭にはそれなりに修羅場があるのだなと他人事のように考える。


「……僕、知ってます。先生と宗一郎さんが会ってるの」


「え!?」 


 な、何で知ってるんだ……?


「あ、会って……うん、会ったけど。でもそれは、ぜんぜん、違うから。何もないっていうか、何かあったかなって考えることすら違うっていうか……!」


 知られて困るようなことは何もない。そう思うのに、まさか浮気を疑われているのかと考えたら、焦ってしどろもどろになった。


「ね、先生! そうですよね?」


「うーん……」


 秋里は真面目な顔で唸っていた。何が「うーん」なんだよ。誤解されないように、早く違うと言ってくれ。


「本当に何もないし、そもそも先生はβじゃなくてΩだから……あ……」


 慌てて口を押さえたが、もう遅い。


「……先生、自分はβだって言ってましたよね。違うんですか。本当は、Ωなんですか?」


「まぁ……そうだね」


 秋里があっさりと認める。


「どうして、それを宗一郎さんが知ってるんですか……?」


「そ、それは、俺がフランスで」


 説明しようとする俺の腕に、秋里が自分の腕を絡める。寄り掛かって、ぎゅっと俺の手を握った。


「知りたい?」


「え? ちょっと……!」


 何やってるんだこの人!?


「どうして彼が知ってるのか、柊くん知りたい?」


 秋里が勝ち誇った顔で柊を見る。柊は俺と秋里を見て、くしゃりと顔を歪ませた。そして勢いよく診察室を飛び出していく。


「柊……!」


 追いかけようとした俺の腕を秋里が掴んだ。


「離してください! くそ、離せよ!」


 振り払おうとしたが、秋里が必死にそれを拒む。


「すぐに追いかけたら、一瞬で追い付いちゃうだろ。病院内で揉め事は勘弁して欲しいんだよ」


「一体、どういうつもりだよ!」


「もうこれくらいしないと、ダメだろう? きみたち」


「え?」


「終わりになるってところまで行かないと、全部さらけ出せないんだろう? 取り繕ったままでいいなら、ずっとウジウジしてればいいけど」


 はぁはぁと肩で息をしながら、秋里が俺の手を離した。


「あーあ、思いっきりαの手、握っちゃったよ。何かぞっとするなぁ。うわ、すごい鳥肌! もしかして番がいるαが相手だと、Ω側も拒否反応が出るのか。それとも、運命の番じゃないからかな」


 秋里が自分の腕を見て感心している。


「残念だけど、俺ときみは運命の番じゃないみたいだ」


 さして残念でもなさそうに秋里が笑う。俺と秋里が運命であるはずがない。俺の運命は……。


「俺の運命の番は、柊です」


 それだけを言って、俺は診察室を後にした。


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