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第12話 妊娠

 免疫不全のΩがαとの性行為でヒートを鎮めると、数日間は倦怠感が残る。


 しばらくは起き上がることすら出来ないと聞いていたのに、柊は元気そうだった。ベッドから出て「学校へ行く」と言って準備を始めている。


 遺伝子の相性の良いαが相手であれば、倦怠感が残らないのかもしれない。


 彼のうなじには、俺が噛んだ痕がある。力を入れ過ぎたのか、柊のそこは赤黒く変色していた。


「うなじ、痛いか……?」


「……少し。でも、平気です」


「そうか」


 柊は、噛み痕を隠すことなく、赤黒く変色したうなじを晒したまま部屋を出て行った。


 俺も支度して大学へ向かった。講義が終われば会社へ行く。その日は、一度もメッセージを送らなかった。


 痛くないか。辛くないか。うなじを見て揶揄ってくる同級生はいないか。昼食はきちんと食べたか。何度も送ろうとしたけど、止めた。


 柊は、いつも通りメッセージを送ってくれた。


『今日はタコとトマトのサラダを食べました』


『何時に帰れそうですか』


 俺は『遅くなる』とだけ返した。


 深夜、帰宅すると俺の分のスープが保存容器に入っていた。それを温めて食べる。


 次の日、俺はメッセージを送らなかった。返信もしなかった。


 その次の日も、また次の日も。


 柊が起きる前に部屋を出て、彼と顔を合わさない日が増えた。


 帰宅するのは決まって深夜で、俺は柊のいるベッドではなくリビングのソファで眠った。


 仕事が忙しい日は、会社に泊まるようになった。


 俺がメッセージを送らなくても、柊からのメッセージは毎日届いた。


『今日はカフェテリアであさりのパエリアを食べました』


『残さずたくさん食べられましたよ』


『帰りは遅いですか?』


『宗一郎さんはブイヤベースは好きですか』


『やっぱり肉料理のほうがいいですか』


『また宗一郎さんにご馳走を作りたいです』


『ちゃんと食べていますか』


『今日は、帰れそうですか』


 スマートフォンが震えて、メッセージが届く。何度も同じメッセージを読んだ。毎日、毎日。ただ眺めていた。返信はしなかった。


 そして、いつの間にか、彼からのメッセージは届かなくなった。


 今日どんなことがあったのか、どんなものを食べたのか、元気なのか、何を思っているのか。一緒に暮らしているのに、何も分からなくなった。



◇◇◇



 柊と番になってから三カ月が経った。


 発情期の周期が安定していれば、もうすぐヒートになる頃だ。


 柊の泣き顔を思い出すと胸が苦しくなった。


 大学の講義を終えて、会社へ向かう途中で携帯に着信があった。柊の担任からだった。カフェテリアで柊が倒れたと聞いて、頭の中が真っ白になった。


「そ、それで、柊は……?」


 声が震える。


 搬送された病院の名前を確認して、俺はタクシーを捕まえた。


 免疫不全の症状が悪化したのかもしれない。そういえば最近、ぐっと冷え込む日があった。季節の変わり目で体調を崩したのだろうか。風邪を拗らせていたらどうしよう。


 俺のせいだ。一緒に暮らしていたのに、気にかけてやらなかった。


 信号が赤になってタクシーが止まる度に「まだ着かないのか」と苛立つ。


 病院に着いて、受付で名前を言って病室を教えてもらう。エレベーターを待つ時間が惜しくて、階段をかけ上がった。勢いよく病室のドアを開けると、柊がきょとん、とした顔で俺を見た。


「宗一郎さん……?」


「柊……大丈夫なのか」


 俺は荒い呼吸のまま、恐る恐る柊に近づいた。


「ごめんなさい、宗一郎さんに連絡がいったんですね。全然、平気です。カフェテリアで急に気分が悪くなって、蹲っていただけなんですけど」


 気づいたら救急車が到着していたらしい。


「……そうか」


 免疫不全が悪化したわけではなく、風邪をひいているわけでもないと知って安堵する。


「すぐに帰れるのか」


「……しばらく入院することになります」


「どうしてだ」


 やはりどこか悪いのか?


「免疫不全のΩは、安定期に入るまで病院で過ごすことが義務付けられているんです」


「安定期……?」


「……僕、妊娠してるみたいです」


 妊娠?


 それって、まさか。


「あのときの……?」


 柊が、こくりと頷いた。


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