免疫不全のΩがαとの性行為でヒートを鎮めると、数日間は倦怠感が残る。
しばらくは起き上がることすら出来ないと聞いていたのに、柊は元気そうだった。ベッドから出て「学校へ行く」と言って準備を始めている。
遺伝子の相性の良いαが相手であれば、倦怠感が残らないのかもしれない。
彼のうなじには、俺が噛んだ痕がある。力を入れ過ぎたのか、柊のそこは赤黒く変色していた。
「うなじ、痛いか……?」
「……少し。でも、平気です」
「そうか」
柊は、噛み痕を隠すことなく、赤黒く変色したうなじを晒したまま部屋を出て行った。
俺も支度して大学へ向かった。講義が終われば会社へ行く。その日は、一度もメッセージを送らなかった。
痛くないか。辛くないか。うなじを見て揶揄ってくる同級生はいないか。昼食はきちんと食べたか。何度も送ろうとしたけど、止めた。
柊は、いつも通りメッセージを送ってくれた。
『今日はタコとトマトのサラダを食べました』
『何時に帰れそうですか』
俺は『遅くなる』とだけ返した。
深夜、帰宅すると俺の分のスープが保存容器に入っていた。それを温めて食べる。
次の日、俺はメッセージを送らなかった。返信もしなかった。
その次の日も、また次の日も。
柊が起きる前に部屋を出て、彼と顔を合わさない日が増えた。
帰宅するのは決まって深夜で、俺は柊のいるベッドではなくリビングのソファで眠った。
仕事が忙しい日は、会社に泊まるようになった。
俺がメッセージを送らなくても、柊からのメッセージは毎日届いた。
『今日はカフェテリアであさりのパエリアを食べました』
『残さずたくさん食べられましたよ』
『帰りは遅いですか?』
『宗一郎さんはブイヤベースは好きですか』
『やっぱり肉料理のほうがいいですか』
『また宗一郎さんにご馳走を作りたいです』
『ちゃんと食べていますか』
『今日は、帰れそうですか』
スマートフォンが震えて、メッセージが届く。何度も同じメッセージを読んだ。毎日、毎日。ただ眺めていた。返信はしなかった。
そして、いつの間にか、彼からのメッセージは届かなくなった。
今日どんなことがあったのか、どんなものを食べたのか、元気なのか、何を思っているのか。一緒に暮らしているのに、何も分からなくなった。
◇◇◇
柊と番になってから三カ月が経った。
発情期の周期が安定していれば、もうすぐヒートになる頃だ。
柊の泣き顔を思い出すと胸が苦しくなった。
大学の講義を終えて、会社へ向かう途中で携帯に着信があった。柊の担任からだった。カフェテリアで柊が倒れたと聞いて、頭の中が真っ白になった。
「そ、それで、柊は……?」
声が震える。
搬送された病院の名前を確認して、俺はタクシーを捕まえた。
免疫不全の症状が悪化したのかもしれない。そういえば最近、ぐっと冷え込む日があった。季節の変わり目で体調を崩したのだろうか。風邪を拗らせていたらどうしよう。
俺のせいだ。一緒に暮らしていたのに、気にかけてやらなかった。
信号が赤になってタクシーが止まる度に「まだ着かないのか」と苛立つ。
病院に着いて、受付で名前を言って病室を教えてもらう。エレベーターを待つ時間が惜しくて、階段をかけ上がった。勢いよく病室のドアを開けると、柊がきょとん、とした顔で俺を見た。
「宗一郎さん……?」
「柊……大丈夫なのか」
俺は荒い呼吸のまま、恐る恐る柊に近づいた。
「ごめんなさい、宗一郎さんに連絡がいったんですね。全然、平気です。カフェテリアで急に気分が悪くなって、蹲っていただけなんですけど」
気づいたら救急車が到着していたらしい。
「……そうか」
免疫不全が悪化したわけではなく、風邪をひいているわけでもないと知って安堵する。
「すぐに帰れるのか」
「……しばらく入院することになります」
「どうしてだ」
やはりどこか悪いのか?
「免疫不全のΩは、安定期に入るまで病院で過ごすことが義務付けられているんです」
「安定期……?」
「……僕、妊娠してるみたいです」
妊娠?
それって、まさか。
「あのときの……?」
柊が、こくりと頷いた。