ユウトは駆ける、声を荒げながら避難を促しながら。
「村の中に魔物が現れたー! 急いで逃げてくれー!」
もう少し言葉を考えた方がいいとはわかっているが、事実だけを伝え犠牲が少なくなるよう、ただ必死に。
しかしその努力は虚しく、すでに村人たちは非難を開始していた。
結果としては、いい方向に進んでいるわけだが。
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……はぁ……」
ユウトも既に人の気配がないことに気付いており、疲労と安堵から道のド真ん中で膝に手を突いて呼吸を整える。
「一軒一軒回っていくのは、さすがに無理だよな」
ユウトの耳には届いていないものの、村人たちは悲鳴を上げながら逃走と開始している。
直接的に襲撃を受けているわけではないから被害を受けてはいないが、見えない恐怖からの逃走は心を逸らせる。
老若男女が阿鼻叫喚していて、まさに地獄絵図となっていた。
「これだけ静かだと、さすがに逃げ遅れている人は居なさそうだよな」
誰かへ向けていた思考が停止してしまった今、解体所へ残してきたフェリスとヴァーバのことを思い出してしまう。
「俺はどうしたらいいんだ……」
自身の無力さをただ悔いることしかできず、2人を見捨てた罪悪感に苛まれる。
もしも自分に剣術の心得があったのなら、もしも自分に【魔法】や【霊法】が使えたのなら、もしも自分のスキルが強力なものだったのなら、と。
「こんなところで立ち止まっていちゃダメだ。リリィナのところへ行かないと」
ユウトは、唯一自分にできることを果たすべく再び駆け出す。
最中、辺りに静寂だからこそ、走り出したら考えなくて済むと思っていたことが浮かび上がってくる。
右も左もわからない自分を助けてもらった
でもだからこそ、最後に任されたことを遂行するためにひた走る。
脇腹が痛く呼吸が次第に苦しくなり、腕や脚も重くなっていく。
走るフォームが崩れてきて、何度も意思がないところで躓いたとしても足を止めるわけにはいかない。
「んがぁああああああああああああああああああああ」
迷いや苦しみを振り払うように叫びを上げるも。
「――いってぇえええええ!」
奮闘虚しく、顔面から地面に着地して転倒。
「どんだけ俺らしいんだよ。自分にできる唯一もちゃんとできないなんて」
顔や手など数ヵ所が擦り切れており、熱を帯びる感覚とヒリヒリとした痛みに襲われる。
「いっつもこうだ。なんの取柄もない俺は、惨めに這いつくばるだけ」
収まることのない痛みと少しずつ始まる出血を感じつつ、ユウトは顔を歪ませながら立ち上がる。
「……俺だけならまだしも、リリィナを巻き込むわけにはいかない」
目的地までそう遠くないため、ユウトは歯を食いしばりながら小走りて移動を再開した――。
――ようやく到着すると、既にリリィナは車椅子へ乗っており外へ出ていた。
偶然にもユウトを迎えるかたちになったわけだが、ただ事じゃない様子と表情をしているものだからリリィナは目を見開く。
「ユ、ユウトさんどうしたのですか、そのお傷は」
「焦らないで話を聞いてくれ。今、村の中は大変なことになりそうだから俺と一緒に逃げよう」
「何やら騒がしい様子でしたので外へ出てきたのですが、いったいどのようなことになっているのですか?」
「説明は移動しながらにしよう」
ユウトは、リリィナの顔と元気そうな姿を前に安堵してしまったせいで、力が入りにくく両足を引きずっているかのような速度でリリィナへ近づく。
「ちょっと待ってください。その前に回復を――」
「だ、ダメなんだ。そんな時間の猶予はないかもしれない」
「ですが、まずは回復を。そして、その間に状況を説明してもらえませんか。怪我をされたまま同行されても、もしものときに対応できないのではないですか」
「……わかった。お願いします」
ユウトはスッと地面にへたり込む。
「それでは――いったい何があったのですか?」
「騒ぎを聞きつけて村長と一緒に解体所に行ったんだ。そこにはフェリスが居て……対面には魔物が居たんだ」
「ま、魔物ですか?!」
「俺には本物なのかは判断ができなかった。でも村長がそう言ったんだ」
「であれば間違いはなさそうですが……にわかには信じ難いですね。結界を通り抜け来たことになりますので」
「信じてくれ、本当なんだ」
「皆さんの様子とユウトさんの只ならない表情から、信じる他ありません」
最初の難関を突破したユウトは、ホッと一息吐く。
「その魔物は、赤目の大狼、でしたか?」
「あ、ああ。どうしてそれを?」
「フェリスはわたくしに心配をかけないよう黙っていたのでしょう。ですが、それら特徴を耳にしたら嫌でも思い出してしまいます」
「たしかに特徴的ではあるけど、それがどういう?」
「わたくしたちは、望んで村長やコルサさんから両親の仇について話を聞きました」
「え……」
「ですので今までの情報を元に、その獣がわたくしたちの仇である魔物と結論付けました」
「そ、それが仮に正しいとして。逃げることには変わりないだろ?」
「いえ。ユウトさん、わたくしは最初から変わっていません。逃げることはせず、立ち向かいます」
「はい……?」
ユウトは不敬にも思う。
その、自由に歩くことが叶わない状態で何ができるのか。
両親の仇を見逃すわけにはいかない、というのは理解できるが、わざわざ危険を冒す必要はないのではないか、と。
「わたくし個人のわがままです。それに、フェリスと村長がまだ戦っているのですよね?」
「どうしてそれを」
「意地が悪いですが、このような状況になって2人がわたくしを置いて逃げるとは考えにくいです。それに、わたくしは意外と鼻が利くのですよ」
「……」
どうして、自ら死地へ飛び込むような真似ができるのか。
どうして、親密な関係の人間のために行動できるのか。
どうして、自分にはできないことを成し遂げようとするのか。
ユウトは理解しつつも、そう疑問に思ってしまう。
自分にはない関係値を築き上げているからなのか。
自分にはない力や能力を有しているからなのか。
自分にはない不遇な境遇を経験しているからなのか。
ユウトは、自分よりも不自由な少女に対して思う。
「完治はできず、申し訳ございません。ですが、傷の方はもう大丈夫かと」
「あ、ああ。ありがとう」
「ユウトさんはお逃げください。わたくしはこのまま2人の元へ向かいます」
「いや、でも……」
「ごめんなさい。わたくしは移動するのに時間がかかってしまいますので、もう行きます」
「……」
「短い間でしたが、いろいろとありがとうございました。あんなに楽しい日を過ごせて本当に幸せでした」
「……」
「皆さんがお逃げする時間は稼いでみせます。どうかお元気で」
「い、行かないでくれ……し、死なないでくれ」
「元より死ぬ気はありません。ですが、分が悪いのは確かですので保証はできません」
リリィナは自ら木の円盤を回し始め、移動を始める。
「待ってくれ……待って……」
ユウトはぐちゃぐちゃになった感情が涙として流れ始め、乞う。
リリィナの耳には、その声が届いてはいるものの、覚悟が決まっている彼女は手を動かし続けた。
自身が何もできない悔しさと不甲斐なさに土を握り締め、地面を殴る。
「俺はどうしたらいいんだ。何かしたくても何もできない。2人に任せられたことすらできなかった。止める勇気もなければ、責任を背負うことからも逃げた――くそっ! くそっ!」
情けなくも涙を零す今の姿さえも、自分を苦しませる。
「……いや、まだあったな。俺に課せられたことが」
ユウトはゆっくりと立ち上がる。
「3人に言われたじゃないか。生きてほしいって。そうだ、俺にできる唯一のこと。逃げること」
疲労困憊で内側の痛みはまだあるが、ユウトは涙や鼻水を駄々漏らしながら醜く走り出す――勇敢な3人に背を向けて。
「俺にお似合いの等身大な人生じゃないか」