「初めまして、少年」
ヴァーバの家へ帰ってきたユウトは、見知らぬ青年が居間に座っていることに驚く。
「は、初めまして」
「ちょうどよかった。ユウトもこっちにくるといい」
「え?」
見知らぬ客人が居るのなら、席を外そうと思っていた矢先のお招きだったため、状況が理解できないが言われた通りに靴を脱いで上がる。
さすがに失礼だとはわかっていても、ユウトはチラチラとあぐらをかきながらお茶をすする青年へ視線を向ける。
黒髪短髪、黒い瞳に髭などない清潔感のある青年という印象。
「どうした? 気になるか?」
「あ、いえ、ごめんなさい」
「いやすまない。随分と珍しい存在と聞いて、こちらも少し警戒をしていた」
「話は通してあるからの。問答無用で斬られるということにはならぬよ」
「心配いらないってだけ伝えてくださいよ」
「あはは、まあまあ冗談だよ。一足遅れて到着になってしまったからね。こちらも齟齬がないよう情報を入手したまで。これからはわからないが、今のところは敵対することはない」
「ですから、いちいち俺をビビらせることを挟まないでくださいよ」
「悪ふざけが過ぎたな。まあ敵対しないのは本当だ。さすがに、俺の部下に悲しい思いはさせられないからな」
「部下?」
「ああ、フェリス嬢ちゃんとリリィナ嬢ちゃんの友達でなマキナっていうんだが――」
「うわぁ……」
もはやその名前を聞いただけで鮮明に彼女の顔が思い浮かぶようになってしまっていたユウト。
完全に体から痛みは抜けているものの、一瞬で全身に鳥肌がブワーッと立ってしまうぐらいには、魂に深く刻まれてしまっていた。
「なんだ、その様子だとマキナを知っているのか?」
「ええ、まあ。最初こそ警戒されまして、でも話を聴いてくれるいい人だなっておもってたんだけど。でも、とんでもなくボコボコにされまして、リリィナに治してもらってなかったら死んでましたよ。冗談抜きで」
「あー……それはなんとなく想像できる。その件に関しては俺からも謝らせてくれ、ごめん」
「ということは、マキナが言っていた上司もとい隊長というのはあなたということで合ってるんですね?」
「悪い、自己紹介をしていなかったな。俺はコルサ、騎士団の隊長をしている」
(マキナよりは話しやすいが……隊長ってことは、もっと強いってことだろ? 敵対したら、一瞬で殺されるだろ……)
間違ってもそうなってほしくはないと、神には祈る気になれず、月に関係していなさそうな太陽に祈っておく。
「そうだ、話の途中だったけどユウト君も一緒でいいんじゃないか村長」
「ふむ……さすがに気分を害するとは思うがのぉ」
「遅かれ早かれだと思うよ。それに、彼女と同行していたのなら薄っすらと気が付いているだろうし」
「……ユウト、無理に平静を保つ必要はない。気分が損ねたのなら、退出するのだ」
「何その前振り、今からいったいどんな話が始まるの」
「ユウト君、一応先に伝えておく。ここで感情任せに暴れたり、感情の赴くまま村人を傷つけようとしたら、グサッといくから」
「そこまで丁寧にご忠告頂いたら、何が待っていようとそれだけはやらないと誓うよ」
コルサは、ただ優しい笑みを浮かべている。
しかしそれはとても不気味で、言葉に出した軽口は戯言ではないと一瞬にして理解できた。
追加で悟ったのが、もしもそのような状況になったとしても逃げることすら叶わないんだろうな、ということ。
「ユウト君、フェリス嬢ちゃんとリリィナ嬢ちゃんについて疑問に思っていることはないか?」
「疑問……って言われても、美少女、かわいらしい、活発、足が不自由――ぐらいしか出てきませんけど」
「そりゃあ疑問ってか事実だから誰も否定はしないさ。誰がどう見てもその通りだ。じゃあ、その事実から疑問も出てくるはずだ」
「ごめんだけど、謎解きなら勘弁してほしい。俺はそこまで頭が回らないもんで」
「じゃあ手助けだ。誰もが振り返りそうなかわいらしい美少女に対して、村人の反応は?」
「……あ、たしかにそれは疑問に思った。あんな愛想もあって、誰かに挨拶されたら笑顔で返すようなフェリスに誰も視線を向けていなかった」
「それで、そんな彼女たちは村人から離れるような場所で生活している」
「ああ、本当にその通り」
ユウトは最初こそ疑問に思っていたが、『住んでいる年数が経ったら隣人関係なんてまあそんなもんだろ』と落とし込んでいたからこそ、すぐに疑問を思い出すことができなかった。
コルサからのヒントによりハッと思い出し、彼女たちから聞いた情報と結びつける。
「それって、【魔法】や【霊法】を使えるから避けられている的な話なんじゃないんですか?」
「頭が回らないって嘘だろ。大体合ってる。やるじゃねえか」
「褒められて悪い気はしないけど、歯痒いから話を進めてほしい」
「じゃあここからは最初に忠告した通り、心してできるだけ心を荒げないでくれ」
「あ、ああ」
深刻な話になるということは薄々察せるが、どんな話が飛び出して来るのかさすがに身構える。
「彼女たちの居住場所付近にある湖にはもう行ったか?」
「はい」
「あそこは、村人の生活に使うための水を管理しているところでもある」
「まあ、それは若干察してました。それが何か?」
「あれは、毎日リリィナが【魔法】を使用して水を生成している」
「え、何それすっご。別に怒ることがある……んですか……」
「察しがいいってのはいいことだが、こういうときは心がギュッとなっちまうよな」
「村人はリリィナに感謝しているんですか」
「さあな。最初こそはしていたんだろう。だが、世間での扱い通りになっているのが現状だな」
ユウトは、忠告を受けていたこともあり静かな怒りを、両拳を握り締めるだけでなんとか抑える。
「どうして同じ村に住んでいながら、そこまで残酷なことができるんですか」
「人って言うのは、未知の存在に興味も湧くが、それと同じく恐怖心も抱く。じゃあその恩恵に頼るな、と言いたくもなるが、生きていくには仕方がないと割り切るしかないこともある」
「理解はできますけど、納得はしたくない話です」
「人間ってのはめんどくせえ生き物だ。その感情だって、そうだろ?」
「……」
言い返したくても、誰もが体験したことのある人間の一面に言葉が出ない。
やりたいけど、やらなくちゃいけないとはわかっていてもつい後回しにしてしまう、それ。
言いたいけど、言わなくちゃいけないけど周りの意見に合わせて行動できない、それ。
会いたいけど、好きで仕方がないけどもしも嫌われてしまったらどうしようと感じる、それ。
歳を重ねれば重ねるほど、自分でも他人でもどんどん見えてくる人間のめんどくさい一面。
「だがまあ、ここからが自制心が試されるぞ」
「……はい」
「じゃあフェリスも【霊法】が使えるから、村にとって重要な役割を果たしている――ってのは、もう察しているだろう? これはさすがの俺でも何かしてやれないかずっと頭を抱えてるんだが」
「……」
ユウトは、今までお茶をすすりながら話を聴いていたヴァーバが、目を閉じて顔を俯かせているのが視界に入った。
「危険な森の中にたった一人で赴き、山菜や野草――それら食材を採取している。話によれば、偶然その場に居合わせたそうじゃないか。あれが、フェリスにとっての日常なんだ」
「はぁ……?」
もはや抑えていた苛立ちはスッと抜け、理解するのに時間を有する内容に口をポカンと開けたまま固まる。
「ま、待ってくれよ。あんな凶暴で獰猛な獣やらが歩き回っている森へだった一人で……? ど、どうしてそうなるんだよ。この村の人口はわからないが、みんなで武器を持って戦ったらいいんじゃ――」
「だよな、そう思うよな。だが、現実はそうじゃない。生身の人間が、戦闘技術もなく訓練も受けてなく【魔法】も【霊法】も使えなきゃ、ほぼ無抵抗で死ぬだけになる」
「……でもだからって!」
ユウトは哀れみ、悲愴、悲しみ、怒り、呆れ――それら感情がぐちゃぐちゃに渦巻き、憤りのない感情を机に拳を叩きつけた。
「まあまあ落ち着け落ち着け。じゃあユウト君、フェリスと一緒に森へ行ってくれるかい?」
「俺は全然理由もわかってはないが、一緒に行ってる! いや、まだこっちに来て日が浅いから回数こそ多くはないが」
「それは、どこら辺で? どんなものを採取した?」
「集めていたのは山菜で、あれはたしか……村の近くだった気がする」
「なるほど。俺はまだ君の強さを知らない。だがこれだけは言える。フェリスはいつも、村が見えなくなるほど森の奥へ行って様々な食材を入手している。これの意味、君にならわかるんじゃないか?」
「もしものことを考えて、結界の近くで採取していた……」
「そういうことだな」
「俺が弱いせいで……」
ユウトは今まで、異世界の見知らぬ土地に降り立ったものの上手く立ち回れていたと思っていた。
だから、知り合った人々へ気さくに接しポジティブに物事を考えることができていたのだ。
しかし今、それができていたのは自分のおかげではなく、周りの人間が気を遣ってくれていたからこそできてたこと。
自分が【魔法】や【霊法】を使えず、授かったスキルもまともに使用することができず、まともに剣で戦うこともできない。それは、今日このときまでに散々認識できる場面はあった。
惨めで哀れまれる対象は自分であり、ただそれに甘えていたということを、たった今、真に痛感する。
「一旦、この話はここまでにしよう。また後で続きだ」
「わかりました……」
「村長、俺はちょっくら村を巡回してきます」
「ああ、頼んだ」
コルサは言葉通り、納刀された剣が装着されているベルトを持って外へ出て行った。
「ユウトやい、あまり思い詰めるんじゃない。人には適任もあるのだし、焦らずにできることをやればいい」
「……ありがとうございます」
あまりにも情けない自分に腹が立って仕方がなく、しかしこの感情をどうすることもできないユウトもまた、自慢しようと思っていた木刀だけを持ち、外へ出た。