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第2話『奮い立つ少年と獣』

 踏みしめる地面の感触の変化に勇人ゆうとは違和感を覚えた。

 あの【女神】が言っていた、転移というものが終了したのだろうと予想し、目を覆う腕を下ろした。

 恐る恐る瞼を持ち上げるも、今度は別の眩しさに今一度目を細める。

 ほんの数秒が経過して、目が慣れて両目を開けると、先程とは打って変わっての景色が広がっていた。


「あの【女神】の話じゃ、どこかの村ということだったけど、もはや村の気配は微塵も感じないぞ。どこだよここは……」


 先程までの突拍子もない出来事、そして【女神】と自称するルミナという存在。それら全ては何一つ現実味がなく、自らが本当に異世界に転移させられたかすら信じらるものではない。きっと、先にどこかへと転移させられた彼らも同じ心境であろう。

 不信感が増す中、勇人は至って冷静にいられた。

 何故なら、目の前に広がる景色はあまりにも現実離れしていなかったからだ。

 勇人が住んでいた片田舎では見慣れた見渡す限り緑の景色。涼しげで澄んだ美味しい空気、肌を撫でる柔らかい風、少し濡れた茶色い土の香り。

 肺にたんまりと美味しい空気を吸い込んでいると――。


 ――突如、爆音が鳴り響いた。


「!?」


 その大地を揺らすほどの爆音に、耳を塞いで顔を歪ませる。

 人生の中で今まで憶えのある大きい音の、風船の破裂音でもクラクションとも違う……どちらかというと地響きのようなものだった。

 唐突な出来事に驚いて、地面へと腰を落としてしまった。


「な、なんだ……今のは」


 状況について考察するほどの情報はない。

 ぽつんと独り森の中で座り込んでしまうも、先ほどの音が嘘だったかのように涼しい風がやんわりと肌を撫でる。

 こちらの世界にも地震があるんだな。と自己完結した後、立ち上がろうとした時だった。


『グラァァァァァァァァァア!!』


 とてつもない雄叫びが響き渡り、びくりと体が震え上がらせる。


「な、なんだってんだよ。あれか? モンスターと誰かが戦ってるとかそんなファンタジー染みたことが起きてるっていうのか?」


 ここまでの経緯を考えるに、全てがアニメや映画等で観たことのあるもの。

 しかし現在、自分自身がそれらを本当に体験しているかどうかの区別なんてつきやしない。

 なんせ、目の前に広がる景色がそれら非現実的なことを相殺するくらい穏やかに存在しているからだ。


 だが、好奇心というものは抑えられない。木陰に隠れていれば安全だろう。という安直な対策を講じ、勇人ゆうとは音の鳴っていた方向へと足を進め始めるが……その目標に出会うまで数分と時間はかからなかった。

 策戦通りに、木陰で身を隠す。が、今までここが異世界かどうか俄かに信じ切れていなかったが、現実を目の当たりにすることになる。


 そこには、追うもの、追われる者の姿。

 追うもの、一言で表すならばそれはライオンよりも巨大な狼。


「ええい! 一か八か賭けてやる。アニメとか映画だったら、俺の能力だってなんかしら使えるはず。……や、やってやるさ――」


 獰猛な牙、拳を通さない黒い剛毛、人間よりもはるかに太い4足、木々を軽々とへし折るほどの隆々とした筋肉。

 それは、どう思考を巡らせても普通の人間が戦って勝てる存在ではない。


 しかし勇斗は何を血迷ったのか、どこから湧いてきたのか謎の自信を胸に秘め、自身が何かを成し遂げられる存在――と、奮い立たせる。

 覚悟の半面、【女神】の言葉を思い出して一瞬だけ躊躇ってしまった。だが、このまま見過ごしてしまえば追われている銀髪の彼女は、あの獣に食い殺され残酷としか言えない未来が訪れてしまう。


 そんな迷いを払拭するため両頬を強く叩いた勇人は、身を隠していた茂みから体を飛び出し、右手を突き出した。


「スキル【吸収】――発動!!」


 スキルの使用方法もわからないが、突き出した右腕を左手で抑え衝撃に備える。

 映像の中の彼らは、こういったポーズと声を張ってスキル名を唱えることでスキルを発動させていた……が、期待とは裏腹に何も起きない。

 辺り一帯を吸収するようなチート級の効果はなく、獣が引き寄せられるわけでもなく、空気を吸い込んだりするわけでもない。


 ――だがしかし、その声を聞いた獣は急停止。しかも、あろうことか勇人へ視線を移したのだ。


「はぁ? う、嘘だろ……?」


 完全に、目と目が合った。

 ルビーのような、しかし深く濁った赤眼は間違いなく勇人を見定めいてた。だが、飛び込んでくるわけでもなく、その獰猛な牙をむき出したまま様子を伺っている。

 まさに絶体絶命な状況。逃げろ、逃げろ、と脳はうるさいぐらいに警鐘を鳴り響かせた。しかし体は微動だにせず、背中を向ければ自らが肉塊になると訴えかけている。そう、まるで大熊やライオンが目の前に現れ、硬直してしまう小動物のように。


 終わった――そんな言葉が頭を過り、血の気は一気に引いていく。

 足は震え、呼吸は浅く早く、嫌な冷たい汗が噴き出て背中を伝う。

 生きた心地がしない。それらは容易に”死”を連想させ、自分が無様に無抵抗のまま食い殺されるような死に際が想像できてしまうほど。

 どう逃げるのが正解なのか、あの少女は逃げられただろうか、死ぬときはどういう感じなのか……そんな考えがぐるぐると渦巻き――殺されるなら、いっそのこと痛みが長引かないようにしてくれ、と全てを諦めて目を閉じ始めた時だった。


「水の聖霊たちよ、今しがた私に力を授けたまえ【水の気泡シャーブル】!」 


 突如、魔法のようなものの詠唱が終了後、獣の顔と同じぐらいのシャボン玉のような泡が一つ現れ――破裂。

 それを食らった獣は、目を強く閉じて顔を左右に振り始めた。


「――そこのあなた、今のうちです!」


 彼女はそう言い終えると、背負を向け一目散に木々の間へ入っていく。

 理解できない状況ではあるが、願ってもない助け船。絶好の機会に勇人も脇目を振らず全力で彼女の後を追うことにした――。

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