うん、今日も今日とて天候は素晴らしく空気も澄んでいる。
周りを見渡せば、学生同士で投稿していたり、近所の人が家の入り口付近を掃除している。
石畳で整備された道路は馬車が走っていたり、人が荷車を引いていたり。
まさに活気ある、清々しい朝の登校路。
少し離れたところでは「先輩、おはようございます!」と元気で健気な生徒が挨拶をしていたり、後ろ側からは「おはよー」「おは~」と気怠そうな生徒とその友人の挨拶が交わされている。
かく言う俺も、たった数日前まで普通の高校生だったわけだが。
世界観がガラッと変わったからなのか、既にそんな生活が懐かしく思えてしまっていた。
「――ねえアッシュってば聞いている?」
「ごめん、ちょっとボーッとしてた」
「え! やっぱり、まだ本調子じゃな――」
「いやいや、全然そんなことはないって。なんかこう、久しぶりに空を見上げてみたんだ」
「へー? たしかに、私も随分と空を見上げてなかったかも。当たり前の景色って、本当にそれが当たり前すぎて気にしなくなっちゃうのかもね」
「そう、かもね」
捻くれた物言いをすると、いつも半端者が虐げられる光景を日常化していて誰も不思議に思わない日常、とかね。
昨日の目線を見たら嫌でもそれがわかってしまう。
虐げられ罵声を浴びせられていても、リン以外の人間は止めに入ろうとする素振りを見せなかった。
しかし、いざ恋愛的なシチュエーションになるといきなり注目の的となる。
こんな日常は俺がした異世界転生より、よっぽどご都合主義だ。
「それで、話ってなんだったっけ」
「だーかーらー、お姫様がまたアッシュを探してたって話だよ」
「――あー、昨日はなんやかんやあって顔を合せなかったね」
「そうそう! もう、なんであんなにしつこく付きまとってくるのかな」
「まあ、俺みたいな存在が成績優秀者ってのが気にくわないんだろう、お家柄的に」
話題に出ている【お姫様】というのは、文字通りの貴族的な立ち位置に居る少女ではない。
お家柄というのは、彼女の両親が警察の立ち位置である【魔導騎士団】に所属していることにある。
ちょっとややこしいのが、【魔装騎士団】もあるんだけど……とりあえず、【お姫様】のご両親は【魔導騎士団】の上層部的な地位にいるらしい。
だから、魔法や魔術を使用することのできない俺みたいなハグレ者が筆記だけでも成績が上位に入っているのが気に入らないのだろう。
どいつもこいつも、なぜ自分より劣っている存在だと認識しておきながら、放置するという選択肢がないのか疑問で仕方がない。
「実力不足ってだけなのに、どうして足を引っ張るようなことをするのかな……」
「納得しちゃいけないと思うんだけど。でも、才能では勝っていて秀でていても、自分ができなかったことを成し遂げる人間というのは目についてしまうんだと思うよ」
「でもそれってただの嫉妬じゃん。自分ができないからって僻んでるのって、なんだかカッコ悪い」
頬を膨らませて怒っている姿は、不謹慎かもしれないけど可愛い。
その怒りの根源にあるのは、俺へ寄り添ってくれている証。
感謝以外の言葉はない。
不憫は学園生活も、そんなリンが居てくれたから耐え続けられているんだし。
しかし残念ながら、こればかりはどこの世界でも共通のようだ。
「まあでも、同じ教室でも絡んでくるのは時々朝と大体帰り時だからいいんじゃない?」
「げっ」
「ん? あ」
その時々、が今になってしまった。
「お、おはようございますカナリさん」
「おはようございます、アッシュさん。待ってましたよ」
「カナリさん、おはようございます。私も、居・る・ん・で・す・け・ど」
「あ、おはようございますリンさん」
リンは「ぐぬぬぬぬぬ」と歯を食いしばっている。
対するカナリは余裕の表情で、若干勝ち誇っているような表情をしていた。
たしかに、彼女の容姿は群を抜ているのは確か。
リンとは違って、体を動かすトレーニングをしているのが伺える身体つきだし、これ見よがしに張っている胸部はカナリの圧勝である。
それに、リンと魔力操作は同等だとしても、剣術や体術や学力で勝っているのだから勝ち誇っているのは間違いではない。
「今日という今日は話を聴いてもらうわよ」
「ダメよ。どうせアッシュが気分を悪くする話になるんだから」
「ずっと思ってるんだけど、あなたってアッシュくんのボディーガードか何かなの?」
「そんなわけあるかー!」
「じゃあ何、婚約者? 許嫁?」
「ななななな、そそそそそんなわけがないでしょ!」
「だったら別にいいじゃない。クラスメートと会話をするのがそんなにいけないことなの?」
「別におかしくはないけど……」
「あなたは普通にクラスメートを会話を楽しんでいるのに、アッシュくんが他のクラスメートと話すのはダメなのかしら? それって、あまりにも酷い話ではなくて?」
「いやでもそれは……」
リンが思っていることは理解できる。
魔法を魔力を普通に扱うことができて魔法も使用できるリンは、その明るく人懐っこい性格も相まってどんな人とでも分け隔てなく話は問題ない。
しかし、対する俺は……いや、アッシュは誰かと笑い合ったり日常会話をした記憶すら遠く懐かしい話。
近づいてきた人間が投げかけてくる言葉は、常に意思疎通を図るものではなく無意識の差別や明確な悪意だけだった。
そんな俺を庇ってくれているのはわかってはいる。
わかってはいるんだけど、少しばかり過保護な気もしてならないのもまた事実。
「なあリン、こうしてせっかく話しかけてくれているんだから教室までだったらいいんじゃないかな」
「でもそれじゃ……」
「大丈夫。カナリさんは、たぶん大丈夫だと思うから。それに、もしものことがあってもリンが居てくれるでしょ?」
「えっ、うん。それはそうよ、当たり前」
「アッシュくんがここまで言ってくれているのに、さすがに見苦しいわよリンさん」
「……わかった、アッシュがそこまで言うんだったら許可してあげる。た・だ・し、二人きりにはさせないですから」
「ええ、それで問題ないわ。今回は、アッシュくんに免じて許可してあげる」
いつものリンはここまで刺々しい態度をとり続けたりはしない。
こんな悪態を吐き続けていたら印象がダダ下がりになってしまう。
絡んでくる人間がすぐに離れていくから気が付いていなかっただけか?
もはやここまでくると威嚇しているようにも思えてしまう。
「それで、俺になんの用事があるのかな。ある程度は慣れてきたけど、能力に関してのことだったら避けてもらえると助かるんだけど」
「いえ、私はあんな野蛮で低能かつ低学力な人間たちと一緒ではありませんわ」
「お、おう」
歩き始めての第一声でそのセリフ、俺に対して向けられる憎悪以上に彼らを侮辱していません?
尖っているというより、鋭利すぎて周りの人間を無差別に斬り裂いているぞ。
眉間に皺を寄せて睨みを利かせていた右側に居るリンでさえ、顔を引いてしまっているぐらいだし。
「それで、カナリさんはどのような用件で?」
「私はこれからもアッシュくんと友好関係を築きたいと思っているから、カナリでいいわよ」
「とてもありがたい申し出ではなるんだけど、さすがにそれには抵抗が」
「あら意外。アッシュくんはそこまで気にしないと思ってたのに」
「俺がっていうより、カナリさんの方がね」
「あら、だったら問題ないのではなくて? 私は、私。アッシュくんはアッシュくん。私はそんな細かいことを気にしないし、アッシュくんが気にしないのであればなんら問題なしということね」
お家柄ということから、様々な人から絡まれることが多いカナリさん。
孤高のお姫様、という感じではあるが、話している内容をチラッと聞いてみた感じ人当たりはよく、交友関係も幅広いものだと思う。
しかしなんというか、あまりにも強すぎる。
話の流れ的に、カナリさんは自分がいいと思ったことを――いや、自分の意思を貫き通す心の強さがあるんだろう。
「じゃあ、これからはカナリと呼ばせてもらうね。そして、俺のことはアッシュでいいから」
「ありがとう、やっぱり私の思っていた通りだった」
「何が?」
「アッシュとは気が合いそうだ、と前々から思っていたの」
「こんな短いやり取りの中で何を感じ取ったの? 俺とカナリじゃ、どう考えたって不釣り合いだと思うけど」
「そう? こんな少しのやり取りだけでも、私は確信を持てたわよ」
「だからどうして」
「理由を説明したいところだけど、もうそろそろ教室の近くだから後にした方がよさそうでしょ?」
「ああ、まあ。そうしてくれるとありがたい」
「それに、これからもっと話す機会が増えるから問題ないわ。そちらの番犬さんがお邪魔をしなければ」
「ねえちょっと、それって私のことを言ってるんじゃないでしょうね」
「他に誰か居るの?」
辺りを見渡すカナリと歯茎をむき出しにしているリン。
「それじゃまた」
「うん」
リンは、カナリの背中にベーッと舌を出して牽制している。
「なあリン。今の感じから、別にそこまで警戒しなくてもいいんじゃないか?」
「いーーーーーーーーーーや! 警戒対象なのか依然変わらないわよ!」
「でもさ、せっかく俺と話をしてくれる人が現れたんだから、少しぐらいはいいんじゃないか?」
「それはそうだけど……」
「ま、そろそろ時間だし教室に入っちゃおう」
「……もう、アッシュのわからず屋」
「ん? なんか言った?」
「なーにもー」
「そっか」
「バカ」
「何その理不尽なセリフ」
「ベーッ」
何か聞き逃したから文句の言いようがないけど、それはさすがに理不尽じゃありません?
てか、先に教室へ入っちゃったし。
まあ、いいか。