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第3話『何事もない日常を送るために』

「ふう、どうしたものか」


 と、俺は途方に暮れながら街中を歩いている。


 ショッピングモール的な場所から抜け出す際、とんでもなく人だかりができていた。

 その中を堂々と突破することはできなかったから、いい機会だと思って空を跳んでみた。


 もはや飛んでいるぐらいの高さだったし、着地のことを考えていなかったからとんでもなく焦ったけど、どうやら意識すれば空中に着地できるらしい。

 そんなこんなで離れた場所の高い建物の屋根に着地してゆっくりと地面に降りた。


「――ほほお」


 途方に暮れている、というのを撤回しなくてはならない。


 この体の元の持ち主――そう、アッシュの記憶であろうものが頭の中に流れ込んできた。


 どうやら、俺の住んでいる家は普通にお金持ちらしい。

 そして、元の世界で生きていた俺の年齢と一緒で16歳。

 高校生に該当する年齢なんだが、俺も枠から外れることなく学生のようだ。

 しかも俺が憧れていた、あの魔法術学園の。


「なるほどなるほど――おっと」


 情報に対して納得するのはいいとして、周りにも人が居るのを忘れてはいけないな。


 魔法術、この単語に少しだけ違和感はあるけど、まあいいさ。

 憧れていた世界に転生し、憧れている生活を苦労なく? 過ごせそうな予感が……。


「……」


 しないようだ。


 アッシュは生前、この魔法や魔術を使える人間が優遇される世界で、その才能を有するどころか開花することもできなかったようだ。

 当然、そのような境遇ともなれば学園での立ち位置は思考を巡らせるまでもない。


 卑劣で、邪悪だな。


 アッシュが経験してきたものは、虐めのそれ。

 日々罵声を浴びせられたり、何かと冷遇され、常に周りからは冷やかしの目線を送られている。

 生憎と俺は両親の転勤という好機もあって、そのような経験は小学生で卒業できた。

 でもだからこそ、アッシュが抱いていた感情や置かれていた環境は痛いほど理解できる。


「……ふっ」


 しかし、アッシュは諦めなかった。

 来る日も来る日も、どのような扱いをされようともたった一日たりとも学園を休むことなく通い続け、鍛錬を続けていたんだな。


 凄い、凄すぎるぜ。


 魔法も魔術も扱うことはできなくとも、己の体を鍛え、知識を蓄え続けたんだな。

 だからこの鍛え上げられた体に……おいおい、マジかよ。


 こんな世界に初めてきた俺でもわかる。

 体内に練って練って練られ込んだ――魔力が。

 精密に折り畳まれ、丸め込まれ、様々な形で積み重ねてある。


「……そういうことか」


 人目につかない路地裏へ移動。


「どうやるかわからないが、こんな感じか? おぉ」


 右の人差し指を立て、ライターの火が点く感じを想像。

 すると、ポッと赤い炎が想像通りに出現した。


「アッシュ、お前の努力は無駄じゃなかったぞ。俺が絶対に有効活用する」


 それにしても、夢がある世界だけど残酷な世界だな。

 魔法を使えない人間は――いや、魂は人生の中でどれだけ努力をしようとも魔法や魔術が使えないって話なのか。


「夢に向かって努力をしても、それが叶うことも報われるとは限らない。か」


 本当に、残酷な話だ。

 俺が生きていた世界よりも。


 だが、俺はそれを拒絶する。


「俺は夢を叶える。叶えてみせる。誰かを助けられるような、絶対的な力を手に入れてみせる」


 そうさ。


「俺とアッシュ、二人の力で」


 ということで、自宅へ戻るとしよう。


「あー、真逆か。まあ放課後だし、門限的な時間までは全然大丈夫そうだから……ちょっと早歩き気味で進めば大丈夫か。ところどころ走ったらいいし」




「あ」


 自宅手前まで辿り着いたのはいいものの、自分の服装がマズい。


 ボロボロだったとしても制服だったら、転んだとか言い訳できたけど……。


「これはさすがに無理があるよな」


 ロングコートを脱ぎ棄てたとしても、ビシッと決めたスーツ姿になるだけ。


「どうしたものか……なるほど、それはありがたい」


 元の宿主は、本当に余念がなかったのだろう。

 自分が修行する場所を自分で造り、そこを秘密基地みたいにして鍛錬に勤しんでいたようだ。


 何から何まで俺の思想そのまますぎて、映し鏡かと思ってしまう。


「――おお、そうだよな。これでいいんだよ」


 立地的に森が近く、そこに建設していた秘密基地は俺が理想として掲げていたものそのものだった。

 俺は近くにこういった場所がなかったから造ることはできなかったわけだが――。


「この、一人が休憩したり寝たりすることができる、この三畳ぐらいの大きさがいいんだよ。わかってるなアッシュ」


 つくづくアッシュと俺の感性が似ているのを実感する。


 そして記憶通りに、ちゃんと着替え用の制服一式も用意されていた。


「これで戻っても大丈夫だな」


 と、そろそろ門限である19時になりそうだ。

 魔法か魔術の一環で、体内時計というものを利用できるらしい。

 アッシュはそれを使用することができなかったから、こうして制服の内ポケットに小型時計を忍ばせていたようだが。

 本当、用意周到過ぎるだろ。

 日常使いしている制服にも時計を忍ばせているだけではなく、こうして備えの制服にも用意されているとは。


「さて、戻るか――」




「順調順調っと」


 門限ギリギリの時間で帰宅したからメイドさんたちからのお出迎えがないのではなく、この18時ぐらいは晩御飯の支度をしているらしい。

 だからこうして、何事もなく自室に向かうことができる。


 それにしても、大した家だ。

 元々住んでいた世界であれば……いや、そうじゃなくてもお金持ちの家ということは俺でもわかる。

 こうして赤い絨毯じゅうたんかれいてる廊下を歩いているからというのもあるが、庭師に手入れされている――もはや庭園のような場所を数分間は歩いたのだから、嫌でもそう感じてしまう。


 2階に上がって――。


「――部屋、デカすぎんだろ」


 記憶があるから、自室への道は迷うことがなかった。

 それ自体はいいものの、廊下の広さと長さ、そして部屋数には正直驚きを隠せない。

 しかも自室も当たり前のようにデカいのだから、元々住んでいた世界での生活と格の違いを突きつけられている感覚になってしまう。


 平方メートルとかはそもそも理解できていないから測りようがないが、横幅だけでシャトル欄ができそうな気がする。

 ベッドはキングサイズといったところか? 実際に観たことがないからわからないけど、家具店で見たことがあるセミダブルよりは間違いなく大きい。

 クローゼットだか箪笥たんすだかわからないものはもちろん大きいし、勉強机っぽいものとくつろぐ用の机とかソファとか椅子いすとか……考えが庶民な俺はいろいろと理解に苦しむ。


「とりあえず、着替えるか」


 学制服から学生服に着替える習慣があるらしい。

 そして就寝するときには寝間着ねまきへ、と。


 何から何まで理解が追いつかないが、『郷に入っては郷に従え』にならうとしよう。


 そろそろ、メイドさんが呼びに来てくれるはずだけど、今日はちょっと料理に時間がかかっているのかな?


「うわやべっ、完全に忘れてた」


 忘れていたことは二つ。


 まず、自分の体から漂ってくる血の匂い。

 跡形もなくなっているというのに、これだけはどうにもならなかったようだ。


「道中、すれ違った人たちが振り向いていたような感じがしていたけど……なるほど、そういうことだったのか」


 次に、あの場所で脱ぎ捨てた制服。

 血まみれの制服が落ちてたらそれだけで事件になるし、ましてや内ポケットには時計と学生証が入っている。

 今から回収に行けるだろうけど……事件解決後に操作が行われているだろうし、メイドさんが来てしまってはいろいろと面倒なことになってしまう。


 いや、もう既に面倒なことになっているんだろうけど……。


「いやぁーっ!」

「え、何事」


 こんな穏やかで静寂が満ち溢れていた家――屋敷で、いきなり物騒な声が響き渡った。


「強盗が侵入してきたわけでもないだろうし。も、もしかして、こっちの世界でもゴ〇が出現するというのか!? ん、誰かが凄い勢いで走って来ているような」


 壁に何回かドカッドカッと体当たりしているような、廊下をダダダダダって走ってきているような、そんな感じの音が近づいてくるような、そんな感じ。

 しかも、俺の部屋へ一直線に。


「なんだなんだなんだ。物騒なのはよしてくれよ、せっかく危機を脱してきたばかりなんだからさ」


 何が起きるかわからないため、一応窓際へと非難しておく。

 明かりぐらい付けておいた方がよかった気はするけど、庭から入ってくる明かりだけで大丈夫だろう。


 さて、どうなるか。


「――アッシュ様がそんなっ!」


 ノックという概念はないのか疑ってしまうぐらいの勢いで、扉をドガッと開け放って突入してきたのは見るからにメイドさん。


「そんな、そんな――ひぃっ!? ゆ、幽霊ででででです! きゃぁああああああああああ!」


 騒がしいというか喧しいというか。

 とんでもない勢いで部屋に入って来ておきながら、俺と目があった途端、この世の者ではない名称で悲鳴を上げるなんて無礼すぎるだろ。


「ナシィ、さすがにそれは傷つくんだけど」

「幽霊が喋ったぁ!?」


 メイドさんの名前がわかるのは、貰った記憶をそのまま利用しているからだけど……ナシィは完全に腰を抜かして、その場に座り込んでしまった。


「よく見てよ、俺ってそんなに酷い見た目してるかな」

「あ、あれ。本当にアッシュ様なのですか?」

「そうだよ、ほら。クルクルッと回っても、何も変わりないでしょ?」

「ほ、本当だ。よかった!」

「さあ、立てる?」


 紳士的にナシィへ手を指し伸ばす。


「あ、ありがとうございます!」

「っと、さすがに足元が覚束おぼつかないか。肩を貸すよ」

「え! そんなことはいけません」

「って言っていられる状況でもないしょ?」

「……ありがとうございます」

「それじゃあ行こっか」


 腰を少し屈めてナシィの左腕を俺の首の後ろへ回し、次に俺の右腕を背中から回してナシィの脇腹付近へ。

 完全に補助するかたちで、俺たちは下手を後にした。

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