――どうしてこうなった。
アルクスは、そう嘆く。
買い物を終えてルイヴィスとの感動の再開を果たし、帰宅したのは良いものの……家中の光景に頭を抱えてしまった。
目線の先は台所。
そこに立ち――涙ぐむ金髪の少女、マーリエット。
……と、泡が床まで零れ落ち……無言の悲鳴を上げ、真っ二つになる真っ白な皿達。
「マーリエット……? そ、その……大丈夫?」
アルクスがそう尋ねると、マーリエットは小さい子供のように泣きじゃくりながら謝意を述べ始める。
「アルクスぅ……ごめんなさあい!」
「……うんっ! わ、わかったから。いいかい、まずはそこから動かずゆっくりと手を持ち上げるんだ。何か手に持ってるなら、置いてからね」
「う、うん……」
マーリエットはその整った顔を歪ませ、鼻水まで垂らしている。
未だ年齢的には子供なのだが、大きい体に中身が赤ちゃんにでもなったかのような泣きじゃくりっぷり。
そんな大きな赤ちゃんは、言われた通りにゆっくりと手を上げ、制止。
手が上がり切ったのを確認し、アルクスは机に荷物を置いて台所へ足を進める。
「あっちゃあ、なんでこうなったの?」
「あの……えっと……ぐすんっ」
「あー、話は後で聞くから、まずはここから離れようか。離れる時は足元に気を付けてね」
「は、はいぃ……」
腕を前方に持ち上げながら歩き始める様は見事におかしなもの。
それに加え、割れた皿の破片をおどおどしながら避けているのだから、アルクス以外の人が見れば笑ってしまうだろう。
だが、アルクスは笑いではなく心配が勝っていた。
「机の上に手を拭けるものがあるから、それで手を綺麗にしてね」
「ありがとうぅ……」
声を震わせながら感謝を告げられても、更に愉快さが増すだけ。
アルクスの手際の良さによって、何故か山盛りになった泡と床に散らばった割れた皿の破片があっという間に片付いた。
その後、二人は今の机で向き合う。
「それで、どうしてあんな事になっちゃったの?」
「えっと……少しでも力になりたくて……」
「なるほどね。そういう事なら全然嬉しいんだけど、無茶だけは良くないよ」
「無茶はしてないわ」
「あれはさすがに……」
「……うっ……うぐっ」
再びあの悲劇を思い出したマーリエットは、次第に涙が込み上げてくる。
「私、家事をやっ――苦手なの」
「まあ、誰にだって得意不得意っていうのはあるからね。そこまで気を落さなくて大丈夫だよ」
「……え? 笑ったりしないの?」
「なんで?」
純粋な目で首を傾げるアルクスを見て、マーリエットもまた疑問に思う。
しかしアルクスは、家事をしない……家事ができないミシッダを参考に考えてしまっているからだ。
彼女はこの状況を目の当たりにすれば、間違いなく腹を抱えて爆笑するだろう。
ついでに指を差して、地団駄も踏んで。自分こそできないというのに。
だがマーリエットは、冷静に考える。
アルクスは自分の身分などを知りはしない。
だとすれば、思っているほど屈辱的な展開にはならないはず。
そして、こうも考える。
アルクスならば、あんな悪女のような振る舞いはきっとしない。
身分を知っても尚、態度は変わらない。と。
そう考えると、溢れそうになった涙は一瞬にして収まった。
「うーん……確かに、そうだよね」
「何が……?」
「ただ居候するってのは正直、気が引けちゃうよね。じゃあ、少しずつでいいから一緒にやっていこうよ」
「えっ、いい……の?」
「うん、もちろんさ。……あっ、でもそうか。それはそれで迷惑になっちゃうよね」
――もう、そんな優しくて気が抜けてそうな顔をしておいて、気が使え過ぎよ……!
マーリエットは保身的な考えであったが、アルクスの優しさに悶えそうになる。
「大丈夫よ。アルクスとミシッダさんに『これ以上は迷惑だ』って言われたら、すぐにでもこの家を出るわ。でも、でも……もしも、長居を許可してもらえるなら、ちゃんと恩返しをさせてほしい」
「いやいや! そんな、恩返しとかいいから! それに、もしもミシッダさんが出てけっていうなら、僕が説得するよ。ダメだったら、僕も一緒に出て行く」
「そんなの絶対にダメよ! 説得してくれるのは凄くありがたいんだけど、家出なんて絶対にダメだよ!」
「いや、もしもそうなったら絶対に出て行くよ」
――ダメよダメ。それだっけ絶っっっっ対にダメ!
マーリエットは、焦りに焦りまくる。
ミシッダは言ってしまえば、かなりの親馬鹿だ。
もしもアルクスの身に危険が迫る可能性があった場合、とんでもない事になってしまう。
この流れで、瞬時に最悪な――あの時の言葉が脳裏を過った。
『私は一つの国を勢いに任せて滅ぼしてしまうかもしれない』、という言葉を。
言葉の力が強すぎると言う事もあるが、それが現実になってしまうという恐怖が全身を支配する。
言ってしまえば、アルクスはそうなってしまう未来の起爆剤。取り扱い方法を間違ってしまえば、悲惨な未来になるかもしれない。いや、なるだろう。
そう考えてしまっては、一瞬にして体温が下がったかのような錯覚を起こし、血の気はサーッっと引いていく。
まさに顔面蒼白とはこの事。
――だ、ダメよ。そうならないためには、私がちゃんと役に立つよう努力しないといけない!
「私――が、頑張るから! アルクス。私、頑張るから! 頑張るからね!」
「う、うん。そんなに気合を入れなくても大丈夫だよ?」
「いいえ、死ぬ気で頑張るから! 厳しく指導してね」
「わ、わかったよ?」
拳を強く握り締め、鼻息を荒くしながらやる気を見せるマーリエット。
その整った容姿からは想像もつかない表現をしている。
それにはさすがの心優しいアルクスも、顔が引きつってしまう。
「まあ、ゆっくりと頑張っていこう。――そういえば、ミシッダさんはどこに行ったの? 皿洗いぐらい、ちょっとだけでも教えてあげられるだろうに。あ、もしかしてサボり?」
「あっー……そう、寝汗をかいたから体を洗い流すって言ってたわ」
「こんなに長い時間?」
「えーっ……その後、お出かけするとも言ってた!」
――マーリエット、さっきからどうしたんだろう。なんだかおかしいような……?
アルクスの疑問は至極真っ当なもの。
つい昨日出会ったばかりだとしても、礼儀作法を身に付けているような人が、理由もなくこんなてんやわんやとお祭りみたいに身振り手振りをしているのだ。何かあると思うのも無理はない。
実際は、アルクスが買い物に向かった後、想像を絶する苦痛を伴う訓練をしていた。
それに加え、隠し事もしている。
……というより、自然な流れでアルクスだけが蚊帳の外になってしまっているから、それがバレないか危惧しているとも言えるのかもしれない。
「ミシッダさんには帰ったらガツンと言わないといけないね」
「い、いえ。私が自分で選んだ事だから、それだけはやめてちょうだい。そんな事より、早速教えてちょうだい」
「わかったよ。じゃあ、うーん……まずは簡単なやつからがいいよね。そうだなぁ……あっ、箒で掃き掃除なら簡単じゃないかな」
「じゃあそれで。――ほうき……? なんだかわからないけど、私やるわ!」