「ただいま戻りました!」
両手一杯の麻袋を抱え、何も知らないアルクスは元気一杯に帰宅。
机に座る二人を眺めるも、特におかしい点はない。
ミシッダのことだから、マーリエットから根掘り葉掘り情報を聞き出し、不快な思いをさせかねないと若干心配していたのだが、それも無用だったようだ。と、アルクスは胸をそっと撫で下ろした。
「おう、おかえり。ちょっとばかり早かったんじゃないか」
「そうですね。ミシッダさんがマーリエットさんに失礼な事をしていないか心配でしたので」
「あっはっは。そんなことあるわけないだろー、なんせ初対面同士なんだから。な?
「あ――は、はい! そうよ。そんなことあるはずないわ。ミシッダさんは先ほどから私に優しく接してくださっているわよ」
「ん? そんなに慌てて、どうかしたんですか?」
「いえ! 慌ててなんてないわ。きき気のせいじゃなくて」
口ではそう言っていても、誰がどう見ても慌てている。
平静を装い目線を合わせているように見えるが、完全に目は泳ぎ、アルクスは疑問に思う。
だが、そんな疑問も一瞬にして解決した。
『ぐぅ~っ』
「はっ! いや、あの、これは! その……」
「ああ、そういうことだったんだね! 気づいてあげられなくてごめん。わかったよ、今すぐに準備するからっ」
と、マーリエットが空腹であることを察したアルクスは台所へ一目散に駆け出した。
無理もない。つい先ほどまで囚われの身から解放され、やっとの事で口にしたのが味付きの干し肉が一枚だけだったのだから、それでは余計に腹が減ってしまっても無理はない。という感じに。
偶然にも鳴ってしまった腹の音に羞恥を隠せないマーリエット。
顔から耳まで真っ赤に染まり、頭から湯気でも出ているようにも見える。
「面白すぎんだろ」
「や、やめてください……」
「真剣そうな話をしている最中に、盛大な腹の音を鳴らすお姫様なんて見たことがないぞ」
「やめてください!」
もはやそれ以上染まることはないほどに顔を赤くし、ミシッダへ出来る限りの反抗を試みる。
「だがまあ、それに救われたのもまた事実だけどな」
「……」
「今ので分かったと思うが、アルは本当に純粋だ。だからこそ、心を寄せた相手の変化には誰よりも敏感に気が付く。お前の表側はある程度分かってきたが、裏側は知らん。やるんだったら上手くやることだな」
「わかっています……」
ここでようやく赤面からスッと戻る。
「それにしても、アルも配慮が足らねえなぁ」
「え?」
「だってそうだろ? お前に恥をかかせないよう、ああやって大袈裟に動いて安心させようとしてんのに、汚れちまってる女の子に綺麗な布の一つも渡してやらねえとは……男としてはまだまだ、だな」
「い、いえ。彼は私を救ってくれただけではなく、自身の飲み水や食料まで分けてくれました。それ以上を望むなど、恥知らずというものです」
「まあ、それはそうだな。だがな、それはアルにとって当たり前の事なんだ。あいつの心の芯にあるものは、そういった優しさなんだ」
マーリエットはその言葉を、たった一文字も疑いはしなかった。
「それと同じくと言っちゃあなんだが、あんたも自分の価値を出してっていいんじゃねえか?」
「私の価値?」
「お高く留まらないのは褒めたいんだがな、謙遜しているなら兎も角、まさか自分の顔の良さに気が付いてないのか?」
「どういうことですか?」
「あー、そっちの方だったか」
マーリエットはミシッダの言うことが理解できていない。
首を傾げ、眉を寄せている。
ミシッダはため息を零す。
「あのな、鏡で自分の顔をよく見たことがあるか聞きたいところだがそれはやめておく。あんたの顔はな、女帝陛下譲りの超美人なんだぞ。そのスラっとした目鼻立ちに整った輪郭。更には透き通るような、でもハッキリと聞き取れる声。仕上げにどこにいても分かるようなサラサラな黄金の髪。民からは女神とまで称されているなんてこと……その様子じゃあ知らねえか」
「えっ、えっ、あの、えっ」
「はぁ……。にしても、普通だったら一目惚れするだろうにな。アルはもしかしたら美人には興味ねえのかもな」
「えっ、私、民からそんな……えっ!」
「いや、
再び顔を真っ赤にするマーリエット。
と、頭を抱えるミシッダ。
だが、すぐにミシッダは立ち上がり、近くに畳んである綺麗な布をマーリエットへ渡した。
「ほら、これでまずは外から見えるところを拭きな」
「あ、あの。ありがとうございますぅ……」
コロコロと表情も色も変わる様に、ミシッダは完全に調子を崩してしまう。
それでも、追加で綺麗な布を二枚渡す。
すると、見る見るうちに土埃などで汚れた部分がなくなり、水のように透き通る白い肌が露となった。
見込み通りの姿に、ミシッダは鼻を鳴らして満足する。
「ははぁ~んやっぱりね」
「あの、その。私って本当に……」
「ったくよお、あんたはその年まで一体全体何をしてきたんだよ。求婚の一つでもされたことがあるだろ?」
「ええ、ありました。ですが、それは、結局のところ王権という権力欲しさですから……」
「まあ、頭は悪くないようだが。なんだかなぁ、メイドとかになんか言われなかったのか」
「毎日のように美しい、かわいいと言ってくれてましたけど、全部お世辞じゃ……?」
「なんだこいつ……」
ミシッダはその言葉に全部反応することの無意味さを悟った。
「そのメイドはどんな顔をしていた」
「これでもないぐらいの笑顔で」
「そのメイドはどんな様子だった」
「嬉々として楽しそうに」
「そのメイドはどんなことをしていた」
「毎日、何着も何着も私に服を着せていました」
「いや気づけよ、自信を少しは持てよ」
マーリエットはメイドの立ち振る舞いや言葉を思い出し、ポンッと手を叩き「なるほど」と呑気に呟いた。
「まあ、それはさておき。得策を教えてやる」
「と、得策?」
マーリエットは目を大きく開き、固唾を吞む。
「
「……え、へっへっええ!?」
「なんだ、初心なくせにそういうのは知ってるのか」
「そ、そんなの絶対にダメです!」
「ほら、飯を食った後、眠くなってくるだろ? 体を洗った後、アルの寝室に行って鍵を閉めて逃げられないようにする。そうしたらもう勝ちだろ」
「ぜーーーーっっっったいにダメですー!」
「そうか? 既成事実を作って逃げられないようにしちまうのが一番手っ取り早いと思うけどな」
マーリエットはこれでもかというぐらい、首を横へ何度も小刻みに振る。それはもう頬がプルンプルンッと激しく動くぐらいに。
「まあ、そこらへんは個人の自由だからな。そういう強攻策もあるという事を頭に入れておくんだな」
「……そうですね」
「だが、本当に夜にアルの部屋に行くなら――いや、なんでもない」
「何か問題でも?」
「いや、忘れてくれ。それに、そんなことを心配したところで、行くのか? 行けるのか? 脱げるのか?」
「ぐぬぬ……悔しいですけど、私にはできません……」
「だろ?」
歯を食いしばり強張った表情のそれは、悔しがっている証拠。
ミシッダはマーリエットを斜め上から見下す。
あたかも「だよな? できるわけないよな?」と煽っているかのように。
――悔しい。くやしーいー! わ、私だって? やるときは、やるんだからね? いや、本当だからね?
と、言葉に出さずとも、内心で必死に抵抗するも、もちろん見栄を張っているだけ。
そんな、到底当人には聞かせられない話を繰り広げていたが、ミシッダは急に鼻をスンスンッと鳴らす。
「お、きたきた」
ミシッダは突然そんなことを言い始めるも、マーリエットもその意味をすぐに理解した。
話に夢中で気が付かなかったが、空腹を加速させるような肉の焼けた匂いが漂ってくる。
そして、両手いっぱいに皿を持つニコニコなアルクスが登場。
「二人とも、美味しくできたと思うんでお腹一杯食べてくださいっ」