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第2話

 交流パーティーに参加したら、翌日には東京を離れると決めていた。


 俺は北海道に生活の拠点を置き、小さいながらも会社を経営している。北海道を選んだのはなんとなくだったが、今になってみれば、αが多く集まる東京から離れたところに住めるというのは好都合だった。




 帰りの飛行機に搭乗して、離陸までの間にメールをチェックすると、知らないメールアドレスからメールが入っていた。


 「昨日はありがとうございました。」という丁寧な書き出しから始まるそのメールは、昨日のパーティーで知り合ったあのαの青年――久慈 充くじ みつるからのものだった。




 社交シーズンは独身のαとΩが出会うための場であると同時に、α同士の交流の場でもある。そのため、互いに名刺を交換するのは特別珍しいことではなかった。その例にならい、俺たちもパーティーの最後に名刺を交換していたのだ。




 ざっと内容に目を通す。なんでも、今度俺をクラブパーティーに招待したいということだった。


 俺は苦笑して、仕事を理由に当たり障りのない断りのメールを書いた。


 確かに俺は独身ではあるが、若者に混ざって年甲斐もなく浮かれることほどみっともないことはない。久慈は寂しい俺を慮って誘ってくれたのだろうが、42歳の男を誘うにはクラブパーティーはいささかハードルが高すぎた。


 そうしてメールを送信したあと、俺は毛布を被って眠りについた。















 俺の会社の従業員は50人程度で、αが経営するにはやや小規模な会社ではあるが、それなりの黒字を出していた。主要事業は不動産の仲介である。自然が豊かな北海道は今、別荘として海外の顧客の人気が高く、それなりに忙しくしていた。






 社交シーズンでの青年との出会いを忘れた頃、俺が出社すると、秘書が大慌てて駆け寄ってきた。


「社長!大変です、TOBです……!」


「は?」


 俺が呆けていると、秘書が説明を付け足した。


「私たちの会社の株式を買うと宣言する企業が現れたんですよ!買収です!」




 俺は耳慣れない「買収」という言葉に仰天した。


「こんな田舎の企業を!?どこの企業が!?」


「……そ、それが、あの、あの久慈グループです!対抗策がありませんよ!」


 久慈グループというのは、金融系を中心として発展している巨大企業群の総称である。俺はその名前に目を見開いて驚いた。






 社内で経営陣が右往左往していると、受付から来訪者を告げる連絡があった。なんでも、久慈グループの頭取が自ら出向いて来たというのだ。




 俺が大慌てで応接室に入ると、そこには見覚えのある青年が長い足を組んでゆったりとくつろいでいた。




「やあ、またお会いしましたね。」


 青年はにっこりと笑った。俺はその笑みに薄ら寒さを感じた。


「……あの時の?」


「ええ。」




 青年は例の交流パーティーで知り合った久慈 充くじ みつるであった。名刺にはそのようなことは書かれていなかったが、彼が巨大企業久慈グループの頭取で、俺のちんけな会社の買収を宣言したというのだから、俺の次の言葉はひとつしかない。




「なぜ?」


「あなたともう少しお話しをしたくて。」


 確かに、彼からはホームパーティーの誘いを断った後も、たびたびイベントの誘いがあった。しかし、俺はそれらをすべて仕事を理由に断っていた。




 久慈は貼り付けたような笑顔でこう続けた。


「お仕事がお忙しいとのことでしたので、後の仕事は私が引き受けますから、有野さんは少し休んでください。」


 目の前のαに俺は絶句した。彼の切れ長の瞳はすべてを見透かしているかのように俺を捕らえて離さない。















 運命で結ばれたαとΩは互いに香りで惹かれ合うが、運命の2人でなければその香りはわからないという。


 俺は突発性Ω化症候群だと告げられてから、交流パーティーに参加するときは必要以上に体を洗い、香水をふっていた。体臭を消すために永久脱毛までした。


 その程度の対策でいいのかどうか、俺にもわからないが、俺はΩの発情期にあたるような衝動は2年間で数える程度しかなく、Ωとしても不完全で、それほど強い香りを発しているとは思えなかった。


 それになにより、40年間必死になって探した俺の運命の相手と、年に1回パーティーに参加するだけで出会えるとは思えなかったのだ。






  久慈は俺を東京へ連れて行きたいのだという。


 抵抗しようと思えばできないこともないが、久慈は俺の社員を人質にとっているようなものだ。


「ついてきてくれなかったら、あなたの会社を買収した後、経営陣を全員解雇します。」


 そう宣言されてしまっては、俺になすすべはない。




 俺だって馬鹿ではない。


 俺の会社は買収された場合、経営陣を解雇するには割高な退職金を支払わねばならないという「ゴールデンパラシュート」と呼ばれる対策をしている。経営陣は解雇されてもまとまった金が入るのだ。


 しかし、ここまで会社を大きくするために汗を流してくれた彼らにとって、首を切られるというのはどれほどの苦痛だろうか。少なくとも、彼らの意向を聞かないままに俺が決められる話ではない。




 俺はおとなしく頷くほかにない。


 しかし、この脅迫はますます俺を混乱させた。久慈のやり方がΩを口説くにしては乱暴なやり方であるからだ。



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