カリストは変わった悪魔なのだと思う。
悪魔といえば、人を欺き、だまし、命を奪う。契約した人間は悪魔の力を流し込まれて正気を失い、悪魔に体を乗っ取られて、やがては命を落とす。悪魔は自らを地中に封印した人間というものの存在を呪っている。
少年兵に配られた教書にもそう書かれていたし、事実、そうして正気を失う者を僕たちは何人も見た。
でも、カリストは違った。
彼は僕に寄り添って、僕の体に流し込む力を最小限に留めていた。僕の体が悪魔の瘴気に当たらないように配慮してくれていた。そして、ここでの僕の待遇がよくなるように、惜しみなく助力してくれた。
例えば、悪魔の力を使って遠くの的を破壊する訓練では、僕ではなくカリストがその的を破壊したし、壁をよじ登る訓練では僕の体を抱きあげて上へ運んでくれた。銃や兵糧を運ぶときも、カリストが手伝ってくれた。
そういうことが重なって、まわりの少年兵たちがどんどん筋肉質になっていくのを尻目に、僕の体はまだ細く、頬だけがふっくらとしていった。
「なんでそんなによくしてくれるの?」
一度、僕がそう尋ねると、彼はあっけらかんと答えた。
「だって、私たち、恋人じゃないか。恋人は助け合うものだろう?」
契約の時、カリストが僕に願ったのは「恋人になってほしい」だった。
「なんで、恋人がほしいの?」
悪魔について勉強すればするほど、カリストの契約の内容は謎である。
「悪魔の女にこっぴどく振られたの?」
「悪魔は恋なんてしないよ。同族は会ったらその場で殺し合いだ。」
「じゃあなんで。」
「私と契約する人間ってのは碌でもない人間ばかりだったんだけどね、不思議と、恋人ができたら、途端に改心するんだ。それで、私も恋人がほしいなって。」
彼は僕と似て、ものごとを観察するのが得意なのだろうと思った。人間に興味を持って、人間をよく観察している。
「カリストって、改心したいんだ?」
「そうかもしれないね……。」
悪魔は目を伏せた。彼のこんな動作はほんとうに人間っぽい。
「でも、僕でいいの?」
「悪魔というだけで怯える人間が多いだろう?それじゃあ恋人になれないけど、君は違ったからね。」
確かに、僕はカリストを恐れてはいなかった。この状況で、怖いのはむしろ神官の方だった。
「ふつう、恋人は男と女でなるものじゃない?」
さらに僕が問うと、カリストは首を傾げた。
「そうなの?なぜ?誰が決めたの?」
「だって、男と女じゃないと、子どもができないじゃん。」
「そんなこと。どうせ私と人間では子どもなんてできないよ。」
それもそうか、と納得した。
悪魔が恐ろしいかと尋ねられれば、恐ろしい。だが、カリストは恐ろしくない。だって、他の悪魔は僕には見えないけど、カリストは見える。カリストは言葉と、人間のものの考え方をよく理解している。その辺の気まぐれな人間よりずっと理性的だ。
もしカリストに殺されたとしたら、それは僕の見る目がなかったということだ。僕はこの目で生き延びて来たんだから、それが通用しなかったのなら、死んだって仕方ない。
*****
「合格だ。部屋を移りなさい。」
「ありがとうございます。」
僕は教官から金属の小さなバッチを受け取り、胸に刺した。ついに、僕は1人部屋と、悪魔付き少年兵として最高位のバッチを得たのだ。
「おめでとう。」
「やめてよ。全部カリストの力だ。」
僕たちは与えられた小さな部屋の中で大いに喜んだ。そこは神官の目もなく、他の少年兵もいない、まさに僕たち2人だけの空間だった。
カリストは言う。
「私は、ほんとうに嬉しい。」
「そんなに?」
「ああ、君はとてもかわいいし、頭もいい。私の理想の恋人だ。」
カリストは妖艶に笑った。僕にはよく分からないが、色っぽい、というのはこういうことなのだろう。
カリストの長い緑色の髪に指を滑らせて、僕は尋ねた。
「ねぇ、僕が死んだらどうなるの?」
「私の胃の中さ。」
「そうなんだ。」
カリストは喉の奥で笑う。
「悪魔憑きは死んでも悪魔憑きさ。君たちの死体も悪魔の持ち物だ。聖物が当たれば焼かれるし、結界にはじかれる。」
僕はそれを聞いて、何事かに思い当たった。
考え込んだ僕に、カリストが尋ねた。
「怖いかい?」
「死の門をくぐって、燃やされて、その辺の畑の肥料になるより、ずっといいと思う。」
カリストは僕の人生で出会った唯一の光だった。妙な話だが、この悪魔と出会わせてくれて、女神様に感謝している。
だからこそ、罪悪感があった。
「ごめんね、良い悪魔なのに、こんなことに巻き込んで。」
僕の真剣な謝罪に、カリストは笑い出した。
「君は面白いことを言うね。ふふ、良い悪魔なんていないよ。」
「そうかな?カリストは良い悪魔だと思う。」
「悪魔がどのように生まれるか知っているかい?」
「女神様を裏切った人間がそうなるんでしょう?」
僕があやふやな教書の知識を述べると、カリストが教書に載らない事実を教えてくれた。
「そうだよ。元は人間なんだ。それが、女神の力でばらばらにされて、砂粒のような状態になって、地中に埋められる。それが次第に、力をつける。悪魔として、より高位へ上っていく。力は増大し、形を得る。最初はただの球体、それに手が生えて、足が生えて、頭ができる。力をつけた悪魔は、人間の姿になっていく。いいや……。人間の姿に戻っていくんだ。心も、どんどん人間に戻っていく。だから、寂しいのさ。人間は、一人では生きられない。」
話しているカリストの瞳があまりにも悲しげで、僕は彼の首に抱きついた。もう一人ではないと、彼に伝えたかった。
「トリク、君は戦場で死んではいけないよ。君は、私を置いて死んではいけない。ああ、私はすっかり改心した。君の無事を、女神に祈ってもいい。」
「うん、うん…誓うよ、絶対に死なない!」
僕たちは朝まで指を絡めたまま眠った。
僕がカリストが個室に移った数日後、僕の出兵が決まった。