どこまでも暗闇が広がっていた。
気配を感じて、僕は暗闇の中でたずねた。
「誰?」
「誰だと思う?」
からかうような声が響いた。
「悪魔でしょ。出て来なよ!」
僕が叫ぶと、暗闇の中に、ぼうっと一人の男が浮かび上がった。
「ふーん。」
僕は鼻で笑った。
「不満げだね?」
「もっと化け物みたいなのが出てくると思った。」
男は真っ白な肌と緑の長い髪をしていた。目は血のように赤い。見るからに人外といった色彩ではあるものの、つくりは人間と相違なかった。目があり、鼻があり、耳があり、口がある。それらは人間の美的感覚では「きれい」と言われる部類だろう。
また、体は修道士のような服を着ているが、布の上からでもわかるほどに均整のとれた体をしていた。
男は柔和な笑みを浮かべながら、首をかしげた。
「それで?私と契約をしに来たんだね?」
予想が確信に変わった。僕は尋ね返した。
「それって、契約しなかったらどうなるのさ?」
「死ぬよ。」
「選ぶ余地がないじゃないか。」
「死にたくないのかい?」
「もちろん。」
死にたくはない。なんとかして生き残りたい。それは人間の本能だろう。
僕はさらに悪魔に尋ねた。
「契約って?」
「君が私の願いを叶えると約束する。私は君に力の一部を分けてあげる。」
「僕が悪魔の願いを叶えるの?」
「そうだよ。悪魔が現世に力を及ぼすには人間が必要不可欠だ。」
僕は考えた。この悪魔と神官、どちらがより僕を生かしておいてくれる可能性があるか。神官たちは有無を言わさず僕をここへ連れてきたが、まだ目の前の悪魔は交渉の余地がある。少なくとも人語を解し、僕と話す意思がある。
「で?あんたの願いは何?」
「……君は見どころがあるね。」
悪魔は口角をぐいっと持ち上げて笑った。そして口が耳まで裂け、鋭く尖った牙をのぞかせた。
僕は怖くなかった。その姿はいつだったか神殿で見た悪魔の絵にそっくりで、もう知っているものだった。それに、僕は悪魔が牙で人を殺さないことも知っていた。悪魔は人を炎で焼くという。炎を一度たりとも出していない目の前の悪魔が、僕を害する気がないのは明白だった。
「悪魔を恐れない少年よ。君の名は?」
「トリク……。」
「そう、トリク…。私はね、君のような存在を待っていたんだ。私の願いを伝えよう。」
僕はその願いを聞き、うなずいた。そうして、悪魔と契約を交わした。
*****
目まぐるしい日々が続いた。
僕たちは周りを白い壁で囲われた広大な敷地を持つ神殿に集められた。その壁には悪魔憑きが触れないように結界が張られており、また壁に沿ってぐるぐると警邏の兵士が巡回していた。
僕たち悪魔憑きの少年兵は厳しい管理下に置かれている。悪魔と契約した内容、悪魔の名前、力、そして正気を保っているかどうか、僕たちは徹底的に調べられた後、聖物をもった神官に一日中見張られながら、訓練をして過ごしていた。
聖物は悪魔を祓う力のある杖で、悪魔憑きの僕らがそれを押し付けられると激しい痛みを引き起こし、火傷のような痕が残る。
1か月も経つ頃にはどの少年も反抗を諦めておとなしくなった。
それは僕も同じだった。
聖物によって与えられる痛みはすさまじく、僕は早々に脱出を諦めてここでの生活に順応していった。
「トリクは変わってるね。」
夜、ベッドで横になっていると、僕と契約した悪魔――カリストが耳元で囁いてきた。
「なにが?」
「悪魔を怖がらないのに、あんなちっぽけな聖物が怖いだなんて。」
カリストは仰向きで寝ている僕の隣に現れて、僕の髪に指をからませた。
「仕方ないじゃないか。僕、痛いのと苦しいのは嫌いなんだよ。」
僕はそう言った。カリストの姿は他の人には見えない。しかし、僕の大きな独り言を気にする人はここにはいない。
僕は三段のベッドが4台置かれた12人部屋の一角を与えられていた。
もちろん同室は皆悪魔憑きの少年ばかりで、就寝前のこの時間はみんな、各々の悪魔と対話している。少年12人がぶつぶつと独り言を吐き、ときには笑い、ときには怒り出すその様は異様であるが、すぐに慣れた。
悪魔憑きの少年たちには、戦時下にしては満足のいく食事と、あたたかい毛布が支給された。毎日清潔な布で体を拭くこともできる。
ここにいるのは、これまで人間らしい生活をしていなかった子どもたちばかりで、それらの贅沢品にありがたがって、そのうち国に忠誠を誓うようになっていくらしい。
「ねえカリスト。」
「なんだい?」
「明日の座学の試験、うまいことやってね。」
「まったく、仕方ない子だね……。」
少年兵たちは軍事教育を受けていた。優秀な生徒は1人部屋を与えられ、風呂にも入れ、食事の面も優遇されるという。
字の読めない僕は最底辺に振り分けられ、当初は60人部屋だった。それが、カリストの協力で12人部屋まで上ってきたのだ。
カリストは人間に興味があるらしく、また頭脳もずば抜けており、字や教書の内容を僕よりも早く吸収していった。座学の試験の最中、僕はただカリストの指を追いかけてペンを滑らすだけでいい。
僕の悪魔は僕の頼みはなんでも聞いてくれた。
少年の中には悪魔を制御しきれずに暴走させて、悪魔に殺されたり、神官に処分されたりする者もいたが、僕の悪魔はどこまでも僕だけの味方だった。