目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第34話

 これは二十代半ばの女性、島崎さんの談である。


 二時間ほど残業をした日のことだという。

 職場の最寄り駅は地下鉄のS駅であり、そこから電車に乗りこんだ島崎さんは、座席についてぼんやりしていた。すると、視界の右端にすうっと入ってくる人影があった。

 少し離れたところに乗降ドアがあり、そのすぐそばに誰かが立ったのだ。

 視界の右端だと目の焦点が合っておらず、その姿はぼやけていた。それでも、髪の長い女性ということだけはわかった。


 島崎さんはなんとはなしにその女性に目を向けた。ところが、女性はまた視界の右端に立っていた。女性に目を向けたのだから、彼女は正面に見えるはずだ。にもかかわらず、視界の右端に立っている。

 気づかないうちに移動したのだろうか。島崎さんは不思議に思いながらも、もう一度その女性に目を向けた。すると、またも女性は視界の右端に立っていた。

 何度も目を向けても結果は同じだった。女性は必ず視界の右端にずれてしまうのだ。どうしても正面から見ることができなかった。


 それからというもの、地下鉄に乗ると、いつでもその女性が現れるようになった。視界の右端にすうっと入ってきて、地下鉄をおりるまでそこに立ち続けている。


 得体の知れない女性が視界の右端に立つなんて、不思議を通り越して気味の悪いことだった。しかし、島崎さんはそれを誰にも相談できなかった。家族や友人に女性の話をしても、信じてもらえるとは思えなかった。つまらない冗談や嘘だと思われて笑われるか、幻覚や妄想が起きているのだと心配されるかだ。

 そのような危惧から誰にも相談できず、気味が悪くても耐えるほかなかった。


 女性が視界の右端に立つようになって、おおよそ三週間が過ぎた頃だった。いつものように地下鉄に乗った島崎さんは、あることに気がついた。視界の右端にいるその女性が、以前より右寄りに立っている。

 気のせいかとも思ったが、間違いなく少し右にずれていた。


 なぜかそれから女性の立つ位置が、日を追うごとに右に右にずれていった。ほんの少しずつではあるものの、確実に立つ位置が右にずれている。

 そうやって右にずれ続けていった女性は、とうとう視界の外に出てしまった。


 当然ながら視界の外に出てしまえばもう見えなくなり、以降に島崎さんはその女性を一度も目にしていない。

 だが――。

 島崎さんは今でもその女性の気配を感じることがあるそうだ。

 視界の外に立っているような、そんな気がするのだという。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?