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午後九時二十一分

 これは二十代半ばの男性、原田さんの談である。


 原田さんの実家は和歌山県にある。大学進学のさいに大阪に出て、そのまま大阪で就職をした。現在は貿易関連の企業で営業の職に就き、ワンルームマンションでひとり暮らしをしている。


 基本的に自炊をする原田さんは、その日も夕食に生姜焼きを作った。食べ終えると洗い物を済ませ、テレビを観ながらビールを飲んだ。バラエティ番組からCMに切り替わったとき、なんとなくスマホを手にして時間を確認した。画面の右上のデジタル表示が、午後九時二十一分を示している。

(誕生日と同じやな……)

 原田さんの誕生日は九月二十一日だった。

 ちょうどそのとき、スマホに電話がかかってきた。祖母の清子さんからだった。スマホの番号だったが、原田さんは首を傾げた。


 清子さんは心臓を悪くして入院中だ。入院病棟でのスマホの使用は制限されており、午前七時から午後八時半までと決まっている。使用可能時間を一時間ほど過ぎているが、電話をかけてきても大丈夫なのだろうか。


 怪訝に思いつつ電話を取ると、清子さんはいきなり言った。

『今日は何曜日ですか?』

 確かに清子さんの声だったが、やけに淡々とした口調だった。しかも、なぜか敬語を使っている。普段の清子さんであれば、原田さんと会話をするさい、敬語なんて使わない。


 奇妙に思ったものの、原田さんはその質問に答えた。

「今日は木曜日やけど」

 するとまた清子さんは尋ねてきた。

『今日は晴れでしたか?』

「いや、今日は雨やった」

 原田さんが答えると、さらに質問があった。

『葡萄は好きですか?』

 いよいよようすが変だ。しかし、原田さんは気づくとこう答えていた。

「好きでも嫌いでもない。あったら食うけど」

 まるで勝手に口が動いたかのようだった。誰かに身体を操られているような、そんな感覚があってひどく不快だった。

『今日の朝はなにを食べましたか?』

 答えたくないのに、なぜか答えてしまう。

「なにも食べてへん。朝はいつも食べへんから」

『今日の昼はなにを食べましたか?』

「定食屋で天丼セット」

『今日の晩はなにを食べましたか?』

「生姜焼き」

 ここまで質問した清子さんは、最初に戻って、同じ質問を繰り返しはじめた。原田さんはそれに答え続けたが、やはり身体を操られているかのように、ひどく不快な感覚が伴っていた。


 そして、口調が清子さんのように淡々としていた。

『今日は何曜日ですか?』

「木曜日」

『今日は晴れでしたか?』

「雨」

『葡萄は好きですか?』

「どちらでもない」

『今日の朝はなにを食べましたか?』

「食べてない」

『今日の昼はなにを食べましたか?』

「天丼セット」

『今日の晩はなにを食べましたか?』

「生姜焼き」

 そうして清子さんは、いきなり電話を切った。それと同時に原田さんの意識はぐらりと揺れて、眩暈を起こしたかのような感覚にとらわれた。しかし、しばらくすると意識は戻っていった。


 原田さんは手にしたままスマホを呆然と眺めた。清子さんからの奇妙な電話や、今の目眩じみた感覚は、いったいなんだったのだろうか。 

 わけがわからないでいると、またスマホに電話がかかってきた。今度は清子さんからではなく、原田さんの母からの電話だった。


 原田さんは気を取り直して電話を取った。

 母が暗い口調で告げてきた。

『ついさっき病院から連絡があってんけどね、おばあちゃんの容態が急変したんやって。今からお父さんと病院にむかうけど、もう危ないかもしれへんね……』

 つまり危篤ということだった。


 それを聞いた原田さんは、さらにわけがわからなくなった。今しがたまで清子さんと電話で話をしていた。だが、母の話によれば清子さんは危篤だという。

 なにかおかしい。原田さんはそう感じたが、今は清子さんが危篤で、母も混乱しているはずだ。妙なことを伝えて、余計に混乱させるのはよくないだろう。母にはなにも告げないまま電話を切った。


 再び母から電話があったのは、日が変わってまもない頃だった。電話を取る前にもう予想はついていたが、清子さんが亡くなったという報せだった。

 通夜と葬式は週末に執り行うことになり、原田さんも和歌山に帰省して参列した。月曜日だけ有給を利用して仕事を休み、火曜日からいつもどおりに出社した。


 その日の夜だったという。

 夕食のあとにテレビを観ていた原田さんは、なんとなくスマホを手にして時間を確認した。

 午後九時二十一分だった。

(誕生日と同じ……)

 ぼんやりとそんなことを思っていると、ちょうどスマホに電話がかかってきた。画面に表示された電話の相手は、亡くなったはずの清子さんだった。


 母か父が清子さんのスマホを使って、電話をかけてきたのだろうか。いや、そんなことをする理由があるとは思えない。では、この電話はいったい誰が……?

 そのうち、電話は切れた。

 数秒後に再び電話がかかってきたが、原田さんは電話を取らないでおいた。なんとなく気味が悪かった。


 その日はもうスマホに着信はなかったが、翌日にまた清子さんから電話があった。

 時間は午後九時二十一分だった。


 以後四日間、毎日清子さんから午後九時二十一分に電話があり、原田さんは一度も電話を取らなかった。すると、五日目いつかめから電話はかかってこなくなった。


 念のために両親に確認してみたが、やはり清子さんのスマホから、電話などかけていないという。

 誰がかけてきた電話なのか判然としなかった。清子さんからの電話であるはずないが、もし清子さんであったとしたら……?

 次にまた電話があったら取るべきだろうか。原田さんは迷っている。



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