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地鎮祭

 これは三十代半ばの女性、内山さんの話である。


 内山さんはJ不動産会社に勤めて七年目になる。Eさんという人物からJ不動産会社に問い合わせがあったのは七月の初旬で、内山さんが彼を担当することになった。


 EさんはJ不動産会社が仲介している二十八坪の土地に興味があるようだった。二階建ての戸建住宅を建築する予定地ではあるが、自由設計であるため三階建てへの変更も可能だ。価格は土地と住宅のセットで約四千二百万円。

 J不動産会社の店舗にやってきたEさんは、奥さんと小学生の娘さんを連れていた。早速、内山さんはEさん家族を二十八坪の土地まで案内することにした。社用車のコンパクトカーにEさん家族を乗せて出発した。


 戸建住宅に挟まれる形でその土地はあり、上物が建っていない現在は更地の状態だ。内山さんは土地の前に車を停めて、Eさん家族と共に車外におりた。

 Eさんは土地の前に立つと、内山さんに尋ねてきた。

「中に入っても大丈夫ですか?」

「もちろんです。どうぞご自由に見てください」

 土地に足を踏み入れたEさん夫妻は、「思ってたより広いね」「このあたりが玄関かな」などと話し合っている。土地の第一印象は好感触のようで、購入意欲も高いと思われた。販売価格にも納得しており、住宅ローンの支払い能力も問題なさそうだ。おそらく売買契約書に印鑑を押してくれるだろう。と内山さんは予想した。

 娘さんは公園で遊んでいるかのように歓声をあげて、土地の中を行ったり来たりして走りまわった。

「お転婆で」

 苦笑いする奥さんに、内山さんは笑ってみせた。

「女の子も元気が一番です」


 しばらくするとEさん夫妻は土地から出て、あたりを見まわしはじめた。周辺環境が気になるのだろう。

「このあたりは上品なお土地柄ですからわりと静かですよ。ご近所トラブルが起きているという話も聞いたことがありません」

 内山さんがそう説明したとき、なぜか夫妻は怪訝な顔をした。説明に不服でもあるのかとも思ったが、そういうわけではないらしかった。

 夫妻はある一点に視線をじっと向けていた。その視線を追った内山さんは、二十八坪の土地の中ほどに、女性が立っているのを見つけた。


 女性はこちらに背中を向けており、顔を確認することはできなかったが、身体つきからして二十代前半に思えた。後ろ姿の黒髪は腰に届きそうなほど長く、白いシャツにベージュの膝丈スカートを合わせている。

 娘さんは女性を気にしていないようすで、相変わらずお転婆に走りまわっていた。


 さっきまであんな女性はいなかった。内山さんやEさん夫妻の目を盗んで、いつのまにか入りこんだらしい。

 購入を考えている土地に、妙な女が入りこんでいる。Eさんたちからすればいい気はしないはずだ。下手すると購入意欲を失い兼ねない。早々に女性を追いださないといけないが、相手が逆上するようなやり方は賢明でない。


 内山さんは女性に近づいていき、あくまで低姿勢に声をかけた。

「すみません。少しよろしいですか……」

 ところが、女性は内山さんの声になんの反応も示さなかった。内山さんに背中を向けたまま突っ立っている。聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかけてみたものの、やはり反応を示さない。

 聞こえなかったのではなく、無視を決めこんでいるらしい。

(なんなの、この人……)

 思わずため息が出そうになったが、Eさん家族の手前、不快感を表情にださないよう努めた。

 内山さんは低姿勢を崩さず、女性の前にまわりこもうとした。顔を合わせて声をかければ、さすがに無視はされないだろう。


 しかし、女性はすっと身体の向きを変えて、内山さんにまた背中を向けた。

(本当になんなのよ、この人……)

 内山さんはうんざりしながらも、再び女性の前にまわりこもうとした。だが、またも女性は身体の向きを変えて、内山さんに背中を向けた。

 さらにもう一度まわりこもうとしても同様だった。次もその次も同じである。何度まわりこもうとしても、女性は内山さんに背中を向けた。どうしても前にまわりこめないのだ。

 その間も娘さんはお転婆に走りまわっていた。


 いい加減苛々してきた内山さんは、女性の肩を強くつかんだ。逆上させるのは賢明ではないとわかっていても、熱くなった感情をおさえきれなかった。こちらに振り向かせようとその肩を力任せに引いた。

 ここで内山さんは自宅のベッドで目を覚ました。

 夢を見ていた。


 電気の消えた寝室は真っ暗だった。枕もとのスマホで時刻を確認すると、深夜の三時を少し過ぎている。喉がカラカラに乾いていた。

 内山さんは分譲マンションの七階に住んでいる。隣で眠っている旦那さんを起こさないように注意しながらベッドをおりると、寝室からリビングに移動して冷たい麦茶を一杯飲んだ。

 喉の渇きが落ち着いてから、さっき見た夢を思い返した。


 夢に出てきたEさん家族は架空の家族ではない。数週間前のことになるのだが、実際に内山さんは、J不動産会社が仲介する土地にEさん家族を案内した。

 つまり、実在する家族が夢に出てきたのだった。

 だが、こちらに背中を向けて立っていたあの女性は、実在していない人物だった。Eさん家族を土地に案内したさいに、あのような女性は見ていない。


 ただ、女性を見てはいないのだが、内山さんはあの土地で、妙な気配を感じ取っていた。土地を案内していた二十分ほどのあいだ、ずっとなにかがそばにいるような気がしていたのだ。

 確かにEさん家族以外しかいなかったのだが、もうひとり誰かがいるような気配があったのである。


 そんなことがあってのさっきの奇妙な夢であり、しかもその夢を見るのは今回がはじめてではなかった。同じような夢をこれまでにも何度も見ている。

 Eさん家族を土地に案内すると、背を向けた女性が立っている夢だ。


 夢はどことなく不吉な感じがして、内山さんに胸騒ぎを覚えさせた。こんなものはただの夢だと思う一方で、ただの夢だとは完全に割り切れなかった。

 内山さんはもう一杯麦茶を飲んだ。その夢を見たときは、いつも喉がカラカラに乾く。


 Eさんは当初の予想どおりに土地を気に入り、売買契約書に印鑑を押すところまですすんだ。次の日曜日に住宅の間取りや設備など、プランの詳細を打ち合わせする予定だ。

 その点においてはいたって順調なのだが、夢を見るたびに胸騒ぎが増していた。不吉なことが起きそうな気がするのだった。

(地鎮祭をすすめてみようか……)

 地鎮祭は読んで字のごとくであり、土地を鎮めるために行う儀式だ。その土地に穢れや曰くがあったとしても、地鎮祭を行なえば土地が清められ、良からぬものが祓われるのだという。

 普段の内山さんは地鎮祭を特に意識しないが、今回はそれが必要であると直感めいたものがあった。夢に出てくる後ろ向きに立っている女性が、どうにも気になって仕方なかった。


 次の日曜日になり、内山さんは予定どおりにEさん夫妻と打ち合わせをした。その最中にそれとなく地鎮祭の実施をすすめた。

「せっかく家を建てるのですから、地鎮祭くらいはしておいてもいいかもしれません」

 Eさんは検討するという旨の返事をしたものの、後日に地鎮祭を行わない方針を示した。


 地鎮祭は古い習慣であり、最近では省くことも少なくない。費用の相場が十万円前後という高額も相まって、特に個人宅の建築では省かれる傾向が強い。

 内山さんがEさんに地鎮祭をすすめた理由は、夢を見るたびに胸騒ぎを覚えるからだ。しかし、単に妙な夢を見ただけの話でしかなく、胸騒ぎも内山さんの主観にすぎない。しつこく地鎮祭をすすめるのは憚れた。

 Eさんの住宅購入に茶々を入れまいと、内山さんはそれ以上地鎮祭をすすめなかった。


 しかし、夏の終わり頃に住宅の建築がはじまると、現場の職人たちが不可解なことを言いだした。

 作業中に女性を見るというのだ。


 女性は白いシャツにベージュの膝丈スカートを履いているそうだ。そして、必ず後ろ向きで立っているという。

 ある職人が二階で作業をしようと階段を見あげると、階段の一番上に後ろ姿の女性が立っていた。別の職人がシャワーの取付を行おうとバスルームの扉を開けると、こちらに背中を向けた女性の姿があった。壁紙の施工中の職人がふとベランダに目をやると、窓の向こうに後ろ姿の女性が立っていた。

 現場の職人たちの半数以上が後ろ姿の女性を目撃した。

 内山さんもときどき現場に入るのだが、内山さん自身は女性を目撃したことがない。だが、内山さんの夢に何度か現れた後ろ姿の女性と、職人たちが現場で見た女性はおそらく同一人物だ。それはひどく不可解であり、なにより不吉な感じがした。


 そして、だんだん体調不良を訴える職人が出はじめた。現場に入った途端に頭痛が起きたり、いきなり嘔吐したりするのだ。眩暈が起きてしばらく立てなくなった職人もいた。

 不気味に思いはじめた職人が、他の現場への異動を希望することもあった。


 そんな不可解な現象に振りまわされながらも、住宅はなんとか無事に完成するに至った。Eさん家族に引き渡すことになり、内覧会での彼らは、住宅の仕上がりに満足そうだった。

 そのときも娘さんは、家の中をお転婆に走りまわっていた。

 内山さんはEさん家族に笑顔を見せつつも不安を抱いていた。


 夢に何度も現れた後ろ姿の女性。職人たちの多くが目撃した姿の女性。同一人物であろう彼女の正体は不明ではあるものの、きっと良いものではない。

 内山さんは何事も起きなければいいのだがと、営業スマイルの奥でそう思案していた。

 しかし――。


 引き渡したあともアフターフォローなどで、一年ほどは購入者とのつき合いが続く。Eさん家族はその一年のあいだに数々の不幸にみまわれた。


 Eさんは本人は脳梗塞を起こし、一命は取り留めたものの、半身不随になってしまった。娘さんは下校時に交通事故に遭い、その影響で右足に後遺症が残った。歩行時に足を引きずるようになり、もうお転婆には走りまわれない。

 奥さんはふたりのことがショックだったのか、あるいはほかに原因があったのか、精神を病んでしまって入院することになった。そして、なぜか女性の後ろ姿にひどく怯えるという。

 入院先の看護師たちは、奥さんに背中を見せないように気をつけているそうだ。


     *


 Eさん家族を襲った数々の不幸は、たまたま不幸が重なっただけだ。内山さんは自分にそう言い聞かせながらも、以後は住宅購入者に地鎮祭を強くすすめている。十万前後の費用を払ってでも、土地はしっかり鎮めておくべきだ。

 また、他者に地鎮祭をすすめるたびにこんな不安に駆られるのだという。

 私が住んでいるこのマンションは大丈夫なのだろうか。


 内山さんが住むマンションは、離婚する夫婦がやけに多いそうだ。それに、過去には自転車置き場で原因不明のぼや騒ぎが起きており、交通事故にみまわれた住人も数人いるという。

 最近では高校生が自殺未遂をしたとのことだ。

 よくないことが頻繁に起きているが、このマンションは地鎮祭を行ったのだろうか。



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