これは二十代後半の女性、安藤さんの談である。
今から十年ほど前のことだという。
当時の安藤さんは高校二年生で、季節は夏のはじまりだった。教室には女子ばかりの友達が六人残っており、ひとりが怖い話をしたのをきっかけに、みなが順番に怪談話を披露しはじめた。
祖母のお墓参りしたさいに幽霊を見た。
遊園地のお化け屋敷で本物の幽霊を見た。
学校の理科室で女の啜り泣く声を聞いた。
安藤さんも恐怖を楽しみながら、それに参加していた。すると、頭の上あたりで奇妙な音が鳴った。
パキンッ――
枝が折れるような、板が軋むような、そういった甲高い音だった。
ごく小さな音だったために安藤さんは気にしなかったが、しばらくしてまた同じ音が頭の上あたりから聞こえた。
パキンッ――
今度はさっきより音が大きかった。
「今の音、なに?」
安藤さんは頭上を見あげて誰ともなく尋ねたのだが、なぜかその問いはみなに無視されてしまった。怪談話に夢中で聞こえなかったのかもしれない。
とはいえ、わざわざもう一度尋ねるほどのことでもない。安藤さんは音のことは忘れて怪談話を楽しむことにした。すると、しばらくしてまた甲高い音が頭の上で響いた。
パキンッ――
間髪入れずにもう一度鳴った。
パキンッ――
二度続けて音が鳴っても、みなに反応はなかった。怪談話に笑い混じりの悲鳴をあげつつ、怖い怖いとおおいに楽しんでいる。
やはり怪談話に夢中で音が聞こえていないらしい。
安藤さんはそのように推し量って、自分も怪談話に集中しようとした。
だが、今度は別のことが気になりだして、意識がそちらに逸れてしまった。足もとがやけにひんやりとするのだ。エアコンの効きすぎに違いないが、ひんやりどころか寒いくらいだった。
設定温度は何度になっているのだろうか。
みなは寒くないのだろうか。
一旦寒いと思ってしまうと、足もとどころか、身体全体が冷えてきた。
いよいよ我慢できなくなってきた安藤さんは、エアコンの温度をあげていいか、みなに尋ねようとした。
そのとき、にわかに教室の外がザワザワとしはじめた。
教室の窓はすべて磨りガラスだ。廊下に誰かがいるとすれば、その姿がぼんやりと透けて映る。誰の姿も透けていないというのに、教室の外がザワザワとしていた。
みなは悲鳴と笑い声を交互にあげて怪談話を楽しんでいた。廊下のザワザワにはまったく気づいていないようだ。
安藤さんはだんだん気味が悪くなってきた。
パキンッという音も、この寒さも、そして廊下のザワザワも――。
なにかおかしい。
詳しいことはよくわからないが、奇妙なことが起きているのは確かだ。
もう怪談話をやめて帰ったほうがいい。みなに伝えようとしたとき、安藤さんは気がついた。
安藤さんの斜め前にTさんという友達が座っていた。Tさんは硬い表情で廊下のほうをじっと見据えている。みなはザワザワを認識していないようだが、どうやらTさんだけは気づいているらしい。
このザワザワに気づいているのは自分だけじゃない……。
安藤さんが仲間を見つけたような気分でほっとしていると、Tさんの視線がすうっと横に動いた。
一点を凝視するTさんにつられて、安藤さんもそちらに目をやった。教室の前にある出入り口、その引き戸を見ているようだ。
あの扉になにかあるのだろうか。
疑問に思いながら引き戸を見ていると、またも例の甲高い音が頭上で響いた。
パキンッ――
その直後、引き戸がほんのわずか開いた。
カラ……
ひとりでに開いたように見えた。
「え……」
安藤さんが思わず呟いたとき、Tさんがいきなり立ちあがって、引き戸に向かって駆けだした。到着するや否や、引き戸を思い切り閉めた。その激しい音が教室中に響き渡る。
みなはTさんの行動に驚いたらしく、唖然とした表情でTさんを見ていた。
当のTさんは「はあ……」と長い息を吐いて、その場に膝から崩れ落ちた。
いつのまにか廊下のザワザワとした気配が消えており、足もとから全身へのひんやりとした感覚もなくなっていた。
座りこんだTさんを心配して、みなが駆け寄っていった。
「ど、どうしたのTちゃん?」
「大丈夫?」
「気分でも悪いの?」
Tさんはすぐに立ちあがって、硬いながらも笑顔を見せた。
「ごめん、ちょっと目眩がしただけだから。もう大丈夫」
みなはなおも心配そうにしていたが、Tさんが「大丈夫」と繰り返したので、ようやく安心したみたいだった。
だが、さすがにこの件でみなの興は醒めてしまい、怪談話はここでお開きとなった。
翌朝、学校に登校して教室に入った安藤さんは、Tさんを心配していた。昨日のあの出来事のせいか、嫌な予感がしていたのだった。
Tさんは安藤さんから少し遅れて登校してきたのだが、どことなく顔色が悪いように思えた。安藤さんはTさんの席にいって尋ねてみた。
「体調でも悪いの?」
安藤さんを見あげたTさんは、眉間に皺を寄せており、額にやたらと汗をかいていた。やがて安藤さんから目を逸らすと、俯き加減で黙りこくってしまった。
「Tちゃん……」
安藤さんがよびかけると、Tさんは掠れた声で呟いた。
「ザワザワする……」
その日、Tさんは体調不良ということで、午後の授業は受けずに早退した。それから三日続けて病欠で、四日目からまた高校に登校してきた。
しかし、登校後のTさんは誰ともかかわろうとせず、誰とも話をしなくなってしまっていた。安藤さんや他の友人が話しかけても、最低限の返事しかせずに、すうっとどこかにいってしまう。
学年があがって三年生になっても、その態度は同じだった。結局Tさんは高校を卒業するまで、ほとんど誰とも話をしなかった。
にもかかわらず、卒業から数年後に行われた同窓会では、それに参加していたTさんが、異様なほどのハイテンションだった。誰よりも大きな声でしゃべりまくっていた。
安藤さんはTさんの変わりように驚いたが、同級生たちの意見は安藤さんと違っていた。
「Tちゃんって高校のときからあんな感じだったでしょう」
そんなはずはないと安藤さんは思ったが、なんとなく怖くてそう言いだせなかった。