これは十代半ばの男性、大石さんの話である。
大石さんが通っている高校には、開かずのトイレがあった。体育館の近くに設けられているトイレで、仕様がよほど古いのか、今時では考えられない男女共用のものだった。
出入口の鉄扉には窓もなにもなく、常に鍵がかけられている状態で、ドアノブはまったくまわらない。まさに開かずのトイレだった。
なぜ鍵がかけられたままなのかは定かでなかった。
過去に自殺した生徒がいて、それから閉鎖されている。壊れた便器の型が古いために、修理ができずに放置されている。職員室から死角であるため、喫煙する生徒がいて閉鎖した。
そういった噂をときおり聞くものの、なにが正しいかを知る生徒はいなかった。
ある日の放課後のことだった。
バレー部に所属している大石さんは、部活動のために体育館に向かった。開かずのトイレの前を通りかかったときに、いつもと違うことに気がついて足を止めた。
トイレの鉄扉が開いていたのだ。ただ、開いているといってもほんのわずかで、トイレの中はまったく見えなかった。
そのとき、大石さんの背後で声がした。
「あれ、扉が開いてるやん」
振り返ると、同じバレー部に所属しているYさんがいた。
「そうやねん。いつも閉まってんのにな」
「なんで開いてるんやろか」
Yさんはそう言いながら、トイレに近づいていった。扉の前で足を止めると、大石さんを振り返った。
「入ってみる?」
大石さんも開かずのトイレの中が、どんなふうになっているのかは興味があった。それに、もし開かずのトイレに入ったとなれば、クラスの友達にも自慢できそうだ。
「入るしかないやろ」
大石さんがにっと笑ってみせると、Yさんも悪戯っぽく笑って言った。
「だよな」
それからYさんは、トイレに向き直ってドアノブを押した。
錆びた音を響かせながら、鉄扉はゆっくりと開いた。
ギイィィィ……。
鉄扉がおおよそ開いたところで、大石さんはYさんの肩越しにトイレの中を見た。おそらく壁から剥がれ落ちたものだろうが、割れたタイルが床に散乱していた。掃除道具なんかも捨て置かれており、長年誰も立ち入っていないのが一目瞭然だった。
「入るで」
Yさんがこちらを振り向いて言ったので、大石さんは「おう」と頷いてみせた。
「じゃあ、お先……」
Yさんはもったいぶるような素ぶりで、トイレの中に一歩ずつゆっくりと入っていった。大石さんはそんなYさんのようすを背後から見ていたのだが、Yさんが完全にトイレの中に入ったところで悪戯心が湧いた。
(ドアを閉めたら、Yは驚くやろか……)
大石さんは悪戯心に駆られるまま、鉄扉をあえて勢いよく閉めた。ガシャンと耳障りな音がして、Yさんの姿は鉄扉の向こうに消えた。
慌てふためくYさんを期待したのだが、たいして驚いてはいないようだった。
「なんで閉めたんや? 大石は入ってこえへんのか?」
冷静な声が鉄扉の向こう側から聞こえた。
Yさんはわりと冷静な性格をしており、こんなときでもそうらしかった。
大石さんはちょっとつまらなく思いながらYさんに応じた。
「入るけどやな、少しは驚けよ……」
そうして鉄扉のドアノブに手をかけたときだった。大石さんは背後から声をかけられた。
「なにしてるんや、大石?」
振り向くと、Yさんがそこに立っていた。
「え……」
思わず声をもらした大石さんに、Yさんが怪訝そうに言った。
「なんやねん。なんで驚いた顔してんねん」
「いや、さっきお前がこのトイレに入っていって……」
大石さんは説明しながら混乱していた。トイレに入っていったはずのYさんがそこに立っている。
「どういうことやねん……」
わけがわからないまま前に向き直って、鉄扉のドアノブをまわしてみた。とにかくトイレの中を確かめようと思ったのだ。
ところが、なぜか鉄扉には鍵がかかっており、ドアノブがまったくまわらない。がちゃがちゃと乱暴にまわしてみても、びくともしなかった。
「なにやってんねん。そこは鍵がかかってるで」
「いや、でも、さっきお前がこのトイレに入っていって……」
大石さんが口ごもると、
「なにをわけわからんこと言うてんねん。そんなんええから、早よいくで。クラブに遅れてまうわ」
Yさんは大石さんを残して早足で歩きはじめた。
大石さんはもう一度ドアノブをまわしてみたが、やはり鍵がかかっていて鉄扉は開かなかった。
「マジでわけわからん……」
大石さんは状況を把握できないままYさんを追った。
そのときはただただ理解に苦しみ、首を傾げるだけだった。しかし、あとになってから強い恐怖を感じるようになった。
「なんで閉めたんや? 大石は入ってこえへんのか?」
鉄扉の向こうでそう言ったあれは、Yさんの姿をしていたものの、きっとYさんではなかったのだろう。
もし、あの声につられてトイレに入っていたら、どうなっていたのだろうか。
そのまま帰ってこれなかったような気がする。