目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
開かずのトイレ

 これは十代半ばの男性、大石さんの話である。


 大石さんが通っている高校には、開かずのトイレがあった。体育館の近くに設けられているトイレで、仕様がよほど古いのか、今時では考えられない男女共用のものだった。

 出入口の鉄扉には窓もなにもなく、常に鍵がかけられている状態で、ドアノブはまったくまわらない。まさに開かずのトイレだった。


 なぜ鍵がかけられたままなのかは定かでなかった。

 過去に自殺した生徒がいて、それから閉鎖されている。壊れた便器の型が古いために、修理ができずに放置されている。職員室から死角であるため、喫煙する生徒がいて閉鎖した。

 そういった噂をときおり聞くものの、なにが正しいかを知る生徒はいなかった。


 ある日の放課後のことだった。

 バレー部に所属している大石さんは、部活動のために体育館に向かった。開かずのトイレの前を通りかかったときに、いつもと違うことに気がついて足を止めた。

 トイレの鉄扉が開いていたのだ。ただ、開いているといってもほんのわずかで、トイレの中はまったく見えなかった。


 そのとき、大石さんの背後で声がした。

「あれ、扉が開いてるやん」

 振り返ると、同じバレー部に所属しているYさんがいた。

「そうやねん。いつも閉まってんのにな」

「なんで開いてるんやろか」

 Yさんはそう言いながら、トイレに近づいていった。扉の前で足を止めると、大石さんを振り返った。

「入ってみる?」

 大石さんも開かずのトイレの中が、どんなふうになっているのかは興味があった。それに、もし開かずのトイレに入ったとなれば、クラスの友達にも自慢できそうだ。


「入るしかないやろ」

 大石さんがにっと笑ってみせると、Yさんも悪戯っぽく笑って言った。

「だよな」

 それからYさんは、トイレに向き直ってドアノブを押した。

 錆びた音を響かせながら、鉄扉はゆっくりと開いた。

 ギイィィィ……。

 鉄扉がおおよそ開いたところで、大石さんはYさんの肩越しにトイレの中を見た。おそらく壁から剥がれ落ちたものだろうが、割れたタイルが床に散乱していた。掃除道具なんかも捨て置かれており、長年誰も立ち入っていないのが一目瞭然だった。


「入るで」

 Yさんがこちらを振り向いて言ったので、大石さんは「おう」と頷いてみせた。

「じゃあ、お先……」

 Yさんはもったいぶるような素ぶりで、トイレの中に一歩ずつゆっくりと入っていった。大石さんはそんなYさんのようすを背後から見ていたのだが、Yさんが完全にトイレの中に入ったところで悪戯心が湧いた。

(ドアを閉めたら、Yは驚くやろか……)

 大石さんは悪戯心に駆られるまま、鉄扉をあえて勢いよく閉めた。ガシャンと耳障りな音がして、Yさんの姿は鉄扉の向こうに消えた。


 慌てふためくYさんを期待したのだが、たいして驚いてはいないようだった。

「なんで閉めたんや? 大石は入ってこえへんのか?」

 冷静な声が鉄扉の向こう側から聞こえた。


 Yさんはわりと冷静な性格をしており、こんなときでもそうらしかった。

 大石さんはちょっとつまらなく思いながらYさんに応じた。

「入るけどやな、少しは驚けよ……」

 そうして鉄扉のドアノブに手をかけたときだった。大石さんは背後から声をかけられた。


「なにしてるんや、大石?」

 振り向くと、Yさんがそこに立っていた。

「え……」

 思わず声をもらした大石さんに、Yさんが怪訝そうに言った。

「なんやねん。なんで驚いた顔してんねん」

「いや、さっきお前がこのトイレに入っていって……」

 大石さんは説明しながら混乱していた。トイレに入っていったはずのYさんがそこに立っている。

「どういうことやねん……」

 わけがわからないまま前に向き直って、鉄扉のドアノブをまわしてみた。とにかくトイレの中を確かめようと思ったのだ。


 ところが、なぜか鉄扉には鍵がかかっており、ドアノブがまったくまわらない。がちゃがちゃと乱暴にまわしてみても、びくともしなかった。

「なにやってんねん。そこは鍵がかかってるで」

「いや、でも、さっきお前がこのトイレに入っていって……」

 大石さんが口ごもると、

「なにをわけわからんこと言うてんねん。そんなんええから、早よいくで。クラブに遅れてまうわ」

 Yさんは大石さんを残して早足で歩きはじめた。

 大石さんはもう一度ドアノブをまわしてみたが、やはり鍵がかかっていて鉄扉は開かなかった。

「マジでわけわからん……」

 大石さんは状況を把握できないままYさんを追った。


 そのときはただただ理解に苦しみ、首を傾げるだけだった。しかし、あとになってから強い恐怖を感じるようになった。


「なんで閉めたんや? 大石は入ってこえへんのか?」


 鉄扉の向こうでそう言ったあれは、Yさんの姿をしていたものの、きっとYさんではなかったのだろう。

 もし、あの声につられてトイレに入っていたら、どうなっていたのだろうか。

 そのまま帰ってこれなかったような気がする。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?