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帰り道

 これは二十代後半の女性、畠田さんの話である。


 月末になると仕事が立てこむことが多く、その日は三時間近くも残業したという。自宅の最寄り駅に着いたのは午後九時半過ぎだった。

 畠田さんは駅に併設の駐輪場から自転車をだすと、自宅に向か

って漕ぎはじめた。駅前周辺にはある程度の明るさがあるものの、住宅街に入ってしまうといっきに暗くなる。車の行き交いはほとんどなく、人の姿も無きに等しい。


 やがて、畠田さんは小さな児童公園の前に差しかかった。駅から自宅までの道のりのちょうど中間あたりにある公園だ。昼間は子供の歓声が聞こえる公園も、陽が落ちたあとはひっそりと静まり返っていた。

 異変が起きたのはその公園を通り過ぎた直後だった。


 自転車を漕いでいた畠田さんは、なにかとすれ違った気がした。その直後、後ろの荷台がずしんと重くなった。荷台に何かが飛び乗ってきた、と感じた。同時に妙な気配を背後に覚え、気配の主がこの世のものではないことにも気がついた。


 しかし、こうしたことに慣れている畠田さんは、驚いて後ろを振り返ったりはしなかった。いたって冷静に自転車を漕ぎ続けた。

 畠田さんはいわゆる見える人で、これまでにいくつも奇妙な経験をしてきた。その経験からそっち系のものに遭遇したさいは、無視するのが一番だと学んでいる。

 こちらが反応を示さなければ、彼らは勝手にどこかに去っていく。

 二台に飛び乗ってきたものにも、下手に反応してはいけない。


 畠田さんは背後のなにかを無視して自転車を漕ぎ続けた。ペダルが二人乗りをしているかのように重かったが、とにかく無視するように努めて自転車を進めていった。

 ところが、いつもはそうしていれば勝手に去っていくというのに、なぜか今回はいつまでもなにかが荷台に乗ったままだ。畠田さんからなかなか離れようとしない。

 しかも、ほどなくして状況は悪化した。


 ずし……


 荷台にもうひとつなにかが乗ったのだった。

 ペダルに感じる重さが倍になり、スピードがいっきに落ちてしまった。そのため自転車がふらつき、もう漕いではいられなくなった。


 畠田さんは転倒を避けるべく足をついた。すると、にわかに周囲の景色に違和感を覚えた。

 その違和感の正体はすぐに判明した。

 進んでいる方向が逆だった。


 畠田さんは最寄駅から自宅に向かって自転車を漕いでいた。ところが、いつのまにか自転車は逆を向いており、自宅から最寄駅へ走っているさいの向きになっていた。周囲の景色に違和感を覚えたのも、向きが逆になっているからだった。

 これまでにいくつも奇妙な体験をしてきたが、今回のようなことははじめてだ。

 自転車の向きを変えられてしまうなんて。


 どこで向きが逆転したのか見当もつかない。まさに狐につままれたような気分で、その場でしばらく呆然としていた。

 また、そうしているあいだに、荷台に乗っていたものは、どこかに去っていったらしい。気づくと自転車本来の重さしか感じなくなっていた。


 翌日から畠田さんは通勤の道を変えることにしたそうだ。自転車の進行方向が逆転するなんて、わけがわからなくてどうにも不気味だ。なるべくならもう経験したくない現象だった。

 そうやって道を変えたおかげなのか、以後に自転車の進行方向が逆転するようなことは起きていないという。



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