これは三十代前半の男性、清水さんの話である。
清水さんは三階建ての戸建住宅に、奥さんとふたりで住んでいる。いつかは子供がほしいと考えているものの、あと一年ほどはふたり暮らしがいいと、清水さんと奥さんの意見は一致していた。
三連休の初日だったという。
奥さんが買い物をしたいと言うので、ショッピングモールに出かけた。車で一時間ほどかかるショッピングモールなのだが、大型の施設であるため買い物に事欠かない。数々の店舗が出店しており、衣食住の商品が充分に揃っている。
家を出たのは昼の三時頃だったのだが、帰ってきたのは夜の九時過ぎだった。目的の買い物を済ませたあとに、夕食をとったりお茶をしたりで、遅くなってしまったのだ。おかげであたりはすっかり暗くなっていた。
駐車場は家の一階にあった。清水さんは家の前まで車を徐行させると、ハンドルを大きく切って車の向きを変えた。バックでゆっくりと駐車場に入っている途中で、それを目にして反射的にブレーキを強く踏んだ。
ゆっくり進んでいたとはいえ、急停止した車は大きく揺れた。
助手席の奥さんが驚いた顔をして尋ねてきた。
「どうしたの?」
「子供がおった」
清水さんの車にはバックモニターがついている。カーナビの画面に車の背後の様子が映るのだ。映し出された駐車場の奥に、小学生だと思われる子供が三人いた。
子供たちは横一列に並んで立っていた。高学年と思われる男の子と、それより少し小さな男の子。もうひとりは低学年らしき女の子。おそらく三人は兄弟だろう。
だが、今しがたまでモニターに映っていたその子たちが、いつのまにか忽然と姿を消していた。後ろを振り返って駐車場を直接目視しても、誰の姿も認められない。
助手席の奥さんもバックモニターを見やりながら、「子供なんておらんよ……」と不思議そうに言っている。
「いや、確かにおってんて……」
改めてバックモニターを見たとき、奥さんが隣で小さく呟いた。
「あ……」
清水さんは奥さんに向き直って訊いた。
「なに?」
すると、奥さんは前を見たまま答えた。
「子供がいた」
車のヘッドライトは点灯したままだった。その青白い光の中を、三人の子供が横切るように走っていったという。
「もしかして、小学生くらいの子たちやった?」
「うん、そう。男の子ふたりに女の子ひとりやった。兄弟とちゃうかな」
どうやら、清水さんが見た子供と、同じ子供を見たようだ。
奥さんは車外の右側、道路の先を指差した。
「手を繋いであっちに走っていった」
「近所に住んでる子供やろか?」
「さあ……見たことない気がするけど……」
いずれにせよ、どこかに走っていたのであればもう安心だ。車をバックさせてももう轢くことはない。
「それにしても……」
清水さんは車の外を見まわした。大人の姿はないようだ。
「そこそこ遅い時間やけど、子供だけで外に出てるんやな。親は心配ちゃうんやろか……」
清水さんはぶつぶつ言いながら、改めて車をバックさせはじめた。しかし、すぐさま急ブレーキを踏んだ。またもバックモニターに三人の子供が映ったのだ。小学生と思われる子供たちが、横一列に並んで立っていた。
ところが、それが見えたのは一瞬のことで、子供たちはもうどこにもいなかった。無人の駐車場だけが、バックモニターに映っている。
もしかしたら、バックモニターに死角があるのだろうか。清水さんは後ろを振り返って駐車場を直接目視したが、子供たちの姿は認められなかった。
(どういうことや……)
振り返ったまま不思議に思っていると、奥さんが隣で「あ……」と声を漏らした。
助手席に視線を移す。奥さんは車の外、その右側を見ていた。
「また、子供……」
聞けば、三人の子供がヘッドライトの光の中を横切り、そのまま右側に走り去っていったのだという。
「さっきと同じ子供?」
清水さんが訊くと、奥さんは頷いた。
「うん、同じ子やと思、あ……」
奥さんは話の途中で、唐突に目を見開いた。
清水さんは助手席に視線を向けていたため見えなかったのが、奥さんはまたも車外に三人の子供を見たらしい。ヘッドライトの中を横切り、そのまま右側に走り去っていった。
奥さんは硬い表情で呟いた。
「……なんか変とちゃう?」
清水さんも薄気味悪さを覚えたが、
「とにかく家に入ろう」
それだけを口にして車をおりた。
玄関ドアの鍵をあけて、先に奥さんを家に入れた。それから清水さんも玄関ドアをくぐった。
サムターンをまわして玄関ドアの鍵をかけたときだった。外でバタバタという音が響いた。数人が玄関前まで駆けてくるような足音で、しかし大人の足音にしては細々しすぎている。おそらく子供の足音だ。
足音は玄関ドアの前で一旦止まると、またバタバタと音を響かせて、どこかに走り去っていった。
「今のなに?」
そう尋ねてきた奥さんの顔はこわばっていた。
「なんやろ……さっきの子供たちが戻ってきたんやろか……」
すると、奥さんは怪訝そうな顔をした。
「でも、今のって子供の声じゃないやろ。大人の声やと思うけど……」
「声……?」
「誰かが玄関の前でしゃべってたやん。あれって独り言?」
清水さんは子供らしき足音を聞いた。だが、奥さんが聞いたのは成人女性と思われる声だったらしく、ドアの向こうでぶつぶつと独り言を呟いてどこかに去っていった。
お互いの聞いたものが、まったく異なっている。いったいこれはどういうことなのか。清水さんはますます気味悪く思ったが、玄関にいても仕方ないと判断して、奥さんと共に二階のリビングにあがることにした。
そうして、リビングのシーリングライトをオンにしたときだった。
バン! バン! バン!
一階でけたたましい音が三回響いた。手の平で玄関のドアを強く叩くような音だ。清水さんはその音に驚いて、思わず肩をびくっと跳ねあげた。
しかし、奥さんはその音にはまったく反応せず、リビングの奥にある壁を指差した。
「あれって、わたしたちの影?」
奥さんの指先が差し示す白い壁には、人の形をした影がくっきり映っていた。壁のすぐ前に誰かが立っていて、その影が壁に映っているような印象だ。しかし、壁の前には誰も立っておらず、清水さんたちの影もそこまでは届かない。なにより清水さんたちはふたりだが、壁に映っている影は四人ぶんだった。
奥さんは怯えたようすで、清水さんの腕にしがみついた。
「あの影、なに……?」
清水さんも影がなんであるのか答えられなかった。
「わからんへん……」
強い恐怖を覚えつつ、呆然と影を見るばかりだった。
清水さんたちはそれからしばらくのあいだ壁を見つめて立ち尽くしていた。すると、影はだんだん薄くなっていき、最後は完全に消えて白い壁だけが残った。
それでも清水さんは壁から目を離すことができなかった。再び影が現れそうな気がして不安だったのだ。奥さんも同様に不安であるらしく、白い壁をじっと見つめ続けていた。
しかし、四つの影がもう壁に映ることはなかった。
玄関ドアの前まで駆けてくる子供の足音や、手の平で玄関ドアを強く叩く音など、その他の奇妙な出来事も以後は起きなかった。
翌日の昼過ぎのことだった。
清水さんも奥さんも昨日のことはもちろん覚えていた。あれはいったいなんだったのだろうか。ふたりで恐る恐る話し合っているとき、突としてインターフォンが鳴った。
また怪現象が起きたのかと身構えたが、オンライン注文した商品が届いただけだった。
清水さんは荷物を受け取りに玄関先に出た。すると、ちょうど隣家に住む家族の奥さん、Nさんが植木に水を撒いていた。五十代半ばのNさんはとても愛想の良い人で、挨拶をすると必ずなにか話しかけてくる。
この日も例外ではなかった。
「昨日は親戚のお子さんでもきてたの? 楽しそうな声がしていたけど」
「え、声……?」
清水さんは嫌な予感がしつつ、Nさんにその詳細を尋ねた。
「夕方の五時頃だったかしらね……」
子供の声が清水さんの家の中で響いていたそうだ。
数人の子供が楽しげに走りまわっているような声だった。
昨日のその時間、清水さんたちはショッピングモールに出かけていた。
家には誰もいなかったというのに、Nさんは確かに子供の声を聞いたという。