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実話怪談集「闇累々」
烏目浩輔
ホラーホラーコレクション
2024年12月10日
公開日
38,665文字
連載中
 僕は小さな店を切り盛りしている自営業者です。その職業柄というべきか、年間約七百人のお客さんと言葉を交わします。会話の内容は人それぞれですが、なかには奇妙な体験談を話す方もいらっしゃいます。いわゆる怪談話というやつです。 その怪談話を収集しておよそ十五年になります。
 それらを文字に書き起こしたものが、実話怪談蒐「闇累累(やみるいるい)」です。

 基本的に一話完結であり、各話に繋がりもありません。一話目から順番に読んでもらっても構いませんし、気になった話だけ読んでもらっても構いません。お好きなように、ご自由に読み進めてください。

クローゼット

 これは二十代後半の男性、沢口さんの話である。


 沢口さんは大学を卒業後すぐに広告関連の仕事に就いた。その就職をきっかけにひとり暮らしをはじめることになった沢口さんは、ワンルームマンションへ引っ越した当日に奇妙な体験をしたという。

 ひとり暮らしの荷物はたいして量がなく、午後六時過ぎには、荷解にほどきを含めたすべての引越し作業が終わった。

 沢口さんは缶ビールを開けて一息ついていた。すると、なにかを指で引っ掻いているような小さな音がどこからか聞こえてきた。


 カリカリ……カリ……カリカリカリ……


 音のするほうに目を向けると観音開きのクローゼットがあり、その扉を開けてみると音が少し大きくなった。クローゼットの中から聞こえてくる音だった。


 カリカリカリ……カリカリ……


 音がしているのはクローゼットの左壁で、その壁の向こうには隣の部屋がある。

 もしかしたら、隣人が爪で壁を引っ掻いているのかもしれない。たとえば壁に貼りついたシールなどを剥がし取るために。

 そう思う一方で、別の話が耳の奥によみがえった。


 この部屋を内見して借りるかどうか検討していたさいに、不動産会社の担当者が言っていたことだ。

「隣の部屋は今のところ未入居です。もちろん、いつかは入居者が決まるでしょうけど、しばらくは隣に気を使わなくて済みますよ」

 しかし、思いのほか早く次の入居者が決まったのだろう。

 沢口さんはそのように納得して、クローゼットの扉を閉めた。


 カリ……カリ……カリカリカリ……


 壁を引っ掻くような音はまだ聞こえていたが、大きな音であればともかくごく小さな音だ。さほど気にはならない。沢口さんは放っておくことにした。

 しかし、小さな音であっても長時間続くと気になりだす。

 缶ビールを飲み終えてもクローゼットの中で音はしていた。コンビニで夕食の弁当を買って帰ってきても、その弁当を食べ終わっても音はやまなかった。テレビを観て風呂に入ったあとも、カリカリという音は続いていた。

 そして、夜中の一時を過ぎても相変わらず音は聞こえていた。


 カリカリ……カリカリ……カリ……


 さすがに沢口さんはイライラしてきた。

 いくら小さな音でもこれは近所迷惑だ。怒りを抱えたまま部屋を出た沢口さんは、隣の部屋に向かって玄関ドアの前に立った。

 苦情を直接告げると相手に逆ギレされるかもしれない。だが、学生時代にラグビーをしていた沢口さんは、身体が大きくて腕力にはそこそこ自信があった。

 トラブルになってもなんとかなるだろう。

 そう考えて隣室のインターフォンに指を伸ばした。


 まもなくしてドアが開き、二十代半ばと思われる男性が顔をだした。苛立っていた沢口さんは、前置きもなしに苦情をぶつけた。

「カリカリって音がうるさいんですよ。いい加減にしてくれませんか」

 すると、男性はボソボソとこう呟いた。

「それは僕がだしてる音じゃないです……クローゼットの壁を調べてみればわかります……」

 呟き終えた男性はドアを閉めようとした。

「あ、ちょっと待ってください」

 しかし、ドアはそそくさと閉められてしまった。

 その場に取り残されてしまった沢口さんは、申し訳ない気分でいっぱいになった。

 男性の話を信じるのであれば、あの引っ掻くような音は、男性とは無関係のものらしい。だとしたら、悪いことをしてしまった。

 夜中に訪問して、一方的に見当違いの文句を言うなんて、それこそ近所迷惑にほかならない。だが、遅い時間にもう一度インターフォンを鳴らすのは気が引ける。後日に改めて謝罪すべきだろう。

 その一方で疑問もわいた。

 男性と関係ないというのであれば、カリカリという音―― その音がクローゼットで鳴っていることを、どうして知っているのか。


 いろいろ思うところがあったものの、沢口さんはとりあえず自分の部屋に戻った。

 さっそくクローゼットの中を調べてみた。

 クローゼットのドアを開けると例の音が聞こえてきた。


 カリ……カリカリ……カリ……


 沢口さんは腕を伸ばして、音が聞こえる左の壁に触れた。

 すると、軽く押すだけで壁が向こうに傾いた。どうやら壁と思っていたものはただのベニヤ板で、それが壁のように立てかけてあるだけらしかった。

 その仕組みに気づいたのとほぼ同時に、沢口さんはそれを見つけた。

(なんだ、これ……)

 傾いたベニヤ板の向こうに白っぽい壁が覗いている。それが本来の壁に違いなく、その壁とベニヤ板の隙間に、セルロイド製とおぼしき一体の人形があった。

 ベニヤ板を取り除くと人形全体があらわになった。


 大きさは目算で三十センチメートル、西洋の子供を模した人形のようだ。純白だったのであろうフリルのついたドレスは、茶色く薄汚れて見窄らしい感じになっている。ふたつの目玉はガラス製と思われるが、色が抜け落ちてしまっているのか、まるで白目を剥いたかのように真っ白だった。


 沢口さんは気味悪さを覚えながらも人形をクローゼットから取りだした。

 すると、いつのまにかあの音が聞こえなくなっていた。なにかを引っ掻くような、カリカリという音がぴたりとやんでいる。

 まさか、この人形がベニヤ板を引っ掻いていた?

 ここからだしてくれと?

 しかし、すぐにそんなわけないと自分の思考を否定した。

 馬鹿馬鹿しい。

 音の正体は不明であるものの、少なくとも人形ではないはずだ。


 翌日の午前中に沢口さんは不動産会社に電話を入れた。人形を引き取ってもらおうと考えたのだ。

 前入居者の持ち物であれば、勝手に捨ててしまうのも憚られる。それに人形というのはなんとなく粗末に扱いにくいもので、ゴミとしてだすのは良くないような気がした。

 不動産会社に預けておけば、前入居者に返却するなど、適切な方法を取ってくれるだろう。

 カリカリという音については伝えないでおいた。沢口さん自身も音の正体がよくわかっておらず、どう伝えればいいのか考えがまとまらなかった。


 電話をしてから三十分ほどが経った。

 車を飛ばして部屋までやってきた担当者は、沢口さんの顔を見るなり深々と頭をさげた。

「誠に申しわけありませんでした。清掃が不充分だったようで、ご迷惑をおかけいたしました」

 状況からして、人形は前入居者が残していったものの可能性が高いという。だが、前入居者とまだ連絡が取れていないため、詳細はわからないとのことだった。


 しかし、事情がどうであれ、不動産会社の落ち度である。

 部屋の入居者が決まったさいは、入居日までに業者を入れて清掃をする。前入居者の持ち物だろうがそうでなかろうが、部屋になにかが残っているのは不手際にほかならない。


 また、話の流れで沢口さんが隣室の住人と言葉を交わしたむねを伝えると、不動産会社の担当者は強い驚きをあらわにした。

「それはおかしいです。隣室の入居者はまだ決まっていません。人がいるなんて……」

 空室の部屋に誰かが無断で入りこんでいたとすれば大ごとだ。

 担当者はすぐにマスターキーで部屋を開けて確認したが、人のいた形跡はなかった。


 だが、沢口さんの話を全面的に信じた担当者は、帰社して防犯カメラをチェックすると約束してくれた。

 マンションの廊下には防犯カメラが設置してある。沢口さんと言葉を交わした隣の部屋にいた何者かが、防犯カメラの映像に残っていれば、不法侵入の事実が明らかになる。

 場合によってはその映像を証拠として警察に届けるという。


 数日後に担当者から電話があった。防犯カメラをチェックした結果を報告してきたのだった。

「実際の映像をお見せすることはできませんが……」

 事件性がない限り映像は見せられないのだという。

 だが、どんなものが映っていたかは詳しく説明してくれた。その内容はきわめて奇妙だった。


 深夜の一時過ぎに沢口さんが部屋から出てきたところは映っている。だが、隣の部屋には向かっていないというのだ。沢口さんは自分の部屋の前でくるっと一回転して、自分の部屋のインターフォンを鳴らした。

 そして、閉じたままのドアに向かって、なにかを呟く素ぶりをみせたあと、ドアを開けて自分の部屋に入っていった。

 沢口さんは確かに隣の部屋に向かい、住人に対して苦情を告げた。しかし、防犯カメラに残っていたのは、その記憶とはまるで異なるものだった。


 また、壁をカリカリと引っ掻くような音の正体は、未だにわかっていないという。



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