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第十話*とつおいつ

 ──昼食はベリルが言っていた通り、ヒャノのムニエルとなった。


 塩胡椒をふり、ヤギの乳から作った粉チーズと乾燥ハーブを混ぜた小麦粉をまぶし、多めの油をひいたフライパンでじっくりと揚げ焼きにする。


 酢に似た液体と生卵に胡椒をひとつまみ。それらをよくかき混ぜてマヨネーズを作りムニエルの隣に添え、彩りにと温野菜や生で食べられる野草を盛り付けて完成となる。


 カルパッチョも考えてはいたが、レキナやリュートたちは生食には抵抗があるらしい。保存がきかない世界ならば仕方がない。


 ラトナは狩人であるせいか、生で食べられる安全な期間とその美味しさを知っており、生食料理がないことを残念に思った。


 天日干しにしている切り身の横には、洗った服が吊されて風にはためいていた。替えの服は、コルコル族の女性たちが出発までの間に繕ってくれたものだ。


 集落の住民が総出で旅支度たびじたくを手伝った。彼らにとって、勇者が最後の希望なのだから当たり前ではあるのだけれど。


 勝手に呼び出され、どんな魔獣なのかも解らず倒してくださいと言われた方はたまったものではない。


 気の良い三人であった事はコルコル族にとって、まさに運が良かった。


†††


 ──食事を済ませ、服も乾いたので一同は荷物をまとめて旅を再開する。


「この先にある岩山はそれほど高くないので、二日で超えられると思います」


 ラトナは遠方に見える山を指差した。


「お約束なら、恐いモンスターでも出るかな」


「あ」


 ベリルの言葉にラトナが声を上げる。


「何かいるのか」


 リュートはラトナの険しい表情に、先日に砂地で見た化け物は勘弁だぞと眉を寄せた。


「キャノムがいたかも」


 シャノフは重々しく応える。彼は遠出はしないものの、本が好きな大人しい性格の若者で、集落で一番の物知りだ。


 旅の共にと手を挙げたのは、本で読む世界を垣間見たいという欲求に抗えなかった。勇者を呼び出す話にも身を乗り出し、率先して調査をしていたらしい。


「キャノム?」とティリス。


「とっても恐い奴です」


 とにかくシャノフは、役に立つために目的地までのあらゆるものを調べ直し、記憶に叩き込んだ。


「迂回出来ないのか?」


「そうしたいのは山々なんですけど、そうすると三倍くらいかかっちゃうんですよ」


 訊ねたリュートにラトナは困ったような声で応えた。


「警戒して進むしかないか」


 ベリルは小さく溜息を吐き出し、カルクカンの足を止めることなくハンドガンを確認した。


†††


 ──岩山の入り口にさしかかる。モンスターがいると知っているためなのか、レキナたちの足取りは重い。


「そのキャノムとは、どういった姿をしているのかね」


「大きなモンスターです。ほら、そこの岩くらい」


 シャノフは、訊ねたベリルに直径三メートルほどの岩を指差して答えた。


「凄くどう猛で肉食なんです。真っ黒い体をしていて、固い毛に覆われています。でも、滅多に出る事はないので大丈夫ですよ」


「ほう。滅多にね」


 感心するようにつぶやいたベリルと、みんなの強ばる顔にシャノフは怪訝な表情を浮かべて一同が見つめる先に視線を送った。


「うそ……」


「あんたがお約束なんて言うからだ」


「私のせいなのか?」


 言って直ぐ、ベリルはカルクカンから飛び降りてモンスターに目を合わせ駆け出した。その動きにキャノムが反応し、遠ざかるベリルを追いかける。


「ティリス。みんなを」


 リュートは咄嗟にベリルの動きを察し、ティリスたちを避難させ自らも剣を抜いた。言われていた大きさよりもやや小さめだ。それに少しほっとする。


 リュートは剣を構え、このモンスターが見ていたのは自分だと表情を険しくする。


「今度は俺の力に誘われたか」


 つぶやいて、キャノムと対峙しているベリルを獣の影越しに見やる。


 あいつベリルの戦い方も気になるが、この狭い場所で悠長にもしていられない。まだ足を踏み入れたばかりで広めではあれども、余裕の幅というほどではない。


「気をつけてください! そいつの唾液は強力な酸です!」


 ラトナの声に、リュートとベリルは口元を見やる。


 滴り落ちる唾液が地面にたどり着き、微かな煙をあげた。


「こいつは厄介な」


 むやみに暴れられては問題だ。エメラルドの瞳を細めて、どう闘うかを思案する。


「うわ!?」


 レキナの叫びにリュートが振り向くとそこには、もう一体のキャノムが興奮した様子で立っていた。一匹目よりも、ひと回りは大きい。


「リュート!」


「来るな!」


 共に闘おうとしたティリスを制止する。この狭い場所で三人が闘うのは無理がある。向こうはあいつベリルに任せるしかない。


 豹を思わせる顔つきに黒い体は強靱で、生半可な剣では傷を付けられそうにない。


 ベリルはキャノムから目を離さず、右太もものハンドガンにゆっくり手を掛ける。この状況で慣れない剣での戦闘に勝ち目はないと判断した。


 かと言って、ハンドガン程度の威力では、あの固そうな表皮を貫けるかどうか疑問だ。中身は頑丈でなければ良いのだが。


 狭い谷間に風が舞い、石ころが軽い音を立てて転がった──刹那、大きい方のキャノムがリュートに襲いかかる。


 鋭い爪の攻撃をひらりとかわし、その体に刃を走らせた。


「チッ」


 思っていたよりも固い感触に思わず舌打ちする。この程度の攻撃では、かすり傷にもならないようだ。


 二匹のキャノムはそれぞれ、簡単には倒れそうにない獲物を前にして唸りを上げている。


「ベリル様、リュート様」


「大丈夫。きっと」


 ティリスはレキナたちを守るように背後に隠し、その光景に息を呑む。


 リュートは負けない。でも、ベリルの強さをあたしは知らない。ここで倒れる人じゃないはず。


「なんて硬さだ」


 リュートは隙をついて剣を振り下ろすが、それは虚しく弾かれてしまう。激しく暴れ回るモンスターの口から散らばる酸の唾液にも注意しなければならず、攻撃は難航していた。


 使うしか、無いのか? しびれる腕に手を添え、苦悶の表情を浮かべた。


†††


 一方、ベリルに襲いかかったキャノムは、その動きに警戒していた。攻撃に反撃するでもなく、向かってくる爪と牙を確実に避けている。


 つかず離れず一定の距離を保ち、その瞳からは強い意志が見て取れ、怯むことなく眼前に立ち続ける。今まで感じた事のない恐れがキャノムに芽生えていた。


「リュート」


 ティリスはリュートの背中から躊躇いを感じていた。


「大丈夫よ」


 きっと、大丈夫。だから、ためらわないで。


†††


 一匹のキャノムが業を煮やし、大きく唸りながらベリルに襲いかかった。


「──っ」


 頭部を守るように出した左腕にバクリと噛みつく。その痛みに顔が歪み、ベリルは小さく呻いた。


 腕を引きちぎらんばかりに力を込めると牙が肉に食い込み、骨がミシミシときしみをあげる。


「ベリル!」


 ティリスの声にベリルの危機を察知したリュートだが、その僅かな隙を突いてキャノムが飛びかかる。


 剣ではあの体重を支えきれない。のしかかられれば酸の唾液が──やるしかない。心を決めてキャノムを睨みつけた。


 すると、閉じられていた右瞼みぎまぶたがカッと開き、黄金の瞳が現れる。それを合図に、まるで鳴いているかのように山全体が震え始めた。


 突然の現象に、レキナたちは何が起こっているのか解らず恐怖で抱き合っている。


 ティリス越しに見えたリュートから吹き出る霊気オーラに、あれは誰なのかとレキナは身震いした。


 キャノムは巻き起こる異変に慌てふためき、そんなモンスターの体をすさまじい風があっという間に切り裂いた。


「リュート! ベリルを!」


 ティリスの声と共に右目を閉ざし、その方向を見た。


「──っ」


 あいつ。何をしているんだ。


 左腕を噛ませたまま、睨み合って動かない。悠長にしていたら酸で腕が溶けるというのに、どうしてああも落ち着いていられる。


 ベリルは食い込む牙と酸の痛みに顔を歪めながら、手にしているハンドガンの銃口をキャノムの下あごにピタリとあてがう。


 連続で三度、引鉄ひきがねを絞ると集落でも聞いた破裂音が山に響き渡った。それから、ゆっくりと銃を仕舞い大人しくなったキャノムを見つめる。


 弾丸は脳にまで達したらしく、キャノムは声もなく崩れ落ちた。


「ベリル!」


 ティリスが慌てて駆け寄ると、その腕は痛々しい程に無惨な有様だった。皮膚は酸で崩れ、痛みで痙攣している。


「必要ない」


 傷口に添えるティリスの手を煩わしそうに避ける。


「でも──!」


 言い返そうと顔を上げたとき、ベリルの体が倒れ込み、側にいたリュートがそれを支えた。


「痛みで気を失ったのか」


 抱き起こし、道の脇に移動する。


 レキナたちが急いで地面に敷いたシーツの上に横たえる。その間にも、腕に残る酸が肉を侵蝕している事が窺えてリュートは眉を寄せた。


「酷い……」


 間近で見ると、腕は想像以上に悲惨な状態だった。骨まで達した牙で内部まで酸の侵蝕が激しい。あまりの様子にティリスは声を震わせる。


 これでは腕を切り落とすしかない。


 しかし──


「凄いな」


 信じられない光景に、リュートは思わずつぶやいた。


 見るも無惨だった腕の傷が、驚くほどの速さで治癒していく。魔法などという、外部からの技法なんかじゃない。


 こいつは不死身なのだと確信した。


「──っはあ」


 ほとんど治ったところでベリルが意識を取り戻す。


「あんた。不死身なのか」


「不死だよ」


 言って上半身を起こした。


「まず先に表面を修復するため、内部はまだ完治していない」


 ベリルは腕をさすり、小さく溜め息を吐いたあとリュートに目を合わせた。


「そろそろ、お互いに隠し事はやめにしないか」


 リュートの目が険しくなる。


「あ、あたしが──」


「いいんだ」


 代わりに口を開きかけたティリスを止める。


 自身で言おうと決意はしたが、やはり躊躇ってしまう。それほどに、リュートには困難な事柄なのだ。


「理解出来るだけの符号のみで構わない」


 念を押すように人差し指を立てる。


 そんな事を言われてもと、リュートはどう説明していいものか深く悩んだ。


 本当に話してもいいのだろうか。話すのを静かに待っているベリルに視線を向ける。


「そういえば。村にいたとき、確かお前は風呂場を──」


「俺は普通の人間じゃない」


「今さらな事を」


 そんな事は初めから解っていると不満げに顔をしかめる。


「ティリスとは、違う力を持った人種だ」


 初めから普通じゃないと解っていたのにその態度はなんだと眉を寄せる。


「どんな人種だ」


 未だ思い惑うリュートに目を眇め、


「風呂場」


「──っ卑怯だぞ」


 脅迫めいた言葉をささやかれ、リュートは悔しさにベリルを睨みつけた。


「さて、何のことやら」


 堂々ととぼけやがって。いつか見ていろ。


「ねえ。さっきから、お風呂場がどうしたの?」


「いいから、お前は黙っていろ」


 知られるとまずい。ビクつきつつも、強い態度でティリスをはねのける。しかしどうだ、目の前にいるベリルの口元が薄笑いを浮かべているじゃないか。


「実はな──」


「魔族と言ってわかるか」


「細かい説明ははぶけ」


 回りくどい言い方に眉間のしわを深くした。


「……魔力という、特有の力を持つ。解放すると、ああなる」


「ほう」


 なんともざっくりとした説明だ。


 それは、私が戦闘中でもリュートを見ていたという前提でのものではないか。見ていないと言えば、再び見せてくれるのか。


 まあ、見てはいたが。


「他には」


「風を操れる。ただし、魔族化しなければ大したことはできん。これで満足か?」


「人間との決定的な違いは無いという事か」


 リュートの存在がどういうものなのか。ベリルにはぴんとこない。

 これだけ渋るものなのだから、彼らの世界ではリュートは特別なのだろう。しかも、良い方の特別ではない。


 彼は、それによる苦しみを受けてきたのかもしれない。


「普通の人間にはない力だ」


 確かにそうなのだろう。とはいえ、ベリルにとっては魔法とそう変わらない。


「橋の下で生まれたりは」


「……それは捨て子じゃないのか」


「キャベツから生まれる」


「生まれるか!」


 からかっているのかと語気を荒くする。


「便利ではあると思うのだが、違いがよく解らん。魔法でさえ、私にとっては特別なものに感じられるのだから」


 立ち上がり、荷物から取り出した服に着替える。


「何の力も持たない私が呼び出された理由も未だにわからん」


 着替えて座り直す。


「ただ不死というだけでは、私という存在はあまりに非力だ」


「そんなことありませんよ! 僕たちだって魔法は使えません」


 レキナは胸を張って応える。


「呼び出された人間としては非力だろう」


 そう言われてしまえば次の言葉が見つからず黙り込む。


 されど、彼らコルコル族たちが願ったであろう、強き者であるリュートに向ける三人の目は、僅かに畏怖の念が混じっていた。


 彼らにとって、輝く目は猛々しい獣と大差ないのかもしれない。リュートはうっすらとそれを感じ、レキナたちと目を合わせなかった。


 いつものことだ。慣れている。


「そうだな。ここが私の世界ではないからこそ、お前たちには言える事柄がある」


 それを言わなければおそらく、お前たちは納得はしないだろう。


 不死以外に何かあるのかと、ベリルの前置きにティリスたちはやや身を乗り出す。


「人間が人を造り出す事は可能だと思うか」


 もちろん、それは人の営みという意味ではない。


「ふざけるな」


 突拍子もない言葉に、何を言い出すんだと顔を歪める。


「そして百年以上、歳を取らず生きている」


「おちょくるのもいい加減に──」


 ハッとして、リュートは言葉を詰まらせた。


 こんなからかい方を、こいつがするだろうか。ただ怒らせるだけの嘘を、ここにいる全員にかたる意味などない。


 そんな奴じゃないことは、結局はからかわれていた俺が一番、知っているんだ。


「あんたは、何者だ?」


 重々しい問いかけにベリルは一度、目を閉じた。

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