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第八話*出発は前途多難

 ──次の日


「出発を早める?」


 ベリルの言葉にリュートは眉を寄せた。


「うむ。三日以内に発つ」


「理由を言ってくれ」


「おはよう! どうしたの?」


 顔を向けたリュートの表情にティリスは首をかしげる。


「出発を早めるそうだ」


「え?」


「長居すればそれだけ怠惰たいだになる」


 馴染みすぎるのも問題だ。


「元の世界に戻るのも遅くなる」


「それはそうだけど」


 ティリスは、あれだけ余裕を作ってくれていたのに突然、どうしたんだろうとベリルの変わりように妙な感覚を覚えた。


「こちらで過ごした時間はチャラにはならない」


 そんなに都合の良い魔法ではないだろう。


「つまり、ここにいる間は俺たちは余計に年を取っているという訳か」


「私は気にはならないが彼女には酷だろう」


 それにティリスは一考する。


「……えと。こっちでもし五年過ごしたとしたら、戻った時間があたしたちが消えたすぐ後だとしても、五年分の年は確実に取ってるって事?」


 解ってもらえた事に、ベリルとリュートは無言で首を縦に振った。


「た、確かに。それはちょっと辛いわ」


 言ってすぐ、何かを思いついたのか、ぱっと表情が変わる。


「あ、でも。リュートだけ戻って、あたしがリュートと同じ年になるまでここにいるって事も出来るんだ」


「良い案だ」


 ベリルは感心して喉の奥から笑みをこぼす。


 呆れてティリスを一瞥したリュートは、次にベリルに視線を移した。


「あんたは元の世界に戻りたくない理由でもあるのか?」


「年を取りたくない理由が無いだけだよ」


 何かを含んだ物言いにリュートは目を眇める。


 こちらが尋ねていないせいもあるのだろうが、こいつベリルについても俺たちはさして解ってはいない。


 互いに何かを隠し合っている。見ず知らずの人間にべらべらと個人的な事を話すほどお喋りではないということか。


「さて。解ってくれたのなら、いつでも発てるようにしてもらいたい」


†††


 ──とは、言われたものの。


 勝手の違う世界で、どんな準備をすればいいのやらとティリスは一人、ポヨちゃんを見つめて唸っていた。


「うーん……」


 全体的に見ると、あたしたちの世界とあんまり変わらない感じがする。


「だったら。いつもと同じ準備をすればいいのよね」


 鼻歌交じりに支度を始めた。


「ポヨちゃんはお留守番ね。相手は炎を吐くんだって」


 ティリスの言っている事が解っているのか、ピンクのスライムはぷるると震えた。どうやら、火が苦手らしい。


†††


 ──ベリルは持っていたバッグの中身を確認する。


「よくもついてきた」


 いつでも車に積めるようにとまとめていた事が功を奏した。とはいえ、中身の全てを持って行く訳にはいかない。


 使えないものを運ぶ無駄な労力は今回、抜きにしたい。


 知らない世界での備えは充分にして然るべきだが、馬という移動方法では重量を考慮しなくてはならない。


 ファスナーを開いて一旦、中身を取り出していく。


 はめていた腕時計はかろうじて動いているものの、バッグに入っていたストップウォッチはぴくりとも動かない。


 用途が異なるためだろうか、動くものとそうでないものの違いの法則がよく解らない。


 カウント式の時限発火装置は置いていくとして、プラスチック爆弾の原料であるC-4シーフォーは使える。


 C-4とは、粘土タイプの爆薬の事だ。しかし、この爆薬は起爆装置か雷管を必要とする。火に近づけるだけでは、ただ燃えるだけで爆発はしない。


 果たして、それらが正確に機能するのか疑わしい。少量のため、試す訳にもいかない。


「ふむ」


 やはり置いていくか。生憎、遠距離から起爆させられる機器をバッグに入れていなかった。


 固形燃料として使用出来るが、主成分に毒性があるため煙を吸い込むと危険だ。


 あとは、レモンと呼ばれる小型の手榴弾にライフルとショットガン。それとカートリッジに弾倉マガジンくらいか。


「使えるかな?」


 ベリルは、とりあえずと入れていたハンディータイプのスタンガンを手に取る。


 どうせならテイザー銃にすればよかったと多少の悔いを残しつつ、確認のためスイッチを入れてみた。


 バチバチと電気が走る激しい音が鳴り響き、使えそうだとリュックに詰め込む。他に、ムチや弓矢なども用意させた。もちろん、ベリルはそれらも使いこなす。


 当然の事ながら普段、使用しない武器ではあるが出発の日まで訓練すればなんとかモノにはなるだろう。


 食料などの荷物はシャノフたちが馬車を引いて同行する。慣れない世界での心強い水先案内人だ。


†††


 ──夜。ベリルはうまやでカルクカン一匹、一匹に草を与えて首をさする。


 毎日、ティリスとリュートと共に乗りこなす練習をしていた甲斐があり、今では馬と変わりないほどに乗りこなせるようになった。


 四足歩行の馬とは違い、バランスをとるのにやや苦労はしたが、コツさえ掴めばカルクカン自身もこちらに合わせてくれる。


 かつては空を飛んでいた名残なのか、鶏の手羽先よりも小さな突起が見て取れた。


 集落に飾られているカルクカンの骨を見ればなるほど、鳥類特有の桁構造で非常に軽く強い筋肉を持つ。


 カルクカンの祖先は翼竜だったのかもしれない。


 本来、飛翔しなくなった鳥類には中空の骨はないのだが、私の世界とは進化の仕方が異なるらしい。なんとも興味深い。


 出来るだけ出発を早めるとは言ったものの、拭えない不安に躊躇いはある。それでも、一刻も早くここを発たなければならない理由がある。


†††


 ──そうして出発の朝、すっかり慣れたカルクカンにティリスは軽快に飛び乗った。


「お姉ちゃん! これ」


「ありがとう。これはなに?」


 子どもたちが差し出した青い石のペンダントを受け取る。


「僕たちのお守りです」


 レキナがそう言って小さめの馬にまたがった。


「そうなんだ。綺麗」


 半透明の石は鍾乳洞によって作られた湖のように美しく輝いている。とても珍しいもので時折、川底に見つける事が出来るものだ。


「べりるも!」


「リュートにいちゃんも」


「ポヨちゃんをよろしくね」


「もちろんです」


 それぞれお守りを受け取り、一同は人々の祈る声を聞きながら、ひとまず東に向かった。


 まだ見慣れた風景ではあるけれど、好奇心旺盛なティリスはこれからの旅に目を輝かせている。


 リュートはふと、距離を寄せてくるベリルにいぶかしげな表情を浮かべた。


「ガルムとシャズネスの魔女は本来、この付近にはいないそうだ」


 それに目を眇める。


 ガルムは岩山に棲んでいるとは聞いたが、シャズネスの魔女もそうなのか。ならばなぜ、二体も間隔を空けずに現れたのか。


「ガルムはティリスの力に、シャズネスの魔女は私を狙った」


 それはつまり、あそこにティリスを残したとしても安全では無かったということだ。


「お前が何に狙われていたか。考えるだけでも恐ろしいな」


「出発を早めた本当の理由はそれか」


 恐ろしいと言いつつ、楽しんでいるような顔つきに素知らぬふりをする。


「勇者が疫病神になりかねない」


 それに一番、心を痛めるのはきっとティリスだ。


「我々はこの世界では異質の存在だ。そこに引き寄せられている可能性がある」


 この旅、容易なものではないかもしれない。


 ベリルの言葉にリュートの目が険しくなる。


 とにかく、なんとしてでもティリスだけは守り抜く。それだけは変わらない。


「まあそれはそうと。さっそく怪しいのがお目見えだ」


 リュートはハッとして眼前に広がる砂地を見た。


 それは唐突に現れた、かなり広範囲な砂漠だ。迂回するよりも突っ切る方が近道なのは明らかだが──立ち止まって眺めていると、砂がおかしな動きをしている。


 一体、何がいるのか。


「何をするつもりだ」


 リュートは、カルクカンから降りて荷物を降ろしているベリルに眉を寄せた。


 カルクカンの尻を軽く叩き、砂地に二十メートルほど進ませたところでベリルは指笛を鳴らす。


 その合図に、カルクカンがベリルの元へ走ったそのとき──


 低く、くぐもった咆哮と共に水面にジャンプする鯨の如く、大きな何かが飛び出してきた。


「あれ、なに?」


「さあな……」


 ティリスもリュートも、目を丸くしてその巨体を前に唖然とした。


 巨大な大木を思わせる胴体に手足はなく、先端はストローのように開いた口と、そこには鋭い歯がびっしりと並んでいた。


 見えているだけの長さで十メートルは軽く超えている。砂の中には、あとどれくらいの体があるのか見当もつかない。


 山のように大きな芋虫といったところか。口の先には、リュートの腕ほどもある十数本の触手が気味悪くうねっている。


「キャリオン・クローラーといったところか」


 ベリルが呑気に口を開いた。戻ってきたカルクカンに褒美のエサを与えて首をさすってやる。


「間近で初めて見ました」


「レキナはここまでは来ないからな」


 ラトナが得意げに胸を張る。


 あの怪物は大きな体をしていても、それほど食料を必要としないらしい。砂地に足を踏み入れる生物は少ないため、かなり燃費の良い構造なのだろう。


「迂回で決まりだな」


 ベリルは荷物を再び積むとカルクカンに飛び乗った。


 獲物を食べ損ねた巨大ワームは悔しさなのか、雄叫びを上げながら飛び跳ねる魚のように砂地獄の中を泳ぎ回っていた。


 その光景を横目で見やり、一同は迂回する。

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